【原文】
二十九日。大湊に泊まれり。
医師ふりはへて、屠蘇、白散、酒加へて持て来たり。志あるに似たり。
医師ふりはへて、屠蘇、白散、酒加へて持て来たり。志あるに似たり。
元日。なほ同じ泊なり。
白散を、ある者、夜の間とて、船屋形にさしはさめりければ、風に吹きならさせて、海に入れて、え飲まずなりぬ。芋茎、荒布も歯固めもなし。かうやうの物なき国なり。求めしもおかず。ただ、押鮎の口をのみぞ吸う。この吸う人々の口を、押鮎、もし思ふようあらむや。「今日はみやこのみぞ思ひやらるる」「小家の門のしりくべ縄の鯔の頭、柊ら、いかにぞ」とぞいひあへなる。
【現代語訳】
二十九日。大湊に停泊。 土佐の国の医師がわざわざ、屠蘇、白散(漢方薬の一種)に加えて酒をもってやってきた。好意があるようだ。 元日。依然として大港に停泊している。 白散を、ある人が夜の間だけだということで、船屋形にはさんでおいたのだが、風にふかれつづけて、だんだんずれて海に落ちてしまい飲めなくなってしまった。 正月というのに、芋茎、荒布も歯固めもない。このように物が無いところなのだ。あらかじめ求めてもおかなかった。ただ、押し鮎の口ばかりをしゃぶっている。この吸う人々の口を押鮎はもしかして何とか思うことがあるだろうか。 |
今日は都のことばかり思いやられる。庶民の家の門に飾ってある注連縄の鯔のお頭や柊はどんな具合だろうかと皆で言い合っているようだ。
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。