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“御神渡り”とは?
一部引用・・
“おみわたり”の呼び名
「神渡(みわたり)」「御渡(みわたり)」「御神渡(おみわたり)」「神幸(みゆき・かんざき)」などがあり、古来は「御渡」の使用が主でした。現在は「御神渡り」が一般的に使われ、神事関連では「御渡り」としています(“り”の送りがなの扱いについては、厳密なきまりはなくケースバイケースのもよう。当ウェブページでは「御神渡り」を使用します)。
御神渡り発生のメカニズム
冬期、気温が低下するなか、諏訪湖の湖面が全面結氷し、寒気が数日続くことで氷の厚さが増してゆきます。さらに昼夜の温度差で氷の膨張・収縮がくり返されると、南の岸から北の岸へかけて轟音とともに氷が裂けて、高さ30cmから1m80cmくらいの氷の山脈ができます。これを「御神渡り」と呼び、伝説では諏訪神社上社の男神・建御名方神(タケミナカタノカミ)が下社の女神・八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)のもとへ通った道筋といわれています。この伝説にもとづいて、御神渡りの筋の両端については、諏訪湖の南側(上社側)を建御名方命が下り立ったところということで、「下座(くだりまし。“下御”とも)」と呼び、北側(下社側)を上がったところ、「上座(あがりまし。“上御”とも)」と古くから呼んでいます。御神渡りは『諏訪の七不思議』の一つとしても数えられています。また、氷上に人が出ることが許されるのは、神様の通った後というタブーもありました。
最初に出現した南北方向に走る御神渡りを「一の御渡り」、その数日後、同方向に出現したものを「二の御渡り」(古くは「重ねての御渡り」とも呼んだ)と呼んでいます。また、東岸からできて一の御渡り、二の御渡りに直交するものを「佐久(佐久新海)の御渡り」と呼んでいます。御渡り拝観の神事ではこの3筋の御神渡りを検分しています。(参考文献『諏訪市史 上巻』)
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“御神渡り”とは?
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“おみわたり”の呼び名
「神渡(みわたり)」「御渡(みわたり)」「御神渡(おみわたり)」「神幸(みゆき・かんざき)」などがあり、古来は「御渡」の使用が主でした。現在は「御神渡り」が一般的に使われ、神事関連では「御渡り」としています(“り”の送りがなの扱いについては、厳密なきまりはなくケースバイケースのもよう。当ウェブページでは「御神渡り」を使用します)。
御神渡り発生のメカニズム
冬期、気温が低下するなか、諏訪湖の湖面が全面結氷し、寒気が数日続くことで氷の厚さが増してゆきます。さらに昼夜の温度差で氷の膨張・収縮がくり返されると、南の岸から北の岸へかけて轟音とともに氷が裂けて、高さ30cmから1m80cmくらいの氷の山脈ができます。これを「御神渡り」と呼び、伝説では諏訪神社上社の男神・建御名方神(タケミナカタノカミ)が下社の女神・八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)のもとへ通った道筋といわれています。この伝説にもとづいて、御神渡りの筋の両端については、諏訪湖の南側(上社側)を建御名方命が下り立ったところということで、「下座(くだりまし。“下御”とも)」と呼び、北側(下社側)を上がったところ、「上座(あがりまし。“上御”とも)」と古くから呼んでいます。御神渡りは『諏訪の七不思議』の一つとしても数えられています。また、氷上に人が出ることが許されるのは、神様の通った後というタブーもありました。
最初に出現した南北方向に走る御神渡りを「一の御渡り」、その数日後、同方向に出現したものを「二の御渡り」(古くは「重ねての御渡り」とも呼んだ)と呼んでいます。また、東岸からできて一の御渡り、二の御渡りに直交するものを「佐久(佐久新海)の御渡り」と呼んでいます。御渡り拝観の神事ではこの3筋の御神渡りを検分しています。(参考文献『諏訪市史 上巻』)
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