阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

青函連絡船だった「羊蹄丸」が東京から新居浜港に回航されています。

2012年05月04日 | ゲストルーム
新居浜の住人Iさんから“青函連絡船のジオラマ”の画像が届きました。
「石川さゆりの『津軽海峡冬景色』の郷愁を誘う歌がピッタリの青函連絡船(羊蹄丸)。いま四国の新居浜港に来ています。
4/29に見学してきました。東京の「船の博物館」で長年保存されていましたが今回、愛媛の社団法人に無償譲渡が決定し、
新居浜市黒島埠頭で6/10日まで見学出来ます。その後は解体されることに決まっています。

 明治41年から運航を始め、昭和63年に廃止されるまで80年の歴史を誇り、延べ1億6000万以上の輸送人員は
同一航路では極めて稀で、世界一の記録とのことです。この羊蹄丸は55隻目に建造され約22年にわたり活躍しました。

羊蹄丸の対岸の東港には神戸、大阪行きのオレンジフェリーが見えます。
思ったよりコンパクトな操舵室でした。

座席数150の立派なシアターもあり「青函連絡船/栄光の航跡」の放映をしていました。

昭和30年頃の青森の市場や駅のジオラマが何だか懐かしい気がしました。厳しい寒さの中で逞しく生活する様子が生きいきと表されていました。






男子店員募集、20才迄、給三千円より(昭和34~35年のサラリーマンはどのぐらいでしたか...)







当時のタマゴは一個15円しておりほとんど今と変わっていない。さすが優等生と言われるのが分かります。

見学者と人形と一瞬わからなくなるほどうまく作られていました。









 4時間もかかる船旅なのでついつい酔っ払う人も多かったようです。

シアターもあり、VIPルームもありで、想像以上に立派な船でした。
しかし、忘れられない悲劇もありました。昭和29年9月夜の台風15号により洞爺丸が転覆しました。
ほかに4隻の沈没も重なり、1430人の犠牲者を出すという思いもかけない悲劇となり、明治45年のタイタニック号に次ぐ
海難史上第二の惨事になってしまいました。

なお、このジオラマは、羊蹄丸が青函トンネル開通により昭和63年に役目を終え長らく東京の「船の博物館」で保存中に
(税金を使っても平気な誰かの提案で)展示用に作ったもののようです。従って羊蹄丸が現役時代にはありませんでした。





羊蹄丸の現役時代の雄姿です。」

☆Iさん、懐かしいシーンを多数ありがとう。ついこの間のことでもありますが、当時は停電が毎日あるのはごく
普通でした。それでもそういうものかと思って暮らしていました・・・・。

コメント (3)
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2012年05月04日 | 花・草・木・生き物
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昨日(5/3)のランチは「オープンハムサンド」

2012年05月04日 | ある日のランチ
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小手毬も盛り

2012年05月04日 | 花・草・木・生き物




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