阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

世界14カ国語で翻訳が進行中の小説「空芯手帳」は優れモノの面白い本だった。

2023年06月30日 | 乱読は楽しい

{「だから私は嘘を持つことにしたの」―日々押し付けられる雑務にキレてつい「妊娠してます」と口走った柴田が送る奇妙な妊婦ライフ。第36回太宰治賞受賞作。

世界14カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げる}。

  (ネットから引用)

作者の八木詠美さんの二作目の小説が世界各国で翻訳されると知って、どんな小説なのか興味をもったので図書館に申し込んだら、すぐ借り出せた。

 一言で言うとトンデモナイ・妊娠噓つきの話だった。女性の身体に全く現実の妊娠と同じ状況が進行し、

その間の職場の人間や周囲とのやりとりが何の不自然さもなく描かれていて可笑しい。

    最後まで作者に騙されてるのかもと半分思いながら読んでいった。

作者は私も好きな津村記久子さんの著作をずっと読んできたそうだが、にじみ出てくるユーモアや、底の浅い男を「平べったい人間」と表現するなど

具体的な細部の表現に津村さんと通底する資質を感じる。この人の言葉の使い方はユニークで豊かでこまやかだ。

 今の日本の働く女性が受けている扱いの前線のありのままを 視聴率が欲しいテレビ報道の大仰さや、購読者の受けを狙う大手新聞社のフェイクか詐欺のような記事と違い

こんな風に余裕を持って会社や職場での男女差別の現実を書ける筆力に驚いた。

ヒヤヒヤもあり次の展開にドキドキもあり、借り出して読んだ甲斐のある本だった。面白い本だった。

   作家インタビュー

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小説家「野坂昭如」が6年間通い、落語家「桂枝雀」が入学するはずだった神戸市灘区の「成徳小学校」      10年前の今日2013年6月30日の本ブログに掲載

2023年06月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

1930年に鎌倉で生まれた野坂昭如は生後すぐ母を亡くし、母の妹の嫁ぎ先である神戸の「張満谷家」の養子になって、神戸市灘区中郷町で育った。

1939年生まれの桂枝雀、本名「前田達」は中郷町のブリキ屋の子として生まれた。

同じ町内の二人は1945年6月の米軍焼夷弾絨毯爆撃市民無差別攻撃を受けてそれぞれの運命が変わった。

枝雀は戦災後、父親の出身地である鳥取県倉吉市に疎開し、小学校1年入学間もなく兵庫県伊丹市に移りすみ中郷町に戻ることはなかった。

同じ町内に住んだ二人が道ですれ違ったことがあるかもと想像すると面白い。彼ら二人は戦災を受けなければ、「火垂るの墓」はなかったし、

前田達は「成徳小学校」に入り、野坂昭如の後輩になっていた。桂枝雀は1960年に神戸大学文学部に入学(一年後退学して桂米朝に入門)しているから

5歳まで育った大学に近い中郷町を訪ねて懐かしく歩いたことが一度くらいあったかもしれない。

 しかし町は地形も変わるほどの爆撃を受けたので、桂枝雀が幼時住んだ家がどこにあったか特定はできなかったはずだ。

野坂昭如によると、焼夷弾の直撃を体に受けた養父はついに遺体すら見つからなかった。
 

昨夜は「成徳小学校」の前を通り、インドネパール料理の「インドラマハール」へ行った。

2013.06.23 ~ 2013.06.29
閲覧記事数:  8706 PV
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6月5日 中郷町(ナダタマアーカイブス)
投稿日時: 2013年8月15日
昭和20年6月5日。神戸、そして灘区が猛火に包まれた日。

8月5日の空襲と合わせて灘区の被害は、死者808人、全焼・全壊家屋18068戸、罹災者74102人とされているが、届け出のあったものだけに限られているので、

実数はさらにこれを上回る凄惨なものだった。

当時、中郷町3丁目に住んでいた野坂昭如はこの時の空襲体験をもとに戦争文学の名作『火垂の墓』を書いたのは、灘クミンならよくご存知のことと思う。
この時、同じ中郷町にもう一人の少年がいた。
野坂の家(養父張満谷家)から目と鼻の先の中郷町2丁目に住んでいた少年が、後の桂枝雀となる前田達少年だった。
神戸空襲のとき、野坂は15歳でが前田少年は5歳。その時の記憶を野坂は小説にしたが、枝雀師匠は落語の枕にした。「貧乏神」という気の弱い神様の話の枕が『上方
落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく』(ちくま文庫)に収録されている。

エー、昭和20年に大空襲がございます。
神戸は6月でございました。大阪は、エー6月ではなかったのかと思いますが、えらい空襲でございました。
ご承知の方はご承知でしょうが、親父がブリキ職でございまして、まあ、職人でございますから、仕事場にでございますね。神棚がしつらえてございまして…

前田家は灘区中郷町2丁目でブリキ店を営んでいた。
仕事場には神棚があり、朝に夕べに祈りをささげていたという。
近所の徳井神社の氏子だったのかもしれない。
6月5日、中郷町にも空襲警報が鳴り響く。
いつもは警戒警報だったのが、この日は違った。
「今日も大丈夫やろう」言うてましたら、その日に限って
「空襲警報ォ!」
ダルゥドゥズバババババババババァー…
「えらいこっちゃー!お母ちゃん、空襲やー」
言うたらね、そのね、朝晩拝み上げていた神棚の
神さんね、一番にドタッ。
落ちてこられたんでございますねえ。
嘘でもねえ、朝晩拝み上げている神さんでございますから、もーちょっと頑張ってもらいたかたんですが、ねえ…
神様が先に落ちてきて、その後に実の姉が落ちてきて、「姉はようがんばったのに、神様は…」というオチ。

灘区を焦土と化した空襲だから、もっと緊迫感があったに違いないが、枝雀師匠は「頼んない神さんでございましてね。」とおどけてみせる。
悲惨な状況を笑いへと転化するという、彼の落語理論だった「緊張と緩和」の実践。
そして戦時下の「神への妄信」を、軽やかに揶揄する批評精神。
同じ神戸大空襲を描きながら、方や悲劇的な物語を、方や喜劇的な噺を。
灘区中郷町という小さな街の小さな奇跡だ。

桂枝雀の生家があった中郷町2丁目から野坂昭如が暮らしていた中郷町3丁目を望む
(ナダタマ 灘文化堂「6月5日 中郷町」2011.6.6より)

引用元

フェリシモ > 神戸学校 > 野坂 昭如さん(作家)レポート

僕自身はいつも緊張して生きてるわけなんですけど、その基本のところには55年前に受けた空襲っが根っこのところにあると思うんです。

一部引用・・

野坂さん:
『火垂るの墓』、あれはいかにも僕自身が主人公みたいだけれども、僕自身が主人公だったら、あの主人公は死んじゃうわけですから、そのままじゃないわけで……。当時1歳4ヵ月だった僕の妹は確かに飢え死にしましたけども、1歳4ヵ月じゃ話にならないっていうか、会話が成り立たないから4歳って設定にしちゃったけど、ほぼあんなふうな経験に近いことを僕はやりました。ひとつだけ違うのは僕は、主人公のお兄さんみたいにやさしくはなかったですね。配給のとき1歳4ヵ月のこどもの口にはとても合わないようなものしかないんです。だし大豆のとかなんとかね。だし大豆ってのは煎って食べるんですけれども、とても1歳ちょっとのこどもの食べられるもんじゃないわけで、大人が食べたって下痢しちゃうわけですから。例えばそれを口の中で柔らかくしてやろうと思って口の中に入れて妹にやろうと思うんだけど、僕はやっぱり腹が減っているときはひゅっと飲み込んじゃうんですよ。結局は妹の食い物を僕自身が食ったという結果になっちゃったってところは、僕自身ずいぶん一種の負い目みたいな格好でいまも残っていますけどね。

それを話の上で穴埋めするみたいな格好で妙にお兄さんをやさしい兄に書いたんです。でも、本当に飢えに追い込まれてしまうと親とこどもでも親はこどもの食い物を食べますよ。つまりこどものためなら親は命はいらないっていうのは瞬間的にはぱっと思う。だけど恒常的になると、親とこどもの間において言うならば親はこどもの食べ物を食べて自分は生きぬくっていうのは、これは生物の理にかなっているわけです。親がもしも飢え死にしちゃったらこどもも飢え死にしますからね。親が生き残れば親はまた新しく生殖行為をしてこどもを産めばいいんです。だから親が生き抜く方が大事なんですね。弱い者と強い者がいて、どっちをなんとかするっていったら強い者が生き残ることがいちばんなんです。

例えば飢えてる国へ援助しますね。あの援助ってのもなかなかむずかしいんだけれども、3人飢えてるこどもがいると。そこにふたり分の食料しかないときにふたり分の食料はあくまでふたり分の食料であって、3人で分けたら3分の2ずつになるわけでしょ。3分の2ずつだったら3人とも栄養失調で死んじゃうわけですよ。だから3人の中でもってふたりを選ばなきゃしょうがない。そういう時、現実に木登りさせて、ちゃんと木が登れたスピードの順に食物を与えて、最後のひとりには食物を与えないっていう……、それくらいにきびしいもんなんです。

だから飢えというものについて言うならば、質問してくださった方には想像もできないだろうし、まったくマリー アントワネットみたいなもんで、パリ革命が起こったときに「パンが食べられないならお菓子を召し上がればいいのに」と言ったというそんな世間知らずのひとつの例として言われますが、いまの皆さんも多分米がなくなればラーメン食えばいいだろうとか簡単にそう思っちゃうかもわかんない。だけどなくなるときには1発で全部なくなりますから。アメリカがいくらこっちに輸出しているといったってアメリカがもしも取れなかったら輸出のしようがないわけで、自分の国の国民が飢えているときに日本を助けるわけがない。日本がいくら金持ちだってね。

そういう状態といったものは、当然次の世紀には来るわけで、そのためにどういう覚悟を持っておかないといけないかっていうと、結局はやっぱり自分のことは自分で考えるってこと。ほんとに食い物がなくなったら自分だけ食えればいいっていうふうに、そりゃ世の中いろいろ人がいますから、そんなふうに極端に言っちゃいけないかもわかんないけど、基本的には自分だけ食えりゃいいと。それくらいに飢えってものはすさまじいもんで、だから人間てのはこうやって生き延びてきたんですね。そんなみんなが慈悲深く自分が食わなくても他人が食ってもいいみたいな格好でもってお互いが融通し合っていたら、人類なんてこんなふうにはたくさん生き延びられなかったわけで、弱肉強食の世の中になってしまうのが飢えの時代です。

僕は、その中に放り込まれたわけで、現実問題としてこうやって生き延びています。でも、豊かな世の中になってくると僕はいわゆるご馳走っていうものを食べられないです。対談とか座談とかっていうとよく料理屋に行くんですけれどね。料理屋に行ってこれ見よがしな料理が出てくると食べられないですね。それから僕のこどもが小さいときに、クッキーをもらって、半分だけ食べてポッと捨ててるのを見ると、ものすごい憎しみを覚えましたね。あの世っていうものがあるんだったら自分の妹にこのクッキーを持っていってやりたいって気持ちは痛切にあったんですね。
そういう気持ちが『火垂るの墓』であのお兄さんをやさしくしちゃって、あれが戦争によってもたらされた悲しいお話かもしれないけれど、一方において兄弟愛みたいな形で受け取られています。
引用元

 

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06月29日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月30日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月27日(金)のブログ ]

2023年06月30日 | 東日本大震災ブログ
2011年05月27日(金)
已むに已まれず福島の教師たちが動く
 

福島の教師 東電訪れ補償要望
5月25日 16時33分  NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、避難地域にある学校が使えず別の学校での授業を余儀なくされている福島県内の高校の教師らが、

25日、東京電力を訪れ、仮設校舎の整備や学校の再開に必要な財政措置などを要望しました。

福島第一原子力発電所の事故で、福島県内では避難地域にある8つの県立高校などが別の学校を間借りしての授業を余儀なくされていて、

25日はこうした高校の教師ら合わせて12人が東京電力を訪れました。

教師らは「生徒たちは心から笑えない状態で、自分たちの学校がなくなるのではないかという不安を抱えている」と高校生が置かれている深刻な現状を訴えました。

そのうえで、仮設校舎の整備や避難所からの通学費の補償、原発事故が収束したあと学校の再開に必要な財政措置を行うことなどを要望しました。

要望を行った福島県立安達高校の杉内清吉教諭は「東京電力からは国や自治体と相談するという回答しか得られず残念だ。

困っている福島の子どもたちに対して、東京電力が責任を持って補償を行うというメッセージを発してほしい」と話しています。

一方、東京電力の担当者は「福島県の高校生の実態を伺い、非常に重く受け止めている。

補償に関しては国の制度や指針に沿って進めていきたい」と話しています。

 
 
福島原発暴発阻止行動隊に事務所も出来た

☆現場に入る希望者には技術者のキャリアを求めていますが、もう一つの枠に「賛同・応援者」があります。☆

こちらから登録ができます。

一部引用・・

「負の遺産は残さない」
原発暴発阻止に立ち上がった60歳以上の元技術者達
2011年05月24日16時00分 BLOGOS

「技術が生んだ事故は、技術で修復する。それが責任。」発起人の1人、塩谷教授は言う。

1号機に続き、2号機、3号機もメルトダウンが起こっていたことが判明した福島第一原発事故。「言った言わない」で責任を擦り付け合う政府のトップとは対照的に、

「福島原発暴発阻止プロジェクト」を立ち上げ、何とか原子炉を冷温停止に収束させようと、自らが原発に入り、ボランティアで収束作業に当たる「行動隊」の結成を呼びかける人たちがいる。

行動隊の参加資格は原則60歳以上で現場作業に耐える体力・経験を有すること。

募集を始めて約1ヵ月半、参加者は160名を超えた。日本の高度成長を支えてきた技術者達が、再び立ち上がろうとしている。【取材・構成:田野幸伸(BLOGOS編集部)】

この日開かれたばかりの事務局を訪ねた。

インタビューに応じてくれたのは、プロジェクトの発起人の1人で東京海洋大学名誉教授の塩谷亘弘氏。

「放射線に関しては、普通の人より少しだけ詳しいかな」という教授だが、理化学研究所で陽電子を使い金属材料の研究をし、筑波の高エネルギー加速研究所でX線を使用し研究を行っていた経歴を持つ。

プロジェクト立ち上げの経緯

塩谷:プロジェクトの代表の山田恭暉とは、中学から東大工学部まで一緒で、その後山田は技術畑、私は研究畑に進んだ。4月のはじめ、原発の状況がおかしいと山田から電話があり、会って分析をしてみた。どうもリスクマネジメントのセンスがない。

原発が今の状況で、何が必要なのか、誰も判ってないんだろうなと。東電、東芝の技術者の方は優秀だが、

既存の組織、既存の利害関係の中では「ここは触られたくない」という、はめられた条件の中で考えでは対応策がとれない可能性がある。

2人とも、原発で作業した経験はない。だが、お互いの経験の中で、どうしたら良いか、立ち止まって考えた。我々には40年近い経験がある。

現場で全ての状況を見て、サジェスチョンしたいと思った。

新聞発表のデータしかない中で、東電の方針はすでに組み込まれている冷却装置を何が何でも復旧させて冷やしたいというものだった。

我々は、アレだけの水素爆発が起こっている中で、鉄骨の状況などを見て、原発内部もかなりのダメージと推察をした。

ビルトインされた冷却装置を直そうというのは、作った者の発想。上手く行かないだろうと判断した。外付けの冷却装置を至急設計して設置する体制を作らねばと。

60歳を過ぎた者の被曝は、子供や妊婦や若い女性の被曝とは違う。瞬間的な強い被曝は別だが、

放射線の影響で)20年、30年後にガンの発生率が上がったとしても、影響は少ない。

経験豊かで一度引退した人間を集める必要があると思い、Webで呼びかけを開始した。

作業に参加すれば、現地にはデータがあるはず。データがあれば、どういう知識をどこに投入すればいいか考えられる。

しかし、東電に受け入れてもらわなければればどうにもならない。現地は立ち入り禁止。行ったところで相手にされてもらえない。

そこで、政府関係者、国会議員、東電へのアプローチを開始した。実際に東電の方にも沢山会った。国会議員にも何人か会えた。

全文はこちら

 
 
審査機関に御咎めはなかった 世田谷のマンション耐震偽装
 

☆新規建築の確認申請審査をする役所や官の代行をする民間機関が、偽装を見逃したケースが各地で多くあった。

住民らは検査機関の見逃しで多大な損害を受けたとして検査機関や市町村を訴えたが、見逃した側には御咎めはなかった。

この判決を見ると、確認申請と言う法律に基づいた業務は、内容のない形式的なものようにも思えるが、

反面、意図的に違法建築をやろうとする輩を法で阻止するのは難しいということでもある。

それにしても建築確認が下りていると言われても強度が信用できないとなると、普通のくにたみは何を頼りに家やマンションを買えばいいのか、裁判所は教えてくれない。

いままで調べた範囲では、自分で費用を払って第三者的な設計事務所に図面と施工をチエックしてもらうか、近所で長年やっている工務店に頼むか、

あるいは大手と言っても、面談して信頼できると判断した営業部員がいる会社を選ぶか、そんなところのようだ。

確認申請制度のない昔は、近所の大工さんが地域のコミュニテイの中で稼業をやっていたから、信用を守ってへんなことはしなかった。

しかし、近所に大工さんがいない今の時代は残念ながら、そうはいかない。

「官の無謬性」つまり、役所のやったことに間違いはなかったと、裁判所という別の役所が太鼓判を押したこの判決は、くにたみの身からは何となく納得できない。

世田谷のマンション耐震偽装 住民らの損賠請求棄却 
検査機関過失など認めず
2011年5月26日 東京新聞

 元一級建築士の姉歯秀次受刑者の耐震偽装事件をめぐり、世田谷区のマンション「グランドステージ(GS)千歳烏山」の住民ら五十八人が、

民間の指定確認検査機関「イーホームズ」(廃業)や国、同区などに建て替え費用など九億円余りの損害賠償を求めた訴訟の判決で、

東京地裁(河野清孝裁判長)は二十五日、住民側の請求を棄却した。

 河野裁判長は判決で「設計図などに構造計算書の偽装を疑わせる明らかな特徴はなく、イーホームズの確認検査員の過失は認められない」と判断。

住民側は「区が建築確認の責任を負う」と訴えたが、「検査に過失がない以上、区に損害賠償責任は成立しない」と退けた。

 また、住民側が監督責任を追及した国についても「当時、構造計算書の偽装が横行していることを想起させる事情はなく、

構造審査の基準や指針が策定されていなくても違法ではない」と判断した。

 GS千歳烏山は耐震偽装発覚後、入居各世帯がそれぞれ約二千万円を負担して解体し、新たなマンションを新築した。

 
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