阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

アメリカ人旅行者が撮影した「1987年の東京」に山手線の駅もあって興味深い!

2017年01月26日 | びっくり画像・映像
今から30年前、1987年の東京の様子を撮影した動画が残されていた。
当時、東京を旅行していたアメリカ人のNichiBeiTraderさんが撮影した。
バブルの頃の東京は、どんな感じになっているのであろうか!?


引用元。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新横綱 稀勢の里の母校のある龍ヶ崎市は我が家があった藤代町のお隣です。なんとなく嬉しい(笑)

2017年01月26日 | ゲストルーム

稀勢の里関の横綱昇進を祝い、茨城県龍ヶ崎市役所の庁舎内に掲示された横断幕。

稀勢の里関おめでとうございます。龍ヶ崎という地名がこのところよく報道されるので家の者はみな懐かしんでいます。

 昭和55年から昭和62年まで我が家は龍ヶ崎市の隣町である茨城県北相馬郡藤代町(現取手市藤代町)に住んでいました。

新横綱は神戸市の隣の兵庫県芦屋市で生まれたそうですが、その後龍ヶ崎市で小中学校に通い、生家は牛久にあるとのこと。

うちの子供たちは藤代町立六郷小学校に通い、隣町は龍ヶ崎と牛久と取手でした。

 龍ヶ崎の概略 引用元

  茨城県南部、東京50km圏内に位置し、稲敷台地と小貝川沿いの低地からなる人口約8万人の都市です。
 南部の低地は水田、北部の台地には落花生などの畑地や樹園が広がる農業地帯で、県内でも有数の米どころとして知られていましたが、近年、竜ヶ崎ニュータウンや工業団地の建設がすすみ、急速に東京の近郊住宅都市に変貌しています。
 中心市街地は、竜ヶ崎木綿の集散地としてさかえ、関東鉄道竜ヶ崎線により市内北西部のJR常磐線佐貫駅とむすばれています。また、中心市街地にある八坂神社では毎年、7月下旬に祇園祭が行われ、アマガエルの面をかぶった舞人が登場する撞舞(つくまい)は関東三大奇祭として有名です。また、中心市街地活性化のため毎月第1日曜日開催のまいんバザールで売られているコロッケはマスコミ等でも評判になり、今では市内の飲食店の協力を得て、龍ヶ崎コロッケとして町おこしの一翼を担っています。
 北西部には牛久沼があり、たくさんの水鳥が戯れています。特にハクチョウは市の鳥として愛されています。また牛久沼は鰻丼の発祥地として知られ、沼の東岸をはしる国道6号沿いにウナギ料理店が点在しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸、 東遊園地から旧居留地を歩く

2017年01月26日 | 神戸あちこち
観ようと思った上映時間の回が満席で次の回まで4時間の間が出来た「この世界の片隅に」という映画。おかげでその待ち時間を久しぶりのコースでウォーキングに使った。
 ポートライナーで三宮から一駅離れた貿易センタ―ビルは40数年前にトップ階に「バーグ」というレストランがあってデートで食事をしたことがある。👆
画像左側は、東遊園地の近くにある、あたりを睥睨して建つ関西電力神戸支店のビル。

 (2011年12月26日掲載)
⇒一日一漫歩を目指して三宮を歩いて東遊園地の端まで来たら豪壮かつ高層の大廈がありました。
神戸市役所の展望階から海側を見ると、全館オール電化のマンションの向こうに見えていたビルでした。





 東遊園地の冬枯れの風情









旧居留地の街並み





 東遊園地 Wikipediaから。 
1868年に外国人居留遊園の名称で開園した日本で最初の西洋式運動公園とされる。開園当時は外国人専用であった。
公園内には、ボウリング発祥の地の碑・近代洋服発祥地の碑などの各種の記念碑がある。
また、慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りといった阪神・淡路大震災関連のモニュメントも、公園内にある。
毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている。
また、毎年12月におこなわれる光の祭典「神戸ルミナリエ」では、東遊園地のグラウンドが終端の会場となっている。
なお東遊園地の「遊園地」の名称だが、今日の日本語での一般的な遊園地の意味とは異なり、「公園」と同義で使われている。
この公園の名称については当初より「内外人公園」など様々な呼び方がされていたが、1922年に「東遊園地」と呼ばれるようになった。
旧居留地の東に位置することが名称の由来となっている。
歴史
歴史的には旧居留地の開設に伴い、外国人専用の運動公園として開設された。園内のグラウンドで外国人らが
野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツを行ったことで、日本にそれらのスポーツが広まるきっかけとなった。
1890年には神戸倶楽部(アレクサンダー・ネルソン・ハンセル設計)が建設されたことで、外国人の社交場となった。
2011年には国の登録記念物(名勝地関係)に登録された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の夕食は肉系と魚系が交互のようだ。

2017年01月26日 | ある日の肴/夕食
野菜とタンパク質は年齢が上がると若い時より必要だとか。


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする