何年も会っていなかった兄の訃報を受けて 村井理子
昨年10月、私は何年も会っていなかった兄が死んだという連絡を宮城県の警察署から受けました。遺体を引き取り、火葬し、ゴミ屋敷と化した多賀城市のアパートを片付け、兄と暮らしていた小学生の息子・良一くんの今後を考える。その5日間を綴ったのが、本書『兄の終(しま)い』です。
翻訳やエッセイの仕事を抱えながら、突然始まった怒濤の日々。疎遠だった兄の家を片付けるというテーマに興味を持った編集者の提案で一冊にまとめたのですが、思いがけず多くの方から反響がありました。それだけ、家族との関係に悩んでいる人がいるのでしょうね。
わが家の場合、兄と母は共依存の関係にありました。母は兄を溺愛し、兄も生活と金銭の両面で母に甘えきっていた。生涯を通じて兄は女性がそばにいないと生きられない人で、それが母であり、2人の元妻や付き合った女性たちであり。そして最終的には、妹の私だったのです。
私は、6年前の母の葬儀を最後に兄と会うのをやめました。がんを患った母を看病することも、死後の手続きに一切関わることもなく香典の額ばかり気にしていた兄。それ以前から私は、高齢の母に代わって兄のアパートの保証人にさせられていました。滞納している家賃の肩代わりは断ったものの、葬儀の帰り際に「宮城へ帰る交通費がない」と言われ、押し付けるように5万円を渡したのが最後です。
警察署から遺体を引き取るという特殊な事情、大量の遺品の処分、移動費や宿泊代も含めて百数十万円もの出費になりました。「こんなことなら、兄にちびちびとお金を渡して少しでも長生きしてもらったほうがよかったのでは」と悔やみもしました。弱気になりがちな私を叱咤激励し、「終い」の作業を一緒に進めてくれたのが、兄の元妻で良一くんの母である加奈子ちゃんです。離婚後、シングルマザーとして兄の娘を育て、バリバリ働いてきた彼女の交渉術と前向きな行動力に、どれだけ助けられたことか。
また警察や市役所、児童相談所の方や学校の先生、車の処分を引き受けてくれた自動車販売店にいたるまで、多賀城市の皆さんの温かな心づかいにも力づけられました。少し落ち着いてきたころにホテルで食べた朝食の美味しさ、帰りに求めた洋菓子の味など、よい思い出も書き残しておきたかった。⇒ 続き
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2カ月ほど前に図書館に予約を入れていたが、既に多数の予約者があってようやく自分の番になり図書館からその連絡があった。
借りてきたその日のうちに読みだしたが、あっという間に終わりのページからあとがきになってしまった。
実話と言えど勿論そのまますべてを書いているとは思えないが、起きた事実を淡々と時系列に示し、しかし感情の揺れ動きを刻銘に記しているので
本を措くタイミングがなかった。
作り事は作り事で大変なエネルギーを要する創造だが フィクションではない現実を書いたものの強みを改めて思った。
この作者は今回初めて知ったが いつのどんな時代にも凄い筆力のニューカマーというのはいるもんだと思った。