阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

神戸市の滝川第二高校サッカー部全国大会で優勝

2011年01月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事
神戸新聞webから引用:

サッカーの第89回全国高校選手権最終日は10日、東京・国立競技場で決勝があり、
滝川第二(兵庫)が久御山(京都)を5‐3(前半2‐0)で破って初優勝した。


 初めて決勝に進んだ滝川第二は前半、FW浜口孝太のゴールで先制し、
FW樋口寛規が2点目を決めた。後半も着実に加点し、守っては久御山の猛攻を辛くもしのいだ。

 兵庫県勢の優勝は、招待大会だった1946年の第25回大会を除くと、3
8年の第20回大会を制した旧制神戸一中(現神戸高)以来、69大会ぶり。

(2011/01/10 16:10)

2歳で被災、滝川第二浜口主将 努力重ね夢実現 


優勝トロフィーを手に笑顔の滝川第二・浜口選手=10日午後、東京・国立競技場(撮影・村中拓久)

 10日に東京・国立競技場で行われた第89回全国高校サッカー選手権決勝で、初優勝した滝川第二高校。
チームを束ねた主将の浜口孝太選手(18)=兵庫県播磨町=は、2歳のとき、神戸で阪神・淡路大震災を経験した。
記憶はほとんどないが、当時の様子は両親から聞かされ、「亡くなった人の分も頑張らなあかん」とサッカーに打ち込んできた。
その思いが、兵庫勢69大会ぶりの優勝につながったのかもしれない。


 当時住んでいたのは、JR六甲道駅南側の神戸市灘区琵琶町。
61人が亡くなり、家屋の約7割が全半壊するなど甚大な被害を受けた地域だった。

 浜口選手の自宅(木造2階建て)も全壊。2階で浜口選手と寝ていた母あけみさん(49)は、激しい揺れに布団をかぶって耐えた。
顔を上げると、向かいの家の崩れた屋根が見えた。「(自宅の)壁が全部崩れ落ちていた」とあけみさん。
家族4人にけがはなく、月明かりを頼って毛布1枚で家を出た。

 同区内の親類宅へ避難する途中、道端にいる男性から声を掛けられた。傍らには人が横たわっていた。
既に息はなかった。あけみさんは浜口選手をくるんでいた毛布を取り、震える手で男性へ。毛布は遺体にかけられた。

 その後、一家は仮住まい生活を経て、播磨町に転居。浜口選手が神戸に戻ったのは中学時代だった。
高いレベルを求めてヴィッセル神戸のジュニアユースへ入団し、高校は強豪滝川第二高を選んだ。
自宅から通学していたが昨年9月、「サッカーに集中したい」と入寮。生活の拠点も震災を経験した神戸に移した。

 1年前、右足首の遊離軟骨除去の手術を受け、3カ月間のリハビリを強いられた。復帰後も足首は直角に曲がらないが、
「震災に遭い、生きたくても生きられなかった人もいる。サッカーができるだけ幸せ」と前を向いてきた。

 今大会は痛み止めを飲みながらプレーし、決勝も2ゴールを挙げた。震災で後にした神戸。
その神戸の高校でたくましく成長した背番号11が、最高の舞台で輝いた。

(伊藤大介)

「すごい選手たち」 栫裕保・滝川第二監督の話 うれしいが初優勝の実感がない。
FWの2人がいいタイミングで点を取ってくれて、こういう結果になった。とにかくすごい選手たちです。

(2011/01/11 10:40)

コメント (2)
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