☆普段は違和感を持ちつつも、カネのやりとりの下で表に出ることはない来日して働いている外国人ワーカーの就業姿勢や家族観。 沢山しかも長く居住していた外国人の社員やパートタイマーやアルバイト学生が急に消えて、商売や事業が成り立たないという中小企業や農家が出てきているらしい。 雇いたい主人は日本中にいても、自分探しの若い衆はそんな汗をかく仕事は「自分探しの職場ではありえない」らしく、目もくれない。 日本に下男下女や住込みの女中さんというあり方がなくなってもう久しい。 故郷に戻って洋服仕立ての店を開き、夫婦でせっせと夜中まで働きとおした。 そして4人の男の子を上級学校に上げた・・その男の子の一人がお前さんの父親だよという一族の物語を聞いて私は育った。 そんな風にわが手に職をつけるまでは低賃金で住込みでも・・という時代はもう日本ではとっくに過ぎたようだ。 また雇い主も雇用人を消耗品扱いすれば、相手の振る舞いもそれに見合うものになるのは当然だ。 日本人社員は臨時で雇ったバングラデシュ人を取り囲んだという。年度末の繁忙期に「それはないだろう」というのが日本人社員の言い分だ。 単なる出稼ぎ先の1つにすぎないのである。しかも、年金、医療保険などの保障もなく、福利厚生すら対象外の臨時工だ。お互いに利用し合ってきた関係に「義理」は求め難い。 |
麻雀週刊誌で阿佐田哲也で知り、そのうちに雑誌「話の特集」で小説家、色川武大の小説を読んだ。『怪しい来客簿』『麻雀放浪記』など。 ある種の「すごみ」を感じる時もあったようですね。 なぜなら、戦争中に起きることは、人間がやることではないから。 |
☆神戸市の市長さんは戦後66年間ずっと助役から市長になっている。 神戸市の市会議員団はずっと助役の候補を一枚板で応援してきた。 「市会議員がどんなに重要な仕事をしとるかも知らんのに、新人が何を言うか」と全党挙げてつぶしてきた。 神戸新聞が地元紙のしがらみの中でさりげなく実情を報道するとはあっぱれだ。 |
☆お会いしたこともお話を伺ったこともないのに、この人は掛け値なしのホンマモンだと思って私淑している人が何人かいる。 そのうちのお一人である“八軒家南斉”さんは、有難いことに頻度は低いがご自分のブログを時々更新される。 つい最近も新しく書かれた記事がUPされた。 復興の美名のもとに、二度と大津波に流されない、超巨大防波堤などだ。万里の長城や,戦艦大和はもうたくさんだ。 納税者のぼくの立場からいえば、破綻に瀕している財政から、税金や国債で吸い上げたカネをそんな風に使ってほしくない。 ある専門家は、津波のエネルギーに抵抗できる人工の構築物はないと言いきっているのだ。無理はあかん。無理は負けるで。 好むと好まざるにかかわらず。人口の80%が都市に集まると予測されている。 いくら勢いよくグランドデザインとか、ビジョンを作文してうたいあげても、それが現実を踏まえなければ、冷厳なグローバルな市場原理の流れには勝てないような気がする。 残念ながら、東北は、その少子高齢化社会の未来のサンプルにほかならない。 2010年に一一六八万人が、2050年には七二二万人に減るという政府予測だ。その半分は、高齢者だ。 長い年月を経ると、いかに故郷が恋しかろうと、市場原理のままに、人々は、移動する。集落も、工場も。なにも、日本に限ったことではない。 若いひとが、ふるさとを出てゆく。残るのは老人たちばかり。 先祖は、傾斜のきつい山ぎわの田んぼを段々に耕したが、機械のはいらないまは、耕作放棄地にせざるを得ない。 三陸海岸の水産物か工場は、研修生という名の中国人労働者がいなければ操業できない。 茨城県のイチゴハウスも、収穫する中国人労働者が帰国したため、ハウス内で枯れてしまった。 労働力不足の東北は、五十年後、百年後にはどうなるだろう。 このまま、研修生という名の低賃金の外国人労働力によって、支えられる「特区」地域となるほかないのだろうか。 政治家がグランドプランをどれほど提示しようとも、口当たりの良い元気のいいアイデアは、よく吟味せねばならぬ。 日本列島改造論を思い起こしてほしい。バブル後の町おこし、村おこしは、全数絶滅した。 死屍累々、また夕張のような事例が、選挙の公約で、また出現しないとも限らない。 膨大な負債を残し、子や孫に引き継がれる。あやまちは、忘れられ繰り返される。リアス海岸の津波対策のように。・・ |