阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

母犬はなんとしても我が子を助ける!

2012年05月07日 | びっくり画像・映像
[FULL VERSION] Dog Saves Puppy From Drowning in Pool
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追悼特集 淡島千景 が始まっています。 大阪は九条の“シネ・ヌーヴォ”で始まってまっせえ!

2012年05月07日 | 音楽・絵画・映画・文芸
上映作品 こちら 上映日程 こちら 
淡島千景 略歴

1924年2月24日、東京・日本橋に生まれる。本名・中川慶子。3歳の時、松竹スター栗島すみ子が師匠である日本舞踊・水木流の門下となる。小学5年生の時に開場したばかりの東京宝塚劇場で宝塚少女歌劇を観たことから5年後に宝塚音楽舞踊学校の試験を受け、681名の受験生から62名の合格者に選ばれる。41年に宝塚歌劇団の一員になり、百人一首の源兼昌の「淡路島かよふ 千鳥のなく声に いく夜ね覚めぬ 須磨の関守」から芸名“淡島千景”を名乗る。1950年までの戦前・戦後を、同期の久慈あさみらと共に、美貌の娘役トップスターとして宝塚歌劇団を支える。手塚治虫の漫画「リボンの騎士」のサファイア王女は、宝塚時代に2~3度男役をやった彼女をモデルにしたと、大ファンだった手塚治虫本人が生前語っている。その後、月丘夢路に映画界入りを誘われ、退団後は松竹に入社。

渋谷実監督の『てんやわんや』(1950)で映画デビューし、第1回ブルーリボン賞演技賞を受賞。華々しいデビューとなり、いきなり銀幕のスターに。その後も『麦秋』『自由学校』(1951)、『本日休診』『お茶漬の味』(1952)、『にごりえ』『君の名は』(1953)などに出演。その後、東宝に移籍するも、それぞれの看板女優として大車輪の活躍を見せる。日本映画の黄金期にあって、小津安二郎、川島雄三、今井正、成瀬巳喜男、マキノ雅弘、木下恵介ら日本映画を代表する監督たちに愛され、数々の名作に出演。その演技も高く評価された。1955年の豊田四郎監督作『夫婦善哉』では森繁久彌との息の合った共演で一斉を風靡、淡島はブルー・リボン主演女優賞、森繁は主演男優賞を獲得した。その後も森繁とは黄金コンビを謳われ、共演映画は34作にものぼった、1956年には第4回菊池寛賞を女優では初めて受賞。戦後、日本映画の全盛期を支えた銀幕スターの一人である。1963年にはNHK大河ドラマ第1作「花の生涯」に出演。その後も、映画、舞台、テレビと精力的な仕事を続け、生涯独身を貫き、現役として女優道に生き続けた。2012年2月16日膵臓癌のため死去。享年87。
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縄跳びの縄の真ん中に小型カメラをつけて跳んでみた

2012年05月07日 | びっくり画像・映像
Full Circle
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