575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

記憶には積もらぬ一日(ひとひ)重ねつつ我が晩年は光のおもさ    遅足

2014年05月17日 | Weblog
先日の心の花・名古屋歌会に提出した一首です。
ご多忙のなか出席された伊藤一彦先生の姿が。
 
最後の「光のおもさ」は、半数の人は良いと感じても、
他の人達は、納得できないでしょう。
問題作ですね、と評して下さいました。

歌に必要なことは「ワンダーとシンパシイ」
読者が「?」と感ずる謎。
そして「そうか」と分かってくれる共感。
この歌には共感の部分が弱い、つまり一人よがりですね。

俳句も全く同じですね。
選句のモノサシは「発見と共感」と言った先輩もいました。

最後の七文字はどうしたら良いでしょうか?
宿題を頂きました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吹割の滝やいずこに魚の道   遅足 

2014年05月16日 | Weblog
日光への途中に立ち寄ったのが、吹割の滝(ふきわれのたき)。
群馬県沼田市にあり、高さ7メートル、幅30メートル。
片品川が、岩質の軟らかい部分を浸蝕、大きな割れ目が出来ました。
それが吹き割れたように見えるところから付けられた瀧の名。
近くには鱒飛びの滝もあり、魚は滝を上っていくのでしょうか。

かなり滑りやすい川床で、注意を喚起するアナウンスが。
今にも雨が降り出しそうな気配。
東洋のナイヤガラのしぶきを浴びてきました。






    
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里帰り中、麗

2014年05月15日 | Weblog
86才と82才の両親。
今のところ二人でなんとか元気に暮らしていますが、里帰りの度に両親の衰えに気づいてしんみりしてしまいます。
何度も同じことをいうしなかなか私の注意に耳を傾けてくれません。
これが二人の流儀と言われると返す言葉なし。
実家に帰ると母が昔の写真を出してきます。
懐かしい昭和の写真。万博に行った嬉しそうな私と兄の姿がそこにありました。

薫風や昭和の時代めくりけり


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月句会近づく      遅足

2014年05月14日 | Weblog
5月も、もう中旬。天気がよければ夏のような暑さ。
そして強い紫外線。サングラスの出番・・・、
ということで今回の題詠は「サングラス」です。

サングラスは「かけて」あるいは「外して」一句。

  サングラスかけて京都の旅にでる  丸山友昇

  サングラスはずしてからの国訛   長谷川栄子

  少しだけ悪ぶってみるサングラス  岡本久一

普段の自分から、少し外れてみようとする句など
色々な句があります。

  サングラス似合はない人似合ふ人  山家弘子

歳時記に載っている有名な句。

  沖雲の白きは白しサングラス    瀧春一

かけても、白は白いという発見の句。

どんな句が集るのでしょうか?楽しみです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2通の所感   鳥野

2014年05月13日 | Weblog
旧聞になりましが、中日新聞の4月29日朝刊を手
にして、驚きました。
一面トップから、3ページにわたって「学徒兵もう
一通の遺書」の特集。

戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」に載せら
た木村久夫の遺書に、もう一通が見つかったという
のです。
それは「哲学通論」の余白にびっしり。前の分では
削られていたり、加筆訂正されていた箇所も明らか
に。軍部を批判した部分の削除、辞世の歌の入れ替
えなど、驚くことばかりです。
評論家の保阪正康氏は「国民的遺産」とまで書いて
います。

父親への遺書では、先立つ不孝を詫び、別れの挨拶
を書き、辞世の歌を添えて。

思い出すのは長い所感を残し、沖縄の海に散った特
攻隊員上原良司のこと。「明日は自由主義者が一人
この世から去って行きます」と結び、出身地のあづ
み野池田町には、碑が建てられています。

 ・ 風も凪ぎ雨も止みたり爽やかに朝日を浴びて
   明日は出でなむ         木村久夫

 ・ 春雨や思ひ捨てたる身もぬるる  上原良司


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子に迷ふ道は親子の別れ道

2014年05月12日 | Weblog

義太夫「傾城阿波の鳴門・巡礼歌の段」の一節です。

「父親の十郎兵衛、母様はお弓と申します・・・」
子供の頃ラジオでしょうか?テレビだったでしょうか?
このフレーズ、記憶にはっきりと残っています。

昨日、愛知県図書館で義太夫の上演がありました。
知立市に伝わる山車文楽。
その人形浄瑠璃を支える義太夫の公演。
大夫も三味線も女性です。
聞き覚えた語りとあって、すぐに物語の世界に。

巡礼を実の子と知った母。
名乗ろうと思いますが、夫とともに追われる身。
名乗っては子にも類が及ぶ、と堪えます。
母と知らぬ子はめんめんと母恋し、と訴えます・・・
しかし母は心を鬼に、名乗らぬ決心を固めます。
いや、ここで別れたら、もう会えないかも知れぬ・・・
子を連れ戻そうと走り出す母。

感情はせき止められ、せき止められて・・・。
繰り返しの果てにカタルシスがやってきます。

なぜ古臭い物語に大人は涙を流して喜ぶのか?
子供の頃は不思議でした。
老人になった今、久しぶりに聞いて見ると・・・
感情の遊びを楽しんでいる自己を発見しました。

昔の人たちも感情の遊びを楽しんでいたのかも。
と、すればかなり高級な遊びではないかな?と思いました。

                    遅足




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雷神と語りたまふや御神君   遅足

2014年05月11日 | Weblog
「日光を見ずして結構と言うなかれ」とか。
念願の日光見物に行ってきました。
2泊3日のパック旅行。
1日目は草津温泉、翌日は日光へ。
中禅寺湖に着いた頃から雨。急激に寒くなって。
華厳の滝もそこそこに東照宮へ。
雨はしだいに激しく、気温も低下。
傘を差しながら、震えて・・・拝観。

神君・家康公の廟には、現在も徳川家の子孫が
昔通りに、参拝されているそうです。
拝観を終わった頃には雷も止み、
杉木立を通して5月の光が差し込みました。
東照宮が金色に・・・。

  あらたうと青葉若葉の日の光

この芭蕉さんの句を思い出しました。

鬼怒川に宿泊。翌日、スカイツリーのあるソラマチ、
浅草を観光して名古屋へ、強行日程でした。
少々疲れました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手を冷やし息を切らせて春の闇   童子

2014年05月10日 | Weblog
待ち合わせの時間に間に合うだろうか?
まだ春寒の夜を息を切らせて駆ける。
ふと手の冷たさに気付く・・・
動詞をふたつ続ける場合は、要注意。
句がリズムを失って、だれてしまうことも。

 冷えし手や息を切らせて春の闇

と、一度切ることも出来ます、と亜子さん。
駆けつけて手に手を取ると・・・お互いに冷たい手。
春の闇。二人にとって温かいものでありますように。

                

ところで、「冷えし」の「し」は過去を表す言葉です。
この句の場合現在完了として使われています。
文法的には誤りとされています。
しかし、今では現在完了として使う例が多く、
誤用もみんなが使うようになれば正しいとされます。
いずれ誤用ではなくなる時代が来ると思いますが・・・
どう考えたら良いでしょうかね?

                   遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花子とアン   麗

2014年05月08日 | Weblog
毎朝楽しみにしているのが連続ドラマ「花子とアン」。
自称「アン子」の私、中学の頃夢中になって呼んだ「赤毛のアン」シリーズ。
アニメも大好きで毎週楽しみに見ていました。

翻訳家の村岡花子さんのことはこれまであまり知らずにいましたが、今回ドラマのおかげで関連本を何冊かよみ、現在高島屋で開催中の「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」にも昨日行って来ました。

なんと!偶然にも、ドラマの原作者で花子さんのお孫さんの村岡恵理さんも会場にお越しで、トークショーを聞くことができました。
恵理さん、とても上品な美しい方でした。
おばあさんはご本人が11ヶ月の赤ちゃんの時に亡くなっているので全く記憶はないそうですが、花子さんの評伝を書き、東京大森で「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」をお姉様と運営されています。

展覧会はアン好きの奥様方で大にぎわい。恵理さんのトークも会場の隅で立って行われ、ぎゅうぎゅう詰め。改めてドラマの力を見せつけられました。

さて、会場では花子さんが戦前放送していた、NHKのラジオの子供向けのニュースを読んでいる音声と映像がありました。
「全国のお小さい方々、ごきげんよう~」で始まります。
5歳で一人息子を亡くした花子さんは、子供のための図書館や放送などさまざまな活動をされていました。
そして、1952年、59歳の時に赤毛のアンを刊行します。
以降、日本でアンは大ブーム。花子さんのおかげで私のような「アン子」が誕生したわけです。
「戦時中に翻訳を続けてくれてありがとうございます」と感謝を捧げたくなる展覧会でした。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛む手を擦り行く末思う朝    智恵

2014年05月07日 | Weblog
朝起きると手が痛い。思わず手を擦る。
しばらく時間が経つと痛みは気にならなくなるが・・・。
病院に行ったほうが良いだろうか?
ひょっとして・・・と、行く末を思ってしまう。
私も右を下にして眠ると肩から腕が痛くて目が覚めることも。

いや、読み違いかな?

朝、ついつい子供を打ってしまった。
こちらの手も痛い。
手を擦りながら、子の行く末を考えてしまう。

手が痛む。その手を擦るのも手。
人間にとって手はとても大切。
手=人間と言っても良いくらいです。

手を出す。手が足らない。手に余る。手を切る。手に入れる。
手の内。手下。上手。手段。山の手。手料理。手帳。行く手。名手。
などなど・・・

写真は蜜柑の花です。柑橘類独特の香りに虫も。
今年は沢山実がなってくれますように・・・    遅足




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中日歌壇に宗匠   鳥野

2014年05月06日 | Weblog
中日歌壇の欄に、宗匠の作品が載らない週は物
忘れしたみたい。寂しいのです。
その思いが届いて、今週はまたまたの首位。

 ・ 水底は永遠(とわ)に夕焼け鳰鳥の浮か
   びてあかき声を放てり

選者小島ゆかりの「評」
 
鳰鳥はカイツブリの古名。芭蕉はかつて鳰の声
を「しろし」と表現しましたが、この作者は鳰
鳥の「あかき声」と言う。「水底は永遠に夕焼
け」がシュールで見事。

羽色も姿も地味で目立たない鳰鳥。けれど、潜
水の名手。深々と潜った底まで、夕日の赤い色
は届いているに違いない。鳰が赤い声で啼いて
いるのだから。
枯れることのない若い感性。際やかな松田ワー
ルドです。
             鳥野   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喋る犬足ではなくてこれは手だ  狗子

2014年05月05日 | Weblog
中七と下五は犬のセリフと読みました。
そういえば「お手」と言って前足を要求しますね。
犬も足じゃなくて手だと知っているのかも・・・
季語はありませんが、時事を踏まえた面白い句です。

テレビのCMに登場する犬。お話が出来ます。
最近のNHKの時代劇でも、犬が語り手です。
いずれも日本犬ですね。
この日本犬、オランダなどベネルクス3国で大人気のとのこと。
きっかけは、映画『Hachi 約束の犬』。
子どもと一緒に観た大人たちが、忠犬・ハチこそ、犬の中の犬、
と熱烈なるファンを増やした理由だそうです。

            

今日はこどもの日。残念ながら雨模様です。
昔の空には鯉のぼりや鍾馗さんを描いた幟旗が。
少子化のためか?最近は少なくなってきました。
その代わり、使われなくなった鯉幟を集め、
川岸などで、一斉に泳がせる観光地が増えています。

半世紀もしたら、5月の空には何が泳いでいるのでしょうね?

                     遅足



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手櫛してネクタイ締める四月かな すみ

2014年05月04日 | Weblog
4月の新年度始めといったところ。
気構えと促す読み手でしょうか?、と結宇さん。
新入社員の朝、時間がない、急がねば、と鳥野さん。

手櫛という言葉。
これまで余り使ったことがないという人。
いや子供の頃から知っていたという人。
私は不勉強で知りませんでした。

新入社員。
ネクタイの締め方も、まだ、ぎこちありません。
髪も気になります。
鏡を前にした息子の姿をついつい見てしまう・・・
4月。家族の温かな目を感じさせる良い句です。

もう5月。
少し仕事の様子もわかり、出勤も余裕を持って。
手櫛は変らないかな?
ちょっと困った時は空を見上げて下さい。

           

昨日、名古屋市公会堂であった護憲集会に行ってきました。
小熊英二さんのお話。
困った人たちの受け皿となる人が少なくなっている。
少数の人達の支持で政治が動かされているとのこと。
したがって不満は政治的な出口を塞がれたまま。
世の中にたいする不満がマグマのように蓄積されている。
働く人のモラルも次第に低下・・・
食品の安全も危うい。そんな兆候があちこちに。
日本も安全はお金で買わねばならないようになる。
10年先は、そんな日本が待っていると、何回も。

公会堂の周りには機動隊。右翼の大声が聞こえてきました。

                    遅足





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もみじ手の我に似ており菫咲く   能登

2014年05月03日 | Weblog
野原のような公園で幼子を遊ばせているのでしょうか?
何かを握ってきた子が、ほらと、手を広げてみせます。
手の中には虫?花?
その時、手の形が自分にそっくりなことに気付きました。
血を感じたのでしょう。

菫咲く、という下五。
文字通り菫のような可愛い女の子でしょうか?
嬉しい春の一日です。
とても良い発見の句です。

上五の「もみじ手の」は「もみじの手」で良いのでは?

               

今日は憲法記念日。
中日新聞の一面の見出しは「平和憲法 崖っぷち」です。
安倍さんは、憲法に手をつけずに日本が戦争をできる国にしようと。
世論調査などでは過半数が反対。

一国の総理の考えで憲法を変えるのは考えられない暴挙。
でも余りプロテストの声は聞こえてきません。
自治体のなかには護憲の集会の後援を断っている所も。
一体、どうなっているのでしょうね?

もみじの手が銃をもつような時代が来ないように。

                      遅足



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜蘂哀しみふわり手の中に   えみ

2014年05月02日 | Weblog
花弁が散り、蕊が降り、やがて虫の番。
という摂理、と鳥野さん。

花びらが散ったあと、残った蕊も落ちます。
落花とはまた違った趣があります。
地に落ちた蕊を手に・・・
思っていたより柔らかく、雨に湿ったような感触が。

手の窪のなかに置いた作者。
その思わぬ軽さに命の哀しみを感じました。
生きていること、そのことの哀しみでしょうか?

桜蕊降る、は、花びらのあと、蕊を降らせ、葉桜にという
季節の変化を細かな感覚で捉えた季語のひとつ。
「哀しさ」というニュアンスが含まれています。

  桜蕊降る空っぽの車椅子  石山汀女   

蕊の軽さか湿りとかに注目されると、
哀しみと言わずに、良い句が出来ると思います。

                     遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする