575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

演劇「ほうせん花 2022 つなぐ記憶と継承」

2022年08月10日 | Weblog

 

9月10日11日 名古屋市公会堂で上演される演劇です。

1985年、熱田高校に赴任してきた高橋さんは学校周辺の戦争遺跡を調べるうちに、疑問に思ったことがありました。太平洋戦争末期に名古屋を襲った地震で犠牲になった者たちの殉職者名簿に、朝鮮から集められた少女達の名前もあったのですがすべて日本名でした 。

なぜ少女たちは名古屋にいたのか、地道な調査の結果、その時名古屋に来ていた生存者を突き止め、彼女たちを支援するために裁判を起こすことを決め「 名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」を立ち上げました。

1999年、名古屋地裁で最初の裁判が行われた時、私も誘われて傍聴し、原告の生の声を聞いてしまいました。「自分は手先も器用で、日本へ行けば働きながら お金ももらえ学校へも行ける」と先生の勧めで親の反対を押し切って名古屋に来た。事実は逆だった、謝罪と補償をして欲しい」という悲痛な叫びでした。

私といくつも歳の違わない人達、時と場所が違っていたら自分のことだったかもしれないと思いました。

その後も今日にいたるまで、日韓両国の市民レベルの 長い 支援のための交流が続いています。

この演劇にはスタッフだけでも33名、70名以上の人が直接演劇に 取り組んでいます。

 

鳳仙花を詠んだ俳句を調べてみました.

  鳳仙花夕日に花の燃え落ちし 鈴木花蓑

  草がくれ種子とぶ日なり鳳仙花  水原秋桜子

  雷の居登る日々の鳳仙花  坪内捻典

  悲しみは追いかけてくる鳳仙花 高澤良一

 

などといずれも可憐な か弱い花という印象です。

この鳳仙花が朝鮮の人の抗日の象徴となったのは、「鳳仙花」の歌詞と植民地の歴史にあります。

この歌は1920年頃洪が「哀愁」の題名で作曲、のちに、金亨俊が作詞、世に出ました。

{夏に咲いて 秋の風が痛めつけて枯れても 冬になくなっても 春風によみがえれ}という

内容の歌は 直接勇ましい言葉は出てこなくても、 人々に勇気と希望を与えました。

                                 千香子

 

コメント (4)
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