阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

しまなみ海道の多田羅大橋は優美な斜張橋   伊予の国シリーズ その4

2012年05月31日 | 関西あちこち
1998年に完成した時点では世界最長の斜張橋でしたが、現在は上海に出来た橋に次いで2番目です。







訪ねたメンバーの一人が架橋業者の代表の一人としてオープニングの式に参列したこともあって、この見事な大橋のことを説明してくれました。この後、橋を通って大三島に渡り、大山祇神社の境内に入り、この日の最終目的である神社の対面にある“大漁”に入りました。

 ネットから引用
しまなみ海道の尾道側から4番目の橋で、広島県と愛媛県との県境にかかる斜張橋です。
この橋は完成時には斜張橋として世界最長を誇り、その鳥が羽を広げたような美しい姿は見る者を圧倒します。
また橋の支柱の下で手を叩くと「鳴き竜」と呼ばれる、パーンと乾いた音が反射しながら空に向かって登っていくような現象が体験できます。

基本データ:2012-04-01
住所・場所〒生口島〜大三島(愛媛県今治市) 
【瀬戸内しまなみ海道概要】総延長:約60km(自転車・徒歩の場合は約7 0km)広島県・尾道↓(新尾道大橋)向島↓(因島大橋)因島↓(生口橋)生口島〔瀬戸田〕↓(多々羅大橋)大三島《以下愛媛県》↓(大三島橋)伯方島↓(伯方・大島大橋)大島↓(来島海峡大橋)愛媛県・今治備考【多々羅大橋概要】
橋梁形式: 3径間連続複合箱桁斜張橋供用日: 1999年5月1日全  長: 1,480m中央支間長: 890m
【多々羅大橋を歩いてみよう】瀬戸田PA(下り)または大三島ICから下りたところにある道の駅「多々羅しまなみ公園」から多々羅大橋まで歩いて行けます。世界一の斜張橋を歩いてみよう。「鳴き竜」も忘れず体験してみてね。.
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西条市に住むロシア人のナターリヤさんは愛媛を、日本を、ロシア人に紹介している  伊予の国シリーズ番外編     

2012年05月31日 | ゲストルーム

新居浜のUさんはNYに駐在していたとき、露西亜系アメリカ人のお爺さんと親しくなり、ロシア歌謡とウオッカの虜になりました(たぶん)。
彼はNYから帰国して新居浜に住んでいますが、日本人と結婚して西条市に住むようになったサハリン出身のロシア女性、ナターリアさんとロシア語の縁で知り合いになりました。
 ナターリアさんはサハリン大学を出て、モスクワ大学の博士課程を卒業した言語学者でもあります。ナターリャさんは自分が住む愛媛県のことを郷里のネットサイトや新聞に投稿しています。
その記事と多くの写真は興味深いものがあります。記事の和訳サイトをUさんに紹介してもらいました。こちらです。
クリックするとロシア女性の目に写った現代日本の姿の読み物があります。写真はナターリヤさんが撮影したものの一部です。
 (Uさんが通勤したNYのオフィスは9.11の事件で崩壊した世界貿易センター第一ビルにありました。2回ほど出張で訪ねて50人ほどが乗れる大型エレベーターが高速で乗降するのと、
トイレに行くときにトイレのカギを渡されたのが印象に残っています。

  サイトには以下のような記事が掲載されています。面白いです。
May  20/2012   マイイントピア別子



May  15/2012  日本でのロシアの通信教育  翻訳中
Apr 14/2012   新学期が始まった      翻訳中
Feb 29/2012   誓いのコイン

Feb  8/2012   松山のロシア人墓地
Feb  2/2012   神風特攻隊慰霊記念式典
Jan 31/2012   日本の幼稚園 (トップの画像) 
 
以下は上記のサイトから引用;

ネロノワ・ナターリヤ
 モスクワ国立大学にて言語学博士号を取得したのちサハリン国立総合大学准教授。
1997年にモスクワで知り合った日本人の男性と2000年に結婚し、現在は西条市小松町に在住。 一女一男。
ユジノサハリンスクの新聞の日本特派員として日本の文化をロシアに紹介していた。例えば、西条の「だんじり祭り」、「日本の年間行事」、「日本の教育制度」、などのレポートなど。
娘が小学校に入学するまでの6年間、毎年サハリンに帰り、9月から10月までサハリン国立総合大学で下記の日本にかんする集中講義をしていた。
   「日本文学の歴史」
   日本概論(歴史、伝統、地理、日常生活、日本人の性格、等々)

 *東予地区での活動*
 今治市のタオル製造会社で、ロシアからの機械買い付けグループの通訳として、輸出や技術提携に協力している。
新居浜市で企業の社員や、市民に個人的にロシア語を教えている。
新居浜市の生涯学習大学での講演「日本とロシアの教育についての比較」
―――――――――
*彼女のコメント1*
 日本の社会では、古いものと新しいものがうまく共存している。
しかし、最近、よく観察すると、日本独特の文化だと思っていたものが、日本人に忘れ去られ、その伝統がかえって外国人に継承されていたりして、文化継承の観点から不安に思うこともある。
自分が西条市小松町の田舎町に来てから10年で社会が大きく変わった。 大型店舗ができたために、近所の親切な八百屋や日用品店などの小売店がたくさんつぶれた。
*彼女のコメント2*
 日本の社会では、問題が起きることを非常に恐れ、何か問題が発生すると取り合えず謝罪する。多民族国家のロシアでは問題発生などは日常茶飯事であり、
高い問題解決能力としたたかな交渉能力を持つことが重視される。現在の日本は単一で変化が少ない社会のマイナス面が出ているのではないか。
*彼女の愛媛県の寒村の過疎化にたいするコメント*
 日本では東京が給与水準が高く、遠隔の地方になるほど給与水準が下がるので、四国のような遠隔地方の村の若者は郷里に定住せず、東京へ東京へと出行く。
また東京の子供達は高い教育、新しい物事と情報、外国人との接触など、視野を広げる機会にめぐまれている。東京へゆくには交通費も高いので田舎の子供は視野を広げるチャンスが少ない。
若者達が成功への可能性と高い生活水準を求めて、東京へ人口が集中し田舎が過疎化するのはそのような原因からである。ロシアでは状況がまったく異なる。 
ウラル山脈から東へモスクワから離れるほど給与水準が高く、おおざっぱにいってサハリンではモスクワの1.4倍である、クリル諸島では1.6倍で、
若者はモスクワを出て極東へ就職し定住するのをいとわない。 その上、サハリンの住人には、国内国外を問わず航空運賃までが会社や市から支払われるので、モスクワの住民よりもずっと安く
、長距離の旅行の頻度が大きい。時折、一般のサハリンの子供は一般のモスクワの子供よりも多く旅行し、色々な町を見、外国を見るので、しばしば視野が広い。
―――――――――
 毎夏にはサハリンの友人は子供達と共に小松のナターリヤのところに来て2週間ほど滞在する。 ほかにも、ロシアの知人や、旅行代理店を営む知人が来る。  
彼らがいうには、「本当は多くのロシアからのツーリストは東京や京都のような大都市ではなく、四国や九州のひなびた村なども訪れたいと思っている。 
なぜなら、それらこそが本当の日本だという思いがあるからだ。」日本の文化、文学、歴史は特に面白い。  日本とロシアとは非常に違いがあるが、しかしよく似たものも沢山ある。 
 外国の文化を知ることは自国の文化の真価を知ることでもある。

コメント (2)
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昨日(5/30)のランチはメン喰いシリーズ「海鮮しお焼きそば」

2012年05月31日 | ある日のランチ
日清のソース付冷蔵そば麺を使った海鮮しお焼きそばは好物の一つです。
  お八つは松山の銘菓『一六タルト』を食べました。今回新居浜で「一六タルト」が一個ずつカットされて個別包装されているのを見つけて土産に買ってきました。新居浜へ出張するとよく家に買って帰った菓子なので、ひさしぶりに『一六タルト』を渡すと、みんな大喜びでした。小さい時から食べなれているお菓子には懐かしさがあるようです。

晩は家人が会社の帰りに、阪神のデパ地下で買ってきた「ニューミュンヘンの唐揚げ」をおすそ分けしてもらいました。ニューミュンヘンの看板商品だけあって独特の旨さがあります。
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ハープの奏者は双子の女性(Electric Harp Duet) Camille and Kennerly, Harp Twins

2012年05月31日 | 音楽・絵画・映画・文芸
Game of Thrones Theme (Electric Harp Duet) Camille and Kennerly, Harp Twins
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