『from 911/USAレポート』第834回
2020年12月12日発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media] No.1136 Saturday Edition http://ryumurakami.com/jmm/
異常な年の終わりはやはり異常な歳末となっています。異常というのは、何と言っても、現在のアメリカの問題は社会が「現実感を失っている」ということです。ある時までは「確かなもの」と思われていた何かが、手のひらから砂がこぼれ落ちるように消えている。そこには砂があった感触はあるが、今は何もない、そんな感じでしょうか。
例えば、今回の大統領選の結果がそうです。現実の世界では、既に多くの州で開票結果への異議申し立ては却下されています。また、連邦最高裁は12月7日(火)に、ペンシルベニア州の選挙結果への異議を簡単な一行の文章で棄却しています。その後は、テキサスの訴訟に注目が集まりましたが、さすがに一つの州が4つの他の州の開票結果に文句をつけるというの、無理筋です。本稿の時点では、こちらも棄却されています。
そんな中で、既に538名の選挙人の中でバイデン支持は当選ラインを越えています。つまり、現時点で日本風に言えば「当選証書」を出している州の選挙人数を合計すると、過半数の270を越えているわけです。12月14日には、選挙人投票が行われますが、ここで実際にバイデンへの票が270を越えれば、選挙結果は確定することになります。
既に連邦政府の中での事務引継は始まっていますし、バイデン氏への日々の国家機密の報告はスタートしています。ですから、全体の流れとしてはスローではあるものの、政権の移行作業は動いているわけで、今回、14日に「270の選挙人獲得」ということで憲法上の「当選」を有効にすれば、バイデン候補はより新政権の基盤を固めることにはなるでしょう。
問題は、トランプ派の主張です。トランプ本人としては、引き継ぎのスタートを認めるとか、早くも2024年の選挙への出馬を示唆するなど、「敗北を認める」言動をするようにはなっています。ですが、ハッキリとした形での「敗北宣言」というのは、いまだにありません。ましてバイデン新政権に協力するという姿勢は全く見せていません。
そんな中で、従来からあった「対立」とか「分断」には現実感が無くなってきたように感じます。
まず、トランプ派ですが、確かに党派の論理というものがあり、それが主義主張だけでなく純粋な勝ち負けの論理になっているために、敗北を認められないというのは、分からないでもありません。しかも2021年1月のジョージア州上院再選挙のことや、2022年の中間選挙を考えると、このまま「負けを認めない」で居直り続けるとか「バイデンは選挙を盗んだ」と言い続けた方がモメンタムを維持できる、それも分かります。
ですが、さすがにこれは大統領選です。そしてバイデン氏はあと40日で、合衆国の第46代大統領に就任するわけです。選挙に負ければ敗北を認めて、挙国一致を目指す、そして少なくとも就任から100日間は、野党もメディアも批判を我慢して新政権の起動を見守る、そうした国の基本というのが、完全に無視されている、このことには何とも非現実的な感じがします。
それだけ、グローバリズムやテック経済に乗り遅れた「忘れられた白人層」の怨念が深いのかというと、どうもそういう要素は少ないようで、トランプ派には「どこか面白半分」という気配もあります。むしろ「真面目に怒る民主党支持者」への嘲笑を楽しんでいる、そんなムードもないわけではありません。
一方で、共和党の職業政治家や、共和党を支持している産業界、投資家などは、トランプが善戦し、トランプが集めた空前の7400万票が上下両院の共和党を善戦させたという事実に、狼狽し、困惑しているようにも見えます。トランプは落選したが、切るに切れないという感覚でしょうか。どうやら、下野したトランプは、2022年の中間選挙へ向けては、2010年に「茶会」を主導したサラ・ペイリン以上の隠然たる権力を維持して、そのまま24年を目指すのかもしれません。
そうなると、共和党内では依然として「トランプ票」と「北部や東部の財界票」を足し合わせれば民主党に対抗できるという「悪魔の足し算」が延命することになります。結果的に、ミニ・トランプのような人物、あるいは「Qアノン」の陰謀論を喋るような政治家が出たり、選挙ではまるでトランプのように、民主党を罵倒するというカルチャーが続くのかもしれません。
一方のバイデンは、「自分は連邦の司法省を使ってトランプの捜査をする意図はない。他にやることは沢山ある」と、極めて大人の発言をしています。ですが、一部の解説としてはこれには裏があり、「連邦の犯罪として脱税や公私混同、国家反逆、偽証などを追及しなくても、NY州をはじめ各州の検事がどんどんトランプの疑獄を摘発してくれるので、それに任せる」ということだという説もあります。
また、仮にバイデンが「前大統領を獄につなぐ」ことへの躊躇を見せた場合、民主党内の左派が憤激して、地方検事の動きに連動して激しいトランプ追及を始めるかもしれません。現状は「トランプが大統領特権を保持している」ために静かですが、1月20日以降は大変なことになるかもしれません。
ちなみに、トランプ夫妻に続いて長女夫婦も1月下旬以降はフロリダを拠点に活動するという報道が出ています。こちらに関しては「地元」のニューヨーク州とかニューヨーク市に戻ると、逮捕状が出て身柄を取られてしまうから、「安全」なフロリダへ向かっているという説もあります。
何が問題かというと、退任前から訴追の話がドンドン出る、その一方で、だからこそトランプは負けを認めずに政治的なモメンタムを維持しようとする、というような政治ドラマというのは、近代のアメリカでは誰も見たことがないわけです。真剣に考えれば、全く笑えたものではないし、笑って見ていた人はいつかは飽きるのかもしれない、そんな浮遊感と言いますか、非現実感という感じがどうしても拭えません。
一つのタイミングとしては、12月14日の選挙人投票に続いて、1月5日のジョージア州上院再選挙が注目されます。ここで2連敗すれば、さすがに共和党の主流派はトランプを突き放すかもしれない一方で、1つでも勝って多数派を維持してしまうと、トランプの影響力は続くかもしれません。
非現実感ということでは、株式市場の高騰も何とも地に足がついていない感じです。コロナ禍の中、テック中心のNASDAQが高値を更新し続けるのは、分からないでもありません。ですが、テスラ株や新規上場のAirbnbがバブル化するというのは、テクニカルにカネが余っているにしても、社会の方向性とか現在位置ということでは、足元が見えない感じがしてならないのです。
そんな中、新型コロナウィルスの感染拡大は、改めて最悪の状況となっています。私の住むニュージャージー州など東海岸では、3月から5月にかけて厳しい時期があり、その後は鎮静化していました。一方で、夏場には中西部や南部での感染拡大があったのが、ここへ来て完全に全国レベルに広がっています。
日本の読者の皆さまには、信じがたいかもしれませんが、例えば12月11日(金)時点での「アメリカにおける1日の数字」は、ニューヨーク・タイムス(電子版)の集計によれば、
新規陽性者・・・・225,572名
死者・・・・・・・・・2,923名
です。繰り返しになりますが、1日だけの数字です。累計になりますと、こちらはジョンズ・ホプキンス大学のポータルでは、12月11日時点のトータルが、アメリカ一国で、
累計陽性者・・15,817,169名
死者・・・・・・・・294,690名
となっています。死者については、CDC(連邦疾病センター)では、当面、つまり50から60日というスパンでは、更に悪化するとして累計50万人超えは不可避だとしていました。
恐ろしいのは、こうした数字について、アメリカ社会はほぼ麻痺してしまっているということです。2月の感染初期以来、感染対策に気をつけている人はずっと気をつけてきたし、今でも気をつけています。一方で、気をつけていない人は、この間、「選挙とその前後の騒動」「スポーツ観戦や、ジム通い、バーでの馬鹿騒ぎ」「感謝祭の帰省や家族パーティー」などで、専門家や知事などのアドバイスを無視して行動し、一気に感染を広めてしまいました。
そのことを各州の知事は分かっていて、感謝祭休暇の後には部分的なロックダウン(バー、スポーツジムの閉鎖、学校の短期間休校)などの措置が取られたわけですが、どうも徹底していないようです。その結果として、学校、職場、レストラン、バーなどの感染経路を通じて、改めて感染拡大となり、全体の数字が最悪のレベルまで来ているわけです。
麻痺しているというのは、この数字に世論がそれほど反応しなくなっているということです。トランプは相変わらず経済を回せとの一点張り、対してバイデンは「100日間のマスク着用」を呼びかけましたが、結局は党派的メッセージとしか受け取られていないわけです。そんな中で、12月11日にはニューヨーク州のクオモ知事は、改めて「レストランの屋内営業全面禁止」を命令しました。
背景には、春先と同じようにICUの占有率がキャパを越える危険水準に来たことなどがあり、知事としては丁寧に説明していましたが、12月の11日というこの稼ぎ時に屋内営業閉鎖、しかも季節的に屋外は非常に難しい中では、事実上これは「休業命令」ではなく「閉店命令」だという声もあります。
クオモ知事は「出口は見えてきたが、そこまでは自分たちで進まなくてはならない」などと妙に文学的な言い方をしていましたが、とにかく全体としてはここでも非現実感が濃くなっています。
その「見えてきた出口」とは、ワクチンのことで、こちらも本稿の時点(現地11日の晩)でちょうど「ファイザー・ビオンテック」のワクチンが米FDAにより緊急承認されたようです。これで、14日(月)から「Aグループ」つまり、医療従事者、高齢者福祉施設の入居者とサービス従事者から順次接種がスタートします。
ですが、まだこのワクチンへの信頼感は十分に醸成されていません。そんな中で、トランプ政権はFDA長官に対して「本日中に承認しないなら辞表を出せ」と迫ったという報道もあり、政権当局が自らワクチンへの社会的信頼を傷つけるように行動しているとしか言いようがありません。
そんなわけで、感染はドンドン悪化する、一方でワクチンは接種が始まるが効果はまだ見えていないし、信頼感も確立していないということで、コロナという問題についても、ちょうど現在は位置感覚のつかみにくい状況になっています。非現実感というのは、そういうことなのかもしれません。
そんな中で、今年のトレンドとしては「生木のクリスマスツリー」が売れているそうです。全国のローカル新聞のサイトを見回しても、ウィスコンシン、マサチューセッツ、ニュージャージー、ネバダ、カリフォルニア、オレゴンなどで、いずれもツリーを育てて売っている農場の声として「記録的なセールス」になっているそうです。私の近所でも、週末になると買ってきたツリーを屋根に乗せて走るSUVを良く見かけました。
コロナのせいでの「巣ごもり消費」の一つと言えば、それまでかもしれませんが、こういう年だからこそ「生木の暖かさ」「ホンモノ感」を人々は求めるのかもしれません。クリスマスツリーといえば、ニューヨークのロックフェラーセンターのツリーは、今年も点灯されていますが、こちらは見物に行くにはネット予約が必要で、予約のない人は接近禁止。予約しても見物は一組5分限りということだそうです。
このロックフェラーセンターのツリーに関しては、ツリー自体よりも、伐採後にNYまで運んだら、枝の中に小さなフクロウが潜んでいたというニュースが大きな関心を集めたのでした。強く縛って運んだのにケガもせずに生きていたということで、このフクロウは人気者になり、「ロックフェラー」という愛称を与えられた後に、保護センターによって州北部の山岳地帯に放されたのでした。
人々は、その小さなフクロウの旅立ちに何かを託しつつ、自宅に飾ったささやかな生木のツリーを眺めながら、この困難な時期を過ごしているわけです。この、2020年歳末の現実感というのは、その辺りには辛うじてありそうです。
------------------------------------------------------------------
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ消えたか~オ
ーラをなくしたオバマの試練』『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュ
ニケーション』『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名
門大学の合格基準』『「反米」日本の正体』『トランプ大統領の衝撃』『民主党のア
メリカ 共和党のアメリカ』『予言するアメリカ 事件と映画にみる超大国の未来』
など多数。またNHK-BS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。