明治時代の貿易商が、工期4年をかけて金に糸目をつけずに作ったという、肱川の臥龍淵を見下ろす崖に作られた山荘に行きました。
一言でいえば、当時の日本人として河内寅次郎という人は、家作という贅沢の中でも最高の贅沢を享受したという感じを受けました。にしても欧州の石造りの豪華絢爛な大建築ではなく、このような自然のなかに紛れてしまうような(西洋の建築から見れば桂離宮と同じく、小屋にすぎないという概念のもの)建物が、日本の大金持ちが目指す最終の別荘のカタチというのも、極東の列島に住む人間らしくていいもんだと思いました。
ただ、侘び?寂び?それが何か?とも、半分くらい思ったのも事実です。
建物の内部は撮影禁止でしたが、こちらのサイトには詳しい画像が多数ありますのでご参考まで。山荘からの見晴らしです。
一言でいえば、当時の日本人として河内寅次郎という人は、家作という贅沢の中でも最高の贅沢を享受したという感じを受けました。にしても欧州の石造りの豪華絢爛な大建築ではなく、このような自然のなかに紛れてしまうような(西洋の建築から見れば桂離宮と同じく、小屋にすぎないという概念のもの)建物が、日本の大金持ちが目指す最終の別荘のカタチというのも、極東の列島に住む人間らしくていいもんだと思いました。
ただ、侘び?寂び?それが何か?とも、半分くらい思ったのも事実です。
建物の内部は撮影禁止でしたが、こちらのサイトには詳しい画像が多数ありますのでご参考まで。山荘からの見晴らしです。