折り返し点を回ると、今までの向かい風を感じなくなった。
これは走りやすい。
風に押されてこのままの速さでいけるといいなあ、そう思って1km余りを走って行った。
目の前にそびえるは、脇川漁港にかかる脇川大橋。
この橋がコースで最高のアップダウン。
来るときもペースを乱さずに走れたから、大丈夫。
…そう思っていたら、なんだかおかしい。
後ろのランナーに次々抜かれ、ちょっと息苦しくなってきた。
あれ?へんだな…?
今までになかったきつさを感じ始めた。
何度も深呼吸をして、体に酸素を送り込もうとしながら走った。
1キロのラップタイムが5分台から6分10秒台へと落ちてきていた。
折返しまでに抜いた、何人ものランナーに抜き返されるようになってきた。
前半と違って、今度は背後に付いていく余力はなかった。
14㎞付近で、後ろから「やっと追い付いた」という声が聞こえた。
横を向くと、先に行ったはずのSIさんだった。
「いやあ、トイレに寄ったら遅くなってしまったよ」
と言いながら、彼はスマホを取り出して走りながら、2人が収まるように自撮りした。
「いやあ。ちょっとまた胸が苦しくなってきたから、ゆっくり行くよ。お先にどうぞ」
私はそう言って彼に先に行ってもらった。
健脚なSIさんとの距離は、みるみるうちに開いていった。
15kmを過ぎると、だんだん顔を上げて走る元気がなくなってきた。
首を前に傾け、顔を前方ななめ下に向けて走る。
顔を上げるとくるしくなるので、せっかくのさわやかな海の美景もあまり見ずに、ただただ前に進もうと思うようになった。
とにかく、トンネルの前には必ず上りがある。
これがきつい。
前に進みたいのに、自分の思ったスピードで進まない。
当たり前だ、足が動かずピッチが落ちている。
だから、淡々とペースをキープして走る女性ランナーや年輩と思われるランナーにあっさり抜かれていく。
きついけど、前へ。
きついけど、前へ。
そればかり考えながら腕を振った。
行きはよいよい、帰りはこわい。
「通りゃんせ」の歌の通りだなあ…と思いながら進んでいる…つもりだが、まどろっこしい。
まさに今、行きは天国、帰りは地獄。
行きも帰りも同じ道、同じ距離を走っているはずだが、kmの標示がなかなか出てこない。
いくつ目か分からないがトンネルへのきつい上りで、ついに歩いてしまった。
だけど、腕は大きく振った。
そして、思った。
こんなにつらい思いまでして走っているなんて、なんのため?
笑っちゃうよなあ。
つらければ、走らなければいいのだ。
だけど、なんで走っているの?
…よくわからないけどさ、走るのをやめたくないんだよ。
こうやってきつい思いを味わえる。
これも生きているってことなんじゃないか!?
生きていることを実感できているんだ。
すばらしいじゃないか。
そんな自問自答を繰り返しながら、50代で亡くなった高校時代の同級生たちや先日彼岸に訪れたT君たちのことを思った。
笹川流れの最高の景勝地まで戻ってきた。
あと3km。
されどまだ3kmもある。
懸命に進み、あと2km地点を過ぎると、桑川の漁港が目に入った。
右奥の最も遠いところ、あそこがゴールだ。
がんばれ、がんばれと自分を励ました。
いよいよ20㎞地点。
あと1kmだ。
歩いている人もいるが、私は歩かない。
桑川駅のある夕日会館を過ぎると、あと500mほど。
後ろから走ってきて横から抜いて行こうとする女性ランナーと目が合った。
「淡々といいリズムで走れてますね、うらやましい」
と声をかけた。すると、私のアルビユニを見て、問いかけてきた。
「昨日も応援に行ったのですか?」
「はい。残念でした」
「あのレッドカード、もったいなかったですね」
「はい。今の私もレッドカードをもらって、走らされている気分です。どうぞお先に」
なんて会話を交わしながら、先に行ってもらった。
多くのランナーがラストスパートする中で、私は左脚のふくらはぎや右脚の太もも裏がつりそうになって、さらに抜かれて行った。
ようやくゴール。
ゴールゲートに到達したのは、2時間10分を30秒ほど過ぎたところだった。
でも、とにかくゴールしたぞ。
やった。
ひどい記録だけど、ハーフマラソンを完走できた。
ただ、今後もレースに出るためには、いくら体がきつくなるといっても、日頃からもう少しジョギング以外に何か工夫する必要があるな、と思った。
そうしないと、毎度こうして「行きはHEAVENで帰りはHELL」になってしまう。
体はこうして老化していくのだから、そのスピードを緩める方法があるはずだ。
ゴール後、縁石に座り込みながら、完走した喜びと一抹の悔しさを覚えていたのだった。
以上、自己大会最低新記録だったけど、奮闘したつもりの5年ぶりの笹川流れマラソン大会であった。