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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ちん餅の幟がある風景

2020年12月28日 | 身辺あれこれ

この季節になるとほぼ三年前に住みだした在所東京(首都東京ではない、昔からある東京地方在郷の東京)ではこういう幟が出されるので何となく嬉しくなる。

 江戸時代から綿々と続く「ちん餅」の伝統は在所東京には今も引き継がれている。

「ちん餅」とは つき賃を貰って請負で餅をつくことですが スーパーで時期になると商品棚にある餅を買うのではなく オーダーメイドの

つきたての餅を食べることが出来ます。

 我が家では45年ほど前、神戸から千葉県南柏の社宅に引っ越した次の年に 近くの店に相方が「ちん餅」を頼んで数日後

届いたのが もろぶた(餅箱)に入った大きな一枚ものの「のし餅」だったので慌てたと言っていました。

西国で生まれ育った彼女は正月の餅は当然丸餅で、関東ではのし餅を大晦日に各戸で四角に小さく切り分けることなど全く知りませんでしたから。

 幟を見た夕方の空

その夜のスカイツリー

 

 

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田辺聖子さんの「おかあさん疲れたよ」を読んだ。  戦中戦後に思春期を送った世代はどう生きたか  田辺さんもその中の一人だった。

2020年12月28日 | 乱読は楽しい

本の概要 サイトから引用

ラヴ・ロマンスの作家、妻の美未は、海外義援の会に出かけ、生意気ざかりの娘は、自室へ引き上げた。昭吾は一人水割りを手に、思いに浸る。あのとき、日本も戦場だった。―昭和二十年八月、B29の大編隊が大阪を襲い、昭吾は、爆弾と火炎の地獄の中を、あぐりを守って逃げまどった。清い少年と少女の日々。

 第二次世界大戦中にB29の爆撃の中逃げた昭吾と、当時まだ2歳だった美未。夫の昭吾には、売れっ子のラブ・ロマンス作家となった妻の美未には口にしない、戦時中の熱い恋の思い出があった。一緒に爆撃から逃げ、結婚まで望みながらもそれが叶わなかっ たその相手――あぐりへの思いが、戦時中の景色と共に蘇る。

 以下の4ページはそれぞれ本文中の別々のシーンから引用

新町真弓 引用元

私が心の支えにしている、ある女性の言葉がある。

 彼女の名前は倉本あぐり。田辺聖子の『おかあさん疲れたよ』で出会った、魅力的な女性だ。田辺作品では必ず魅力的な女性が登場するが、あぐりは私の中でちょっと特別。

 この作品は『言い寄る』三部作に代表される軽やかで鋭い恋愛小説とも、『ひねくれ一茶』『花衣ぬぐやまつわる…』のような評伝小説とも異なる。田辺聖子の戦後史であり、昭和史であり、王朝ロマンまで巻き込んだ大河恋愛小説でもある。それを一気に読ませてしまうのだから、その筆力たるや、ため息をついてしまう。

 作品の主人公は、第二次世界大戦中に中学生だった昭吾と、2歳だった美未という夫婦。夫婦それぞれのラブロマンスが描かれる。あぐりは昭吾と同年で、共に戦火から逃げたこともある。終戦後、昭吾は結婚を望んだが、あぐりは大黒柱として母と弟一家を支えるため、自らの幸せをあきらめ、別れることを選んだ。そして40代になって二人は再会。あぐりは独身のまま家族を支えていた。逢瀬を楽しむ二人。が、あぐりは昭吾にとって妻と娘も大切だと知っているから、多くを求めない。一人で死ぬときの準備すら、密かにしている。そして昭吾に言うのだ。

「感嘆符が付かな、あかんねんわ。あたし、『運がよかった!』と思ってるわ、あたしの人生――」

「!!!!!」

 感嘆符がつかなあかんかったのは、私の方だった。ちょっと、そこの私! 私大変とか思ってる場合じゃない! なにかのせいにしている場合じゃない!!! 被害妄想のまったくない、でも自虐的でもないこの言葉は、以降、大きな落ち込み(大失敗したとか)の時も小さな落ち込み(バスを乗り過ごしたとか)の時も私の中で蘇る。そして様々な意味で「運がいい」と思い直して前に歩かせてもらっている。

「戦時中にちょうど娘ざかりだった若い女性たちは、戦後、過酷な運命に待たれていた。(中略)同世代の私は、可憐な彼女たちから目を離すことができなかった。彼女たちへの応援歌をうたいたかった――そしてまた空襲で逝った同世代の少年少女らへの鎮魂歌も――」

 田辺さんはあとがきでこう書いている。

 いま、私たちは未曾有の出来事に直面している。私自身、とっても不安にもなる。そんなとき、あぐりの生き方とこの言葉は、私をやさしく励まし、なぐさめてくれる。だから「いま」選ぶ「このイチ」に本作を選んだ。これは、極上のラブロマンスでありながら、すべての女性に「いま」も捧げる応援歌なのだ。

 ちなみに田辺さんの小説は、17年くらい前、デザート編集部の緑川良子さんに渡されて読み始めた(もちろん、彼女が「このイチ!」に書いている『苺をつぶしながら』含めた『言い寄る』三部作)。素晴らしくて驚いた。そんな私がいつの間にか文庫出版部に異動し、田辺さんを担当させていただけたのだから、言葉通り「運がいい」と心から思っている。

(2011.06.15)

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この本は図書館の「大活字本」シリーズで借りた。

田辺聖子さんと同世代の女性たちは義母の世代で、戦時中にちょうど娘ざかりだった若い女性たちは、戦後、過酷な運命に待たれていたとあるように

詩人の茨木のり子さんなどもそうだが 数年の生まれ年の差で送った人生の曲折がかなり違う。

 田辺聖子さんは惜しくも昨年6月に亡くなられたが おそらく 日本の文学史に 太平洋戦争の一面を描いた作家としても残るだろう。

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