阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

今年も“御神渡り(おみわたり)”の出現を見張るライブカメラが諏訪湖でスタート。

2014年01月16日 | ゲストルーム
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“御神渡り”とは?
一部引用・・
“おみわたり”の呼び名
  「神渡(みわたり)」「御渡(みわたり)」「御神渡(おみわたり)」「神幸(みゆき・かんざき)」などがあり、古来は「御渡」の使用が主でした。現在は「御神渡り」が一般的に使われ、神事関連では「御渡り」としています(“り”の送りがなの扱いについては、厳密なきまりはなくケースバイケースのもよう。当ウェブページでは「御神渡り」を使用します)。
 御神渡り発生のメカニズム
冬期、気温が低下するなか、諏訪湖の湖面が全面結氷し、寒気が数日続くことで氷の厚さが増してゆきます。さらに昼夜の温度差で氷の膨張・収縮がくり返されると、南の岸から北の岸へかけて轟音とともに氷が裂けて、高さ30cmから1m80cmくらいの氷の山脈ができます。これを「御神渡り」と呼び、伝説では諏訪神社上社の男神・建御名方神(タケミナカタノカミ)が下社の女神・八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)のもとへ通った道筋といわれています。この伝説にもとづいて、御神渡りの筋の両端については、諏訪湖の南側(上社側)を建御名方命が下り立ったところということで、「下座(くだりまし。“下御”とも)」と呼び、北側(下社側)を上がったところ、「上座(あがりまし。“上御”とも)」と古くから呼んでいます。御神渡りは『諏訪の七不思議』の一つとしても数えられています。また、氷上に人が出ることが許されるのは、神様の通った後というタブーもありました。
最初に出現した南北方向に走る御神渡りを「一の御渡り」、その数日後、同方向に出現したものを「二の御渡り」(古くは「重ねての御渡り」とも呼んだ)と呼んでいます。また、東岸からできて一の御渡り、二の御渡りに直交するものを「佐久(佐久新海)の御渡り」と呼んでいます。御渡り拝観の神事ではこの3筋の御神渡りを検分しています。(参考文献『諏訪市史 上巻』)

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御影郷の氏神さま、弓弦羽神社のどんど焼きに行きました。

2014年01月16日 | 神戸あちこち

正月飾りを納めに行き、灰を頂きました。玄関の両隅に置いて厄払いをします。
 灘五郷のうちの御影郷の造り酒屋さんの奉献酒の樽です。











楽屋ネタ
 




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ヒヨ、最後のテーブル!

2014年01月16日 | 船橋社中

 船橋社主の最新のメールにこうありました。『明るくなって、最後のリンゴが残っており、ヒヨがきました。
うるさいですが、最後の幕です。美味かった!!!の瞬間でした。おしまい。』

 ヒヨにとっては実よりも芯や種の方がおいしいのかも知れませんね。ヒヨ君、最後の一個の蜜入り信州リンゴをもらっていい新年だったね!
 

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