2020年12月21日 6時00分 宮坂宮司に八剱神社のコメとサツマイモで造ったミキと全国から寄せられた初穂料を納める田町さん
鹿児島県奄美地方の伝統的な発酵飲料「ミキ」を全国に広める発酵料理家の田町まさよさん(50)=山梨県北杜市=は19日、全国各地から寄せられた約100人分の初穂料を諏訪市小和田の八剱神社に納めた。田町さんは先月、同神社祭畑のサツマイモと祭田のコメからミキを造る催しを実施。その時に造ったミキを分けた約100人から集まった気持ちという。
京都府出身の田町さんは奄美大島に20年以上暮らしたことがあり、今夏から北杜市に移住した。10月に初めて八剱神社を訪れ、境内に納められたコメや大きなサツマイモに感動。ミキの材料に当たる二つでミキ造りをしたいと直感。ミキは神酒の原点ともいわれており、縁を感じて催しを開いた。
催しは先月26、27日に八剱神社で行い、県内や山梨県から参加者が集まった。参加者以外にも交流サイト(SNS)を通して、北海道から沖縄県・石垣島までの興味を持った人達にミキを送った。同神社の宮坂清宮司(70)が、したためた手紙や土鈴、諏訪市のパンフレットなども一緒に発送。届いた人のほとんどは八剱神社や諏訪市を知らなかった人だが、「いつかお参りしてみたい」などの声も寄せられた。これらのお礼としてミキを受け取った人達から田町さんの元に初穂料が届いたという。
八剱神社はコロナ禍で夏や秋の例大祭に一般の参拝者を招かないなど影響を受けている。貴重な初穂料とミキがつないだご縁に、宮坂宮司は「八剱神社で収穫した自然の恵みが組み合わさったミキを造っていただき、神様にお納めもらえてありがたい」と感謝。田町さんは「神様のお引き合わせを感じる。お役に立てたらうれしい」と話した。
八剱神社:名もない庶民の系統にしては珍しく 阿智胡地亭の先祖は当時広大な面積だった諏訪湖の中にあった高島という島から 豊臣秀吉の命を受けた配下の武将 日根野高吉が高島に
高島城を築城することになったので、島の住民はまるごと「小和田(こわた)」という湖畔の地区に移転させられたため 歴史に記録が残りました。
当時高島にあった島の氏神さま「八剱神社」もやはり「小和田」に移され、諏訪大社上社の摂社として諏訪湖の「御神渡」の認定と記録を継続しています。
小和田地区は今も24時間温泉が諏訪湖の中から各戸に引かれ それぞれの家庭内で温泉を楽しんでいる日本でも珍しい地域です。
毎日新聞
厳寒期の諏訪湖に発生する御神渡(おみわた)り。湖面の氷が筋状に割れてせり上がる冬一番の風物詩も、地球温暖化の影響か、平成以降は御神渡りのない「明けの海」が急増している。
八剱(やつるぎ)神社(諏訪市小和田)の宮司として、1986(昭和61)年から御神渡りの認定と神事をつかさどる。前年の85年2月3日の拝観式。父の清通さんが祭主を務めた一部始終を初めて見学し、脳裏に焼き付けた。写真以外で見た氷上の父親の姿は最初で最後に。その年の10月、清通さんは病気で71歳で逝去した。「たった一度きりだったが、参列して見たことは自分がスタートする上で心強いものだった」と懐かしむ。
以来、今冬まで35回観察し、うち御神渡りを認定して拝観式に臨んだのは10回。冬は結氷して当たり前のように御神渡りができたかつての諏訪湖。小寒の1月6日から節分の2月3日まで続けた早朝の湖面観察を振り返り「岸辺に薄氷がちょっと張った程度。厳しい寒さを感じないまま立春を迎えました。寒さを祈りましたね」。
御神渡りの記録は、諏訪神社大祝(おおほうり)家の「当社神幸記」に1443年から1682年まで、八剱神社の「御渡帳」に1683年から現在まで書き継がれている。この577年間に明けの海は78回(不明の5回を含む)で、平成以降は23回に上る。「御渡りの現象を、人々は恐れと畏敬(いけい)の念を持って関わってきた。その年の天候や事象、作物の出来などを書き留めた膨大な記録は、歴史の歩みの貴重な資料」と位置付け「書き継ぐことの大切な役目を担うことで歴史の重みをつくづくと思います」。
22日に八剱神社であった「諏訪湖御渡り注進奉告(ほうこく)祭」で「本年は明けの海にて御渡り御座無く候」と神前に報告。諏訪大社にも明けの海の注進状を納めた。【宮坂一則】