父の歌集「永遠と木草」(昭和59年)-古き街道-」より
江州へ向へる古き街道に 晩夏の光あかあかと差す
馬繋ぎし鉄環錆びて残り居り 旧街道沿ひの家の柱に
保坂みち早や萩咲けりむらさきの濃き花の萩垂れ靡(なび)かふ
私は昨年の晩夏、父と歌友の中山三郎さんが行った琵琶湖周辺の一部
を車でたどってみることにしました。
父の歌に出てくる好物の鰻を食べた食堂 「西友 ( にしとも ) 」は、
JR湖西線近江今津駅裏の商店街にあり、私も帰省の際、よく立ち寄り
ましたが、今は腎臓病のため、断念しました。
今津のまち近江のうみがちかぢかと 波たてて居り家並の裏に
平らかに琵琶のたたふる はたてにて 低き山脈昏れなんとせり
夕闇に比良山没し暮れ残りゐる みづうみの面はしづけし
みなかみの近江の山の見え来る 土手に坐りぬ枯草敷きて
久しぶりに見る琵琶の湖 (うみ) 今津家並みの裏にさざ波もなく
近江今津の湖畔沿いの古い家並みから見える湖を詠んだ場所を探しま
したが、なかなか見つからず、やっと一ヶ所、それらしい所を写真に
撮りました。
そういえば、この辺り高島郡 (今は高島市)は、かって江戸時代、その
一部 (今の新旭町木津 など)が 、若狭小浜藩に属していました。
私が生まれ育った小浜市は福井県の嶺南にありますが、嶺北の県庁
所在地 福井市には、今だに行ったことがありません。それに比べて、
近江は私にとって馴染みがありました。
中学生の頃、父と自転車で山を越えて近江今津まで行ったことを思い
出します。
写真は滋賀県高島市近江今津の湖畔沿いの家並から見た琵琶湖。
白鳥が飛んでいったのですが、カメラに収めることができません
でした。
昨年、遅足さんご夫妻の紹介で、牧水研究の第一人者 伊藤一彦氏の斡旋
で牧水の生誕地 宮崎県の県立宮崎図書館に父 所有の短歌誌「 創作 」
878冊を寄贈しました。
この件に関連して、今月6日、新館創立30周年記念の式典で感謝状を
いただきました。
遅足さんご夫妻に御礼申し上げます。
近江今津の古い家並みから琵琶湖を望む。
白い鳥が湖面を横切ったのですが、撮れませんでした。筆者 撮影
最初の3首は熊川宿でしょうか?そして5首は琵琶湖を詠んだ歌。
今津のまち近江のうみがちかぢかと 波たてて居り家並の裏に
この歌をはじめ皆、見たことのある琵琶湖の景色。
お父様の歌は、写真よりもこころに残ります。
言葉による写生の技ですね。とても真似できません。遅足