備前の国は昔から釉を使わない「備前焼」や名刀「長船」などでよく知られています。かなり前ですが、神戸から車で備前焼の里を訪ね、
日生で一泊しておいしい魚料理を楽しんだ事があります。
行ってみて豊かな風土・土地柄だなあと実感しました。
備前焼の「末石窯元」のこの建物は新幹線の車窓からも良く見る事ができます。
備前長船の里です。
余談ながら、九州の福岡県の県名は元を辿ると長船町のこの福岡という地名が始まりです。
黒田長政が九州の那珂郡警固村福崎に築城するとき、祖父の代からの領地であった備前福岡の地名をここに移しました。
Halimaoさんこと安田さん、興味深い画像を有り難うございました。いつか旨い魚を食べに日生(ひなせ)へ誘ってくださいね。
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古代、大和朝廷族と拮抗して「吉備王国」を建設していた“吉備人”の地は、文化文明も他に抜きんでた土地柄で、その流れが現代に続いているのか、
小川洋子、岩井志麻子、吉行淳之介、時実新子など相当な数の文芸家を輩出しています。
田辺聖子、遠藤周作、妹尾河童などは大阪や神戸の出身ですが、親はみな吉備の国から出た人たちです。
また「眠狂四郎」という独特の剣士像を創造した小説家の柴田錬三郎も備前市の出です。(岡山県旧邑久郡鶴山村)。
そして自分としても思いがけないことに、阿智胡地亭の相方も(従って子供たちも)、子供たちの相方も、
全員が代を遡れば吉備(備前・備中・備後・美作)の国人の血を引いているのは偶然とはいえ面白いことです。
考えるまでもなく阿智胡地亭は家中でたった1人、東国の山中の高地の民族の出なんですね。