阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

2020年秋   信州諏訪を訪ねた小旅行  その二 諏訪大社 上社下社  「鎌倉住人の諏訪の旅 アルバムシリーズ」

2020年12月01日 | 七里ヶ浜写真館

鎌倉在住の田中さんの信州諏訪の旅の写真シリーズ第二回は諏訪大社です。

上社本宮 一の御柱☝  上社本宮 拝殿☟

上社前宮 拝殿

前宮の裏の紅葉 アカマツか?

下社春宮 幣拝殿

下社秋宮 神楽殿

 諏訪大社の公式サイトから

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所のお宮をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。

諏訪大社の特徴は、本殿と呼ばれる建物がありません。秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。

全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬まわれつつ巾広い信仰を有し、御神徳の数々は枚挙にいとまがありません。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。

神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託や、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝が世上に広まるにつれ、日本の屋根信州諏訪の地へとの参拝者も日と共に繁く、諏訪大明神の御神徳の厚きことが伺われます。

 

諏訪大社上社本宮

神体山の信仰
本宮幣拝殿
本宮幣拝殿彫刻
本宮竜の口

御神体は守屋山という山であり、その麓に建てられていて豊かな社叢に覆われた境内は荘厳な雰囲気で、一年を通じて参拝者が絶えることがありません。

本殿はなく、幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独特の配置で戦国時代、武田勝頼が造営した社殿は天正10年(1582)織田信長の軍勢によって焼き払われましたが、天正12年(1584)諏訪頼忠が上社を再興、現在の社殿は天保9年(1838)に二代目立川和四郎冨昌が棟梁を務めて建造されました。

片拝殿の彫刻「笹に鶏」「粟穂に鶉」は立川流の最高傑作といわれています。境内のほぼ真ん中にある東西の宝殿は御柱の年の寅年と申年に交互に建て替えられ、新しい宝殿で宝殿遷座祭が行われます。

 

諏訪大社上社前宮

諏訪信仰発祥の地
前宮本殿
前宮水眼の清流
前宮二之御柱

本宮の東約2kmの所にある前宮は、御祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りで諏訪に退いたとき、最初に居を定めた地ともいわれ、古くは前宮があるこの地で上社すべての祭祀が執り行われていた、いわば諏訪信仰発祥の地です。

上古には大祝(おおほうり)の居館や付属するたくさんの建物が軒を連ねていましたが、近世初頭頃までに大祝が宮田渡に移ると祭典に必要な建物のみになりました。しかし前宮は古くから上社の祭祀が行われた場所であり、最も重要とされる御頭祭(おんとうさい)は今でも前宮の十間廊で行われています。

現在の建物は、昭和7年に伊勢神宮の古材で建てられた本殿と、内御玉殿、十間廊となっています。

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その三に続く

コメント
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