阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

弓弦羽(ゆずるは)神社から元住吉神社へ

2014年01月18日 | 神戸あちこち

弓弦羽神社で正月飾りを燃やし、さて昼を阪神御影方面で取るかJR住吉方面でとるか暫し思案。住吉の「長次郎」へ行くことになり、
有馬道をJR住吉駅に向かって下りました。有馬道を脇に入った所に昭和33年から38年くらいまで住んでいたので今も歩くと懐かしい。
 有馬道の途中に、遠方からも車でも買いに来るという「山口とうふ」があります。

このお猿さんたち(3せざる)が何故ここで存在をアピールしているのかは知りません。

JRの高架下を通り、国道2号線を渡って「長次郎」でランチにしました。

店内の水槽。

神社参りの途中なのでちょっと張り込んで960円の竹定食をオーダー。

また住吉駅側に信号を渡ると古い道標があります。

ここまで来たので元住吉神社にもお参りすることにしました。

Wikipediaから⇒
社伝では、日本書紀において、神功皇后の三韓征伐からの帰途に船が進まなくなり、神託により住吉三神を祀ったと記される「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」の地が当地であり、当社が住吉三神鎮祭の根源であると伝え、そのために古くから「本住吉」と呼ばれるとしている。「大津渟中倉之長峡」の地は現在の住吉大社であるとする説が有力であるが、当社では住吉大社も当社からの勧請であるとしている。本居宣長も本住吉神社の主張を支持している。
延喜式神名帳には記載されていない。古くから「本住吉」と称してきたが、明治初年の『神社調査明細書』には「住吉神社」と記載された。神社側からの申請により、明治38年(1908年)に「本住吉神社」に復称した。社殿は1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、現在の社殿はその後復興したものである。


境内ではやはり飾り物を焼いていました。

 江戸時代に寄贈された常夜燈がいくつも並んでいます。







再びJRのガードをくぐると「阿弥陀寺」さんがあります。

谷崎潤一郎は関東大震災のあと東京から関西に移り、昭和の11年から7年間「倚松庵(いしょうあん)」という
住吉川のほとりの家に住んでいました。神戸の空襲がひどくなって疎開の為神戸を離れるときに作歌した歌の碑がここに建てられています。
「故里の花に 心を残しつつ 立つやかすみの 菟原住吉 潤一郎」。
 菟原(うない)とは、芦屋から神戸の灘あたりにかけての旧地名です。

ガードを上がって最初の信号を左折すると3分ほどの場所に内田樹さんの道場兼自宅「凱風館」があります。

住宅街を通って山手幹線に出ることにしました。

途中に「いのしし」に餌をやらないでくださいの看板がありました。


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山茶花と万両の赤い花と実

2014年01月18日 | 花・草・木・生き物





屋内に入れたガジュマルやアボカド、元気です。



楽屋ネタ。
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あれっ、パパがもう一人いる!  双子のパパの兄弟に初めて会った!! 

2014年01月18日 | びっくり画像・映像

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