当時、東京を旅行していたアメリカ人のNichiBeiTraderさんが撮影した。
バブルの頃の東京は、どんな感じになっているのであろうか!?
引用元。
稀勢の里関の横綱昇進を祝い、茨城県龍ヶ崎市役所の庁舎内に掲示された横断幕。
稀勢の里関おめでとうございます。龍ヶ崎という地名がこのところよく報道されるので家の者はみな懐かしんでいます。
昭和55年から昭和62年まで我が家は龍ヶ崎市の隣町である茨城県北相馬郡藤代町(現取手市藤代町)に住んでいました。
新横綱は神戸市の隣の兵庫県芦屋市で生まれたそうですが、その後龍ヶ崎市で小中学校に通い、生家は牛久にあるとのこと。
うちの子供たちは藤代町立六郷小学校に通い、隣町は龍ヶ崎と牛久と取手でした。
茨城県南部、東京50km圏内に位置し、稲敷台地と小貝川沿いの低地からなる人口約8万人の都市です。
南部の低地は水田、北部の台地には落花生などの畑地や樹園が広がる農業地帯で、県内でも有数の米どころとして知られていましたが、近年、竜ヶ崎ニュータウンや工業団地の建設がすすみ、急速に東京の近郊住宅都市に変貌しています。
中心市街地は、竜ヶ崎木綿の集散地としてさかえ、関東鉄道竜ヶ崎線により市内北西部のJR常磐線佐貫駅とむすばれています。また、中心市街地にある八坂神社では毎年、7月下旬に祇園祭が行われ、アマガエルの面をかぶった舞人が登場する撞舞(つくまい)は関東三大奇祭として有名です。また、中心市街地活性化のため毎月第1日曜日開催のまいんバザールで売られているコロッケはマスコミ等でも評判になり、今では市内の飲食店の協力を得て、龍ヶ崎コロッケとして町おこしの一翼を担っています。
北西部には牛久沼があり、たくさんの水鳥が戯れています。特にハクチョウは市の鳥として愛されています。また牛久沼は鰻丼の発祥地として知られ、沼の東岸をはしる国道6号沿いにウナギ料理店が点在しています。