阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

林芙美子の手紙のモニュメントー壬生川駅

2009年06月18日 | ゲストルーム
JR予讃線の壬生川駅にある林芙美子のモニュメントです。壬生川駅正面 左方向が新居浜。
林芙美子の手紙全文と、解説。

手紙の最後の部分の林芙美子の筆跡の石碑。

Iさん、出勤前に駅に寄っていただき恐縮です。
森光子さんが公演を続けている「放浪記」の原作者ー林芙美子!
彼女は周桑郡の血が体内を流れている半分東予の女なんよね。

若いときはカフェの女給さんやったり、作家になってからは1人でシベリヤ鉄道に乗ってパリまで行ったり、従軍記者やったり、明るくてタフな女性でしたが、若いときから頑張って生きた無理が祟ってか、50歳前に急死したのは惜しまれてならんです。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」は彼女の句らしいです。


websiteから:壬生川は愛媛県中東部、西条(さいじょう)市の一地区。旧壬生川町。燧灘(ひうちなだ)に面し、江戸初期からの港町。松山藩の新田開発に伴って新川を改修して港がつくられ、蔵米積出しでにぎわった。卸・小売業が多く商業の中心地区であるが、現在、JR予讃線壬生川駅前地区に商業の中心が移りつつある。図書館を併設した東予郷土館がある。
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愛媛県西予市宇和町は盆地の在郷町。

2009年06月18日 | 関西あちこち
予讃線の松山駅でディーゼルカーの特急に乗り換えて、伊予大洲駅で下車しました。そこからタクシーで宇和町の東多田に向かいました。予讃線の車窓から見る南四国は緑のグラーデーションがとても綺麗でした。(車窓風景の動画はこちら

この家は宇和島・伊達藩時代からの街道筋に面した大きなお屋敷(元々は商家?)です。歴史的な価値があると思いました。( 律令時代からの伊予国宇和郡の呼称といわれていた宇和町(地区)は、宇和島藩の純農村地帯にある在郷町(ざいごまち=近世の農村に成立した町で、農村にありながらも、城下町に似て一定の商業活動の許された村をいう。)として発展・・全文はこちらのサイト
裏口も頑丈な造りになっています。

友人はこの家の17代目として当地で生まれ、宇和高校を卒業するまでこの家で育ちました。上記サイトに記載されていますが、宇和町の中心地卯之町には明治15年に開校した「開明小学校」が保存されていて、松本の「開智学校」と姉妹館の提携があります。宇和の地も信州と同じで昔から教育を大切にした土地だと知りました。
 母屋から庭を隔てて立つ離れも大きな建物でした。

表の道から家の正面を斜めから見ました。

1996年の6月に亡くなった友人は、この家のま裏にある菩提寺・大梅寺の墓地の中の、
一族の大きな墓所の1画にご両親と共に眠っています。
彼の、時に含羞の色を浮かべる男らしい笑顔を忘れることはありません。

 友人の奥さんに勧められた宇和町の中心地、卯之町の山田屋の饅頭を買って帰りました。自然食材だけで作られた伝統の薄皮饅頭の上品な甘さを堪能しました。家族にも大好評でした。



愛媛県西予市宇和町東多田はここに位置します。
このあたりは昭和36年3月に神戸から高知経由で足摺岬へ一人旅をして、宇和島廻りで帰神した時以来ですから、48年ぶりの南四国でした。

ポインターは大梅寺の山門の位置を指します。

コメント (1)
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