阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

谷中霊園を通って鶯谷駅まで歩いた。朝倉彫塑館を訪ねた後に。

2018年09月02日 | 東京あちこち
朝倉彫塑館は谷中霊園の傍にあったから焼夷弾を落とされなかったのだろうと思う。非戦闘員の街の民間人を焼殺するのが目的の米軍の空襲は、
霊園にマリアナから運んできた貴重な焼夷弾を落とすような馬鹿な投下はしなかった。

霊園の中を歩くのは2回目だが、2012年にも今回と同じくTMさんに教えてもらって一緒に歩いた。こちら

朝倉文夫さんもこの谷中墓地に眠っている。 












霊園を出て鶯谷駅に向かうと空襲にあっていないこの辺りには古い日本家屋がいくつも残っている。



高架橋を渡って鶯谷駅へ向かう。

Wikipediaから一部引用。
谷中墓地:かつては、感応寺(現・天王寺)の寺域の一部であり、中央園路は感応寺の参道であった。江戸期には、この感応寺で富くじが行われ、「江戸の三富」として大いに客を呼んだ。この客を当て込んで茶屋が参道入り口に立ち並び、現在でもその名残から墓地関係者は中央園路にある花屋のことを「お茶屋」と呼んでいる。中央園路の半ばには、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった五重塔跡がある。これは、1908年に天王寺より寄贈されたものであった。この五重塔は、1957年に谷中五重塔放火心中事件で焼失するが、東京都が史跡に指定した。五重塔跡は児童公園(天王寺公園)内にあり、公園に付随する形で駐在所がある。 なお、「谷中墓地」と称される区域には、都立谷中霊園の他に天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれており、徳川慶喜など徳川氏の墓は寛永寺墓地に属する。 また、谷中霊園は桜の名所としても親しまれている。中央園路は通称「さくら通り」ともよばれ園路を覆う桜の枝に花が咲くと、まるで桜のトンネルのようになる。現在、公園型霊園として再整備するため、敷地の確保を目的として、使用料の払われていない箇所の無縁仏への改葬や大木など木々の伐採が進められている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

是枝監督の「万引き家族」が中国で 9日間の実写邦画歴代1位の興行収入を達成

2018年09月02日 | ゲストルーム


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする