先日、近所の神社でどんど焼きが行われ、各家庭のしめ飾りやお札などを火にくべる仕事を手伝ってきました。
燃えるもの、プラスチックや金属など燃えないものを仕分けしながら、いろんな思いや祈りが青い空に吸い込まれていくのを見送りました。
憂いは年が明けても続きます。能登半島地震の災害支援金の募金箱には大勢の方が寄付しておられました。
寄せられたコメントです。
能登さん:今年一年祈ることしかないことが多過ぎたようですね
竹葉さん:注連という漢字は知らなかったのですが平仮名ではない所が締まりがあっていいと思いました。
千香子さん:あまりに大きなことが多すぎた年でした 来年こそは
麗子さん:何もできなくて祈ることしかできないことが世の中にはたくさんあります。遠き戦地のことも災害地のことも、個人的なことも。来年は少しでもいい年になるように祈りをこめて注連飾りをする丁寧な暮らしぶりが伺えます。
丁寧に暮らしているといえば麗子さんもそのおひとりでしょう。新年のお写真を拝見しましたが年神さまを迎える用意は素敵です。
その麗子さんの句
決断を認めてくれる冬の虹
能登さん:冬の虹が「その決断でいいのよ」と言ってくれた、と思う乙女心?でしょうか。
亜子さん:冬の虹は空気が冷たいので鮮烈な印象を受ける。重い決断とくっきりした冬の虹が響き合っている。
他に遅足さん、晴代さん、童子さんもとられています。
「虹」だけならば夏の季語ですが、季節によって印象が変わりますね。
575の会の兼題にもなった「秋の虹」は色が淡くてすぐに消えてしまう。
「冬の虹」は時雨の空に出たり、荒海の暗い海から立ち上ったりします。作者は重くて辛い決断をしたのでしょうか。
大阪におられるお父さまのお見舞いの帰りに見た虹を詠まれたとききました。
ちなみに春の虹は、春初めに立つ虹で「初虹」というのがあります。綺麗な響きですね。
晩春の季語になり、夏も近いよという明るさがあります。七色だけに虹にはいろいろな顔があります。 郁子
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます