575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

名物栗きんとん一口でぱくり

2018年10月16日 | Weblog

静荷さんの句です。
名物栗きんとん、で8音。一口でぱくり、が7音。15音。
これ以上、加えることも引くことも出来ないギリギリの表現。
子供のようです。

  世間は広いぞ厠に居つく鉦叩

これも静荷さんの句。

天地に唯我独尊、自在に遊ぶ境地ですね。(遅足)


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隠れ家のアンネが闇に幻視せし一つに遠き蛍のひかり  遅足

2018年10月15日 | Weblog

あなたの周りに残されたすべての美しいものを考える事で幸せになろう。
アンネフランクの残した言葉です。





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父、竹中 皆ニの短歌から ~ 琵琶湖へ ② ~竹中敬一

2018年10月14日 | Weblog

父の歌集「永遠と木草」(昭和59年)-古き街道-」より


  江州へ向へる古き街道に 晩夏の光あかあかと差す


  馬繋ぎし鉄環錆びて残り居り 旧街道沿ひの家の柱に


  保坂みち早や萩咲けりむらさきの濃き花の萩垂れ靡(なび)かふ


私は昨年の晩夏、父と歌友の中山三郎さんが行った琵琶湖周辺の一部

を車でたどってみることにしました。

父の歌に出てくる好物の鰻を食べた食堂 「西友 ( にしとも ) 」は、

JR湖西線近江今津駅裏の商店街にあり、私も帰省の際、よく立ち寄り

ましたが、今は腎臓病のため、断念しました。


  今津のまち近江のうみがちかぢかと 波たてて居り家並の裏に


  平らかに琵琶のたたふる はたてにて 低き山脈昏れなんとせり


  夕闇に比良山没し暮れ残りゐる みづうみの面はしづけし


  みなかみの近江の山の見え来る 土手に坐りぬ枯草敷きて


  久しぶりに見る琵琶の湖 (うみ) 今津家並みの裏にさざ波もなく


近江今津の湖畔沿いの古い家並みから見える湖を詠んだ場所を探しま

したが、なかなか見つからず、やっと一ヶ所、それらしい所を写真に

撮りました。


そういえば、この辺り高島郡 (今は高島市)は、かって江戸時代、その

一部 (今の新旭町木津 など)が 、若狭小浜藩に属していました。

私が生まれ育った小浜市は福井県の嶺南にありますが、嶺北の県庁

所在地 福井市には、今だに行ったことがありません。それに比べて、

近江は私にとって馴染みがありました。

中学生の頃、父と自転車で山を越えて近江今津まで行ったことを思い

出します。


写真は滋賀県高島市近江今津の湖畔沿いの家並から見た琵琶湖。

白鳥が飛んでいったのですが、カメラに収めることができません

でした。


昨年、遅足さんご夫妻の紹介で、牧水研究の第一人者 伊藤一彦氏の斡旋

で牧水の生誕地 宮崎県の県立宮崎図書館に父 所有の短歌誌「 創作 」

878冊を寄贈しました。

この件に関連して、今月6日、新館創立30周年記念の式典で感謝状を

いただきました。

遅足さんご夫妻に御礼申し上げます。

 近江今津の古い家並みから琵琶湖を望む。
 白い鳥が湖面を横切ったのですが、撮れませんでした。筆者 撮影

             

最初の3首は熊川宿でしょうか?そして5首は琵琶湖を詠んだ歌。

 今津のまち近江のうみがちかぢかと 波たてて居り家並の裏に

この歌をはじめ皆、見たことのある琵琶湖の景色。

お父様の歌は、写真よりもこころに残ります。

言葉による写生の技ですね。とても真似できません。遅足



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足元をたしかめて歩く病棟はふたしかな船秋をただよう 遅足

2018年10月13日 | Weblog

ベッドから起き上がってもOKという状態になると
病棟の廊下を歩く訓練を始めました。
一週間も寝たきりでいると、足腰が弱くなってしまいました。
そのうえお尻の筋肉痛も・・・
転ばないように点滴用のスタンドを杖に一歩一歩。

廊下を回りながら、歩いているうちに気の付いたことがあります。
両側に病室が並び、真ん中に看護師さんらスタッフの部屋がある・・・。
これは客船の配置とよく似ています。
客船も両側に客室、真ん中がスタッフルームに。

病棟のなかだけの散歩でしたが、買い物もOKとなりました。
そして10月5日、退院となりました。
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捨てられる数限りなき緑の手ひとつは我を癒せし手なり  遅足

2018年10月12日 | Weblog

現代の病院は耐性菌との闘いという側面もあり、
院内感染の防止にも最大限の注意が払われているようです。
看護師さんたちは皆、腰に消毒液のスプレーを携帯。
手当てをする時も、みどり、ピンク、ブルーの手袋が使われ、
使用後は直ちに廃棄されていきます。

小学校5年生の時、盲腸炎の手術をうけました。
たしか手術器具は煮沸消毒だったと思います。
医学の進歩は素晴らしいですが、様々な使い捨ての器具が
裏で安全を支えているのですね。

 病室にひとり揺れいるエプロンは廃棄処分の刻を待ちおり

         

すっかり秋らしくなりました。寒いくらいの朝です。

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ざくろ   麗

2018年10月11日 | Weblog
写真は、星野富弘さんの「鈴の鳴る道」という花の詩画集からの「ざくろ」です。
星野さんは事故で手足の自由を失い、口に筆をくわえて詩画を描き続けておられます。

中学校の先生だった星野さんは24歳の時、クラブ活動の指導中に宙返りをして首を痛め肩から下が全く動かなくなりました。病院での絶望の日々。でも口に筆をくわえて一文字を書くことから始まり、身近な花への関心とともに絵を描き始めました。星野さんの花々をみつめる優しいまなざしと言葉には頭が下がります。そして一日一日大切に過ごすことを教えられます。72歳になられた星野さん、お元気でいらっしゃるでしょうか?

「ここは何かの中ではないでしょうか
木の実の中の一粒の種のように
ある日空がぱっかり割れて
そこにあなたの顔があるような
そんな気がしてならないのです」


ちょっと心が弱った時、人生のでこぼこ道にさしかかった時、星野さんの絵や言葉はお薬のように心に染み渡ります。
今月の句会のお題は「ざくろ」です。なかなか目にする機会がないのですが、なんとかひねり出さなければ。

           実石榴や生命力の発露なり   麗
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眩暈とは脳の発する言葉なり 小さく朝の挨拶がある  遅足

2018年10月10日 | Weblog

最初から悩まされたのが眩暈です。
50代に一時的に眩暈が現れたことがありますが、
今回は、ちょっと頭を動かすだけで目が回るのです。

先生は慣れるしかないよと、まことにそっけない返事。
薬をもらいましたが、言葉通り、まったく効果はありません。
麗子さんから、大丈夫、治るというメールが来ました、と妻。
励まされました。

日にち薬とはよく言ったものです。
退院後は注意していることもあって、眩暈クンは静かです。
大抵のことはしても良いのですが、痙攣と眩暈は要注意!
救急車を呼んで来院するようにとのこと。

         

補聴器の修理に往復タクシーに乗りましたが、
加速や減速に頭がついていきません。
もう車の運転は出来ないかな?
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しろがねの裸身に金の蜜を塗り王を救いし王妃の歓び  遅足

2018年10月09日 | Weblog

回復期に入ると、幻覚と現実の入り混じった世界が現れてきます。
これは観無量寿経というお経のなかにあるエピソード。
インドのマガダ国の太子が、父である王を牢獄に閉じこめ、
食べ物を与えることを禁じます。
王の身を案じた妃は、からだに蜜を塗るなどして食べ物を与えた、
というお話を踏まえたものです。

ふと、妃は、性の歓びをも感じていたのでは?という気がしたのです。
それまでは考えたこともありませんでした。
現実の枠組みを構築している倫理観を幻覚クンが壊したためでしょうか?

  頭骨のなかは空っぽ明るくて耳より見れば男逃げゆく

  満天の星の葡萄は実りたり天に近づく黒き手袋

やがて幻覚が消える時がきました。

  文字盤のすっきり読める朝より幻覚クンは消えてしまえり

           

幻覚クンのおかげ?で、こんな歌が出来ました。

  うすべにの裸身に秘めし金の蜜 虫に吸わるる花のよろこび
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ぞろぞろと壁這いのぼる黒き虫 死後経文と化すは哀しき  遅足

2018年10月08日 | Weblog

絶対安静となると、変なモノを見るようになりました。
無数の黒い虫が壁を上へ上へと這い上っていきます。
次第にゆっくりとなり、3日後にはまったく動かくなりました。
死んだように壁にへばりついている姿は、お経の文句のように見えました。

看護婦さんに聞いて、幻覚と知りました。
現実ではなく、イメージだと分かっているので楽しんでいます、
と話したら、変った方ですね、と笑ってみえました。
こんな幻覚もありました。

 湯気の立つ春の野菜に埋もれたる黒き山羊あり白き山羊あり

虫が動かなくなったのは、脳漿の海に浮かんでいた脳が少し安定を取り戻し
回復してきた兆しなのかもしれません。

一番怖いのは、頭骨の割れ目から脳漿が漏れて来ることで、先生から
鼻の奥から透明な液が漏れてきませんか?と何回も聞かれました。
幸い、大丈夫のようでした。

 頭骨のなかに愉快な海がある ひょっこりひょうたん島を浮かべて




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父、竹中 皆ニの短歌から ~琵琶湖へ①~竹中敬一

2018年10月07日 | Weblog


父の歌集「しらぎの鐘」(昭和57年)より


 逝く夏の木草の青の衰へを云ひつつわれ等保坂超え来ぬ


 季(とき)の移ろひ最もあはれを覚ゆるは年年にして夏の逝くころ


 夏は逝く 中山三郎と共に来て近江今津の鰻を喰らふ


 近江路へバス下るとき 山峡の柿の古木に柿すずなりぞ


父は平成6年、92歳で亡くなるまで、生涯で7冊の歌集を自費出版しています。

どの歌集にも琵琶湖へ行った時に詠んだ歌が数首 出てきます。

若狭から琵琶湖へ行くには、若狭街道で水坂峠 (280 m) の分水嶺を越えて

保坂 ( ほざか )の集落を通り、近江今津へ出るコースが昔から開けていました。

今は若狭と近江を遮る山々にトンネルが貫通して、便利になりましたが、

以前は" 保坂越え " と言って、難所が待ち受けていました。

国鉄バス (今はJ R バス) がこのルートを小浜から近江今津まで走っています。

父は第4歌集「永遠と木草 」 ( 昭和59年 )の後記で琵琶湖へ行った時の

思い出を記しています。

「 …余りバスを利用して用事も無さそうな私を、バスの運転手に怪しまれた

事もある。私一人では心もとないので中山三郎さんに来て貰って保坂を越え

近江今津に行き、更に琵琶湖畔、木ノ本、更に余呉のうみあたりまで出かけた

事も一度や二度では無い。」

父の歌友、中山三郎さんは大正3年 (1914)、福井県大飯郡高浜町のお生まれ、

19歳の時、若山牧水の短歌結社「 創作社 」に入会。96歳で亡くなられるまで

農業を営みながら短歌の道を歩まれました。

夏場は海水浴客で賑わう若狭和田の公園には 歌友によって、中山三郎さん

の代表作を刻んだ歌碑が建てられています。


 若狭湾 奥まりに吾れの八十年 農のくらしの春夏秋冬


父と中山さんは近江今津でバスを降りると、これといった当てもなく、あたりを

散歩したようです。


 写真は滋賀県高島市を流れる安曇 (あど) 川 。
 上流の果て 遠くに見える山々を越えれば、もう若狭。
 望郷の念しきり。筆者撮影

         

竹中さんからお見舞いをかねて御父上の歌が送られてきました。

とくに 

  季(とき)の移ろひ最もあはれを覚ゆるは年年にして夏の逝くころ

この歌のような季節の移ろいを捉えた微妙な感覚が身にしみます。

               ありがとうございます。遅足
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退院しました。   遅足

2018年10月06日 | Weblog
昨日退院しました。事故があったのは9月18日。
薬屋さんから歩いての帰り、小さな十字路で車同士が出合い頭に衝突。
スローモーションの映像を最後に・・・何も覚えていません。

  「・・・お名前は?電話番号は?ナニガオコッタノダ?・・・」

救急車のなかで呼びかけられたことのみ記憶にあります。

  わが脳の記録装置は激突の一秒前にて消えてしまいぬ

どうも出合い頭にぶつかった2台のうちに一台にはねられたようです。
事故の巻き添えをくったと理解できたのは、かなり時間が経ってからでした。

お昼前に救急車で八事日赤へ手当てが終わったのは午後7時だったそうです。
それから10月5日まで18日間の入院生活でした。

お見舞いのメールやお手紙、ありがとうございます。
まだ赤ん坊同様の状態ですが、あとは日薬と思い、リハビリニ励むつもりです。

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虫の音のふととぎれたり風よりもやわらかく死のくる夜もあり

2018年10月05日 | Weblog
なんとか今日退院になるようです。あとは日にち薬で、焦らず、慌てず、諦めずやっていきたいとおもいます。まだまだ右手が痛いと言って、ほとんど使えないし、歯も直してなくて柔らかいものしか食べられず、しばらくはおさんどんが大変です。皆さんにご心配いただきとても感謝しております。   佐保子
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母の願い   麗

2018年10月04日 | Weblog
この写真は、母の故郷大分県国東市にある黒津崎海岸です。先日の大分の旅で久しぶりに訪れました。
夏の終わりには誰もいない海。でもそこには、子供の頃海水浴に行った懐かしい浜辺がありました。黒々とした岩に打つ寄せる波。ぼーっと海を眺めているだけでゆりかごの中にいるような不思議な気分。なんだかとても癒されました。

亡き祖母はこの浜を愛し何度も訪れ短歌にも詠んだようです。そして同じように母もこの浜で貝拾いをするのが好きでした。

あさって、母が施設から半年ぶりに家に戻って来ます。2週間家で過ごすとまた再入所できるのですが、ここへ来て母が家で過ごしたいと訴えるようになりました。

90歳の父もその母の願いを聞き入れようと面倒を見ると言いだしました。ヘルパーさんに入ってもらうのはかたくなに拒否し、できるところまで自分でやると。
老親の願いを叶えてあげるべきかどうか悩むところです。

入所前に母が詠んだ短歌です。

    父母の眠るふるさとこの足で歩いてみたいよろめきながら  如月

よろめきながらでも夫婦ふたりで生活する方がいいのでしょうか?亡き祖母に聞いてみたい気分です。

         秋の海祖母の面影見たような   麗
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仰向けに雲とくらして九月去る  遅足

2018年10月03日 | Weblog
早く右腕のギブスを取り去ってもらいたいもの。重たいそうで、左手で抱えて歩いています。顔や頭の抜糸も済めば、頭が洗えるのにと、待ち遠しいです。  佐保子
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秋暑し仰臥七日の筋肉痛  遅足

2018年10月02日 | Weblog
お医者さんからなるべく動く様にと言われ、廊下だけでなく階段を上がったり、1階の喫茶店にパジャマのままで紅茶を飲みに行ったりしました。久しぶりのミルクティーだったのに舌の変化のせいか、おいしいと思えなかったそうです。   佐保子
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