阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

阪神淡路大震災の記憶

2011年01月17日 | 身辺あれこれ
                画像は神戸新聞から引用。
箪笥もピアノも食器棚もテレビも全てが瞬間的に凶器になります。
もろに箪笥の下敷きになりました。冬布団のおかげで怪我はありませんでしたが夏だったら危なかったです。寝るスペースの周辺に空間を。

幸い避難所に行かなくて済む範囲の被害でした。行政官庁も被害を受けていて、援助体制が動き出すのに3日間ほどかかりました。

自宅でそのまま暮らすのであれば、3日分の家族分の飲料水のペットボトルと食料、カセットコンロの準備を。

水道ガス電気が止まります。トイレ用の水にたまたま落としてなかった風呂の残り湯があって助かりました。
普段は気にしていない排せつ物の処理は生きている限り食事の課題とセットでついてまわります。

被害
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
死者の内訳は、兵庫県内6,402名(99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名(0.5%)

負傷者のうち重傷者は県内10,494名(98.2%)・県外189名 (1.8%)
軽傷者:県内29,598名(89.4%)・県外3,511名(10.6%)
死者の県内県外の比率から見て県内の負傷者数は混乱の中、正確には数えることができなかったと推定される。

避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模

阪神淡路大震災 Wikipediaより

シリーズ「1995年1月17日 神戸大震災の記録-震災の中の人々-」はこちら  

地震の瞬間、次女の部屋にあった時計。家人がその瞬間に止まった状態で保管していました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諏訪湖に今年は御神渡が出現するかも??

2011年01月17日 | ゲストルーム
ここ数日の寒さで諏訪湖に「御神渡-おみわたり」が現れる可能性が出てきました。
江戸時代以前より御神渡の判定を受け持ってきた諏訪大社の摂社である「八釼神社」の宮坂宮司が
今朝の氷の状態を観察した結果、「可能性が高い」と述べたそうです。

諏訪湖の画像を5分ごとに中継するライブカメラの映像はこちら

 ♪八剣神社は諏訪市小和田(こわた)にあります。諏訪が豊臣軍に占領されていたとき、秀吉の命を受けて配下の武将「日根野高吉」が諏訪湖の中にあった「高島」という島に城を築きました。その城が高島城です。八剣神社は高島の島内にあった島民の氏神ですが、島民が高島から現在の小和田の地に移された時、神社もともに移設されました。 この立ち退きのとき、島民は日根野氏と巧みな交渉を行い、諏訪湖全域の漁業権と、新たに広大な農地を獲得しました。我が家の先祖はこの半農半漁の島民の一人だと聞きます。八剣神社はまた、古来より諏訪大社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖の冬の自然現象“御神渡”を検定し、諏訪大社に出来を報告する役割を担ってきました。小和田に移った住民は、移住以来、藩主(日根野氏が他に移ったあと、諏訪氏が戻り、明治のはじめまで諏訪氏が殿様だった)の支配を受けず、行政は住民の自治によって行われました。諏訪湖から湧く温泉を引いた共同浴場で、裸の住人たちが侃々諤々論議を戦わせ、祭の拠出金や揉め事など自分たちで全てを決めていったそうです。
 私も小学生のころ、夏休みに諏訪に行ったとき、まだ使われていた大きな共同風呂にイトコたちと入った楽しい思い出があります。

♪手長神社は茶臼山にあり、境内から諏訪湖を見下ろしています。高島城が築城されるまでこの地には諏訪氏代々の城がありました。両神社は宮坂清宮司が宮司を兼任しています。
手長神社   八剣神社


◎ 諏訪湖御神渡り「明けの海」奉告 八剱神社
長野日報社 地域 2010-02-20

 諏訪湖の御神渡り神事をつかさどる諏訪市小和田の八剱神社で20日、今季の結果を神前に告げる注進奉告祭があった。神社総代や古役ら約50人が参列。暖冬傾向で御神渡りは出現せず、2季連続で「明けの海」となったことを奉告した。
 同神社によると、「明けの海」は戦後29回目。平成元年以降では16回目となり、昭和の15回を超えた。
 今冬の諏訪湖は1月中旬に広範囲で結氷したものの、寒さは長続きせず、次第にその面積は縮小した。宮坂清宮司は「諏訪の湖は結氷するもやがて解氷し、小波打ち寄せる明けの海にて御渡りござなくそうろう」と奉告。参列者は神事後、御神渡りができた場合に拝観式で使う予定だったしめ縄をたき上げた。
 2004年と1998年に続き、御柱年の出現を願っていた神社総代。宮坂勝太大総代は「残念だが、今年1年が穏やかな年になることを願いたい」。宮坂宮司は「氷点下10度以下の日が1日しかなかった。湖が凍り、御渡りができる自然の偉大さを、明けの海だったことで改めて知らされた」と話した。
 奉告祭に続き、諏訪市の諏訪大社上社本宮で注進奉告式があり、結果を記録した注進状を奉納した。注進状の内容は大社を通じて、宮内庁、気象庁にも報告される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする