575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

冥き世の淡彩の灯や帰り花  能登

2021年11月19日 | Weblog

兼題で、トップ賞となったこの句。「帰り花」の捉え方を考えさせられる鑑賞となりました。

 ・狂い咲きを突き詰めると“冥き世の灯”となる訳で、そこからの灯とは大変なものが、出て来たものですね(等)

 ・「冥き世」は初めは「くらき」と読めませんでしたが黄泉の国かなと想像しました。「淡彩の灯」がそこに有りそうで、「帰り花」にぴったりだと思いました(竹葉)

 ・帰り花は淡い灯のようです(紅)

 ・コロナ禍で皆の気持ちは明るくない世の中。ほんのりと灯がともったような帰り花が、一筋の希望を示しているような気がしました。敢えて「暗い」とせず「冥い」としたのではないでしょうか?(亜子)

 

私も最初、帰り花とはこの世の花でなく、冥土にほの光る淡々とした灯とみたて、魅かれつつもちょっと怖くてとれずにいました。

しかしそこに希望を見るといわれると 時季外れに咲く花が何かのメッセージを帯びてくるように思い始めます。

 

 志この世に残し帰り花  亜子

 

作者の伴侶は生前、戦争の語り部として平和のありがたさ 素晴らしさを次世代に伝え続けました。

二つの句が響き合い、思いは途絶えず、次々と開く希望と見えなくもありません。

少し前まで、彼岸と此岸にどうしようもない隔たりを感じていましたが

大切な人との別れを経験するたび、境目がだんだん薄れていきます。

お花畑があるとも聞きます。「思い」が花になるなら、そこからのこぼれ花こそ「帰り花」といったところでしょうか。

私事ながら、本日父の23回忌でそんなことを感じました。郁子

 

コメント
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