阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

長崎「焼き場の少年」広がる共感 原爆「悲しみ」を発信  [長崎県]、西日本新聞。   映画「TOMORROW 明日」

2024年08月09日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ


長崎「焼き場の少年」広がる共感 原爆「悲しみ」を発信  [長崎県]、西日本新聞
2018年08月15日06時00分 (更新 08月15日 06時20分)

原爆投下後の長崎で撮影されたとされる写真「焼き場に立つ少年」への共感が、時代や国境を超えて広がっている。

昨年末にローマ法王フランシスコが「戦争がもたらすもの」とのメッセージと自筆の署名を添えて、写真を世界に発信するように呼び掛けた

日本ではカトリック中央協議会(東京)が7月上旬に日本語版の写真カードの配布を始めると希望者が相次いだ。

唇をかみしめ悲しみをこらえる少年の姿が人々の心を揺り動かしている。


 写真は米軍のカメラマン、ジョー・オダネル氏(1922~2007)が1945年に撮影。直立不動の少年が、亡くなった弟を背負い、

焼き場で火葬の順番を待つ姿を写している。


 国内では核兵器廃絶を訴えるローマ法王の呼び掛けに長崎大司教区の高見三明大司教(72)が応じて、カトリック中央協議会が動いた。

「被爆地・長崎にいる私たちが動かないといけない」。オダネル氏の遺族の使用許可を得て20万枚の写真カードを作り、

全国の教会を通じて配布を始めた。

はがきとほぼ同じ大きさの写真カードの裏面には「この少年は、血がにじむほど唇を噛(か)み締(し)めて、

やり場のない悲しみをあらわしています」との説明文がある。


 長崎市で生まれた高見氏自身、胎内で被爆。祖母ら親族10人以上を原爆で亡くしている。法王の呼び掛けを聞いて、親族に思いを巡らせた。

被爆から6日後に亡くなった祖母は想像を絶する苦しみだったはずだ。

母の妹の1人は畑仕事中に爆風や熱線を浴び、もう1人は遺体すら見つかっていない…。

 

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「人間は私の父と母のように、霧のように空中に消されていいものだろうか」

今から78年前の8月9日、両親を長崎の原爆投下で失った人の言葉です。

映画「TOMORROW 明日」の冒頭にこの言葉がスクリーンに写しだされました。

 1)子供たちが道路でチャンバラをしている遠景に日本人の修道女が二人歩いてくる。

夜、逢引する場面の向うに墓地が見え、その中にいくつか十字架のお墓が見えている。

そして殆ど終盤にマリア像が大写しされる。

見ていてそのことにすぐ気がついた。

キリスト教の日本における布教史の中では、特別な位置を持つ長崎。

その長崎をキリスト教国のアメリカが、広島に次いで人類に対する2番目の一般市民大量無差別虐殺のターゲットにした。

歴史で原爆を習い、また、江戸以前からの日本のクリスチャンの過酷な信教の歴史を知りだしたころ、アメリカ政府は天主堂がある場所を含めて

なぜ長崎へ原子爆弾を投下したのか、自分は単純に不思議に思った。今もその疑問はそのままだ。 


街の中に普通に日本で一番キリスト教が根づいている長崎の街と長崎のひとたち。

黒木監督もそのことが頭にあったのかなあと、そのことが気になりながら映画に見入っていった。

 2)黒木和雄監督は先日、残念ながら早い死を迎えられた。その追悼のため戦争三部作と言われる作品の追悼上映が催され、

その最初の上映が1988年制作のこの映画だった。

映画は長崎に原爆が落とされた昭和20年8月9日の前日、8日の長崎市民の一日を淡々と描いている。

肺浸潤のため徴兵されなかった工員(佐野史郎)と長崎医大の看護婦(南果歩)のささやかな婚礼。

夫が出征しているその姉(桃井かおり)の出産。その妹(仙道敦子)と医大生との恋愛。そしてその両親の1日。近所の市電の運転手夫婦の日常。

捕虜収容所のB29の乗員たちの生活も。

皆にとって、7日の昨日もそうであり、9日の明日もそのように続いていくはずだった。

女学生の妹が学校から引率されて工場に向かう9日の朝、道の途中で白雲のわく長崎の空に現れた米軍機をふと見上げた次の瞬間、

画面は白と黒だけに変わり、真っ白な灼熱の空気が強く流れてくる。

そこで映画は何も語らず終わる。

この映画は始まるとすぐ、画面に文字だけが出た。

人間は私の父と母のように、霧のように空中に消されていいものだろうか
(長崎の被爆体験者の証言から)

 3)結果的に「父と暮らせば」、「美しい夏キリシマ」、「TOMORROW/明日」という制作年度の若い順とは逆の順番で3本を見たことになった。

どの映画も二十歳前の黒木監督自身の戦時体験が映画を作るモチベーションになっていて、見る順番は関係なくどれも胸のどこかに沁みこんでいく。

人間は突詰めれば 他者に対する想像力を育て、想像力を持つ者だけが人間となり、それを持たぬもの

持てぬ者は人間の形をした一哺乳類のままのような気がするが、黒木監督はきっと人間の行動に感度の高い想像力があり

、自分が生まれた時代に意味を求め、生きる意味をこれらの映画作りに託したのだと思う。

何事もなく過ぎていくと思っていても、次の日には何が起こるかわからない。それは自分の明日にも。

こんなことが通るようではおかしい、変だと言うことを、自分がそのままにしておくとその結果は必ず間違いなく誰の上にも例外なく来る。

黒木和雄と言う人は日本人だけではなく、地球上の人間にそういう強いメッセージを送り続けて生きてきた、ような気がする。

黒木和雄監督 戦争レクイエム4部作予告編

  2006年8月12日 ブログ『阿智胡地亭の非日乗』に掲載

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長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。  解体されてしまった理由は?

2024年08月09日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

一部引用・・・長崎市北部に位置する浦上地区は、戦国時代末期にイエズス会領になっていたこともあり、カトリックの信者が多い地域だった。

その後、江戸幕府のキリシタン禁教令によって、4度に渡る「浦上崩れ」という激しい弾圧を受けるが、地元住民はキリスト教への信仰を捨てなかった。

「潜伏キリシタン」として明治時代まで信徒が存続していた。

 江戸末期から明治初期に起きた「浦上四番崩れ」が欧米から批判されたことを受けて、ようやく1873年に明治政府がキリスト教の信仰の自由を認めた。

釈放された浦上の信徒たちの間で、天主堂の機運が盛り上がった。1895年にフレノ師が設計、ラゲ師に引き継がれ、20年後の1914年に完成した

これが、石とれんが造りのロマネスク式大聖堂「浦上天主堂」だ。高さ25メートルの双塔の鐘楼を備え、「東洋一の大聖堂」と謳われるほどだった。

しかし、1945年8月9日午前11時2分、米軍が長崎市の上空に投下した原爆「ファットマン」によって、浦上天主堂は、一瞬にして崩壊。一部の外壁だけが残された。

西田三郎、玉屋房吉の二人の神父と、奉仕作業をしていた信徒十数人が天主堂と運命をともにした

 画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

 

原子爆弾投下で破壊される前の教会

アメリカ軍撮影の長崎投下後のキノコ雲

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2024年08月09日 追記

長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。解体されて「幻の世界遺産」になった理由は?⇒こちら

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08月08日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

東京新聞朝刊

東京新聞朝刊

    スイスの氷河 15年後に同じ場所で撮影した写真

 

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月09日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月09日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月09日(月)
 
がれき 2000万トンどう処理するか NHK番組から
 
20120707 がれき "2000万トン"の衝撃
NHKスペシャル シリーズ東日本大震災「がれき "2000万トン"の衝撃」東日本大震災で発生したがれきは、東北3県の沿岸部だけでも1880万トン。これは阪神・淡路大震災を超え、過去最大級とも言える膨大な量である。そのうち、今年5月までに処理が終わったのは2割に満たない。今も、被災地には高さ20メートルものがれきの山が残ったままで、震災から3年以内に全ての処理を終えるとしている国の目標に黄信号がともっている。国は焼却や埋め立てを全国の自治体に依頼する「広域処理」を進めようとしているが、焼却施設や処分場の不足、そして放射能の影響を懸念する地元住民の反対もあって、難航。さらに、ここに来て、行き場のない不燃性のがれきの処理が新たな問題として浮上。一方、津波で海上に流出し、太平洋を巡ったがれきが、北米に続々と漂着。その処理をめぐって、国際問題に発展する懸念も出始めている。空前の津波で発生した膨大ながれき。震災から1年以上経ってなお、数々の問題を引き起こし続けるがれきの行方を追う。
 
 
 
アメリカの軍産複合体はオスプレイを何としても日本へ 変わらない意志
 
オスプレイ配備 地元理解見通し立たず
7月9日 4時8分 NHKニュース

 アメリカ軍の最新型輸送機「オスプレイ」の沖縄への配備計画を巡って、政府は安全性に対する地元の懸念を払拭(ふっしょく)するため、アメリカ側にさまざまな働きかけを行いたいとしていますが、地元の反発は根強く、理解を得られる見通しは立っていません。

「オスプレイ」の普天間基地への配備計画を巡って玄葉外務大臣は、8日、アメリカのクリントン国務長官と会談し、安全性への懸念から沖縄だけでなく、日本全国で反発が強まっているとして、墜落事故についての十分な情報提供を求めました。

これに対しクリントン長官は、日本側の懸念に理解を示し、情報を提供する考えを伝える一方で、安全保障上の観点からオスプレイを日本に配備する重要性を強調しました。

政府は安全性に対する地元の懸念を払拭(ふっしょく)するため、アメリカ側が墜落事故の調査結果を取りまとめる際、再発防止策を併せて示すよう求めるとともに、アメリカに専門家チームを派遣して、詳細な分析を行うことにしています。

また両国間で定期的に開かれている事務レベル協議などの枠組みを通じて、オスプレイの配備や運用を地元の意向を踏まえた形にできないか打診するなど、さまざまな働きかけを行いたいとしています。

しかし事態の打開策は容易に見いだせないうえに、日米両政府のこれまでの対応への不信感などから地元の反発は根強く、理解を得られる見通しは立っていません。

☆日本の政官財の人的品質劣化と倫理観低下も甚だしいが、アメリカの軍産複合体戦略部門の現実認識力の低下もひどい。

 いずれにせよ日米地位協定という契約の土俵で交渉すれば、持ち込みを阻止することは不可能という(岡田副総理)。

なれば、国民の生命を守るという土俵で政府間交渉するしかないが、外務省と防衛省のアメリカ閥の官僚群はそれに対して凄まじいツブシ戦術に入っている。

 彼らは野田さんをかついでいる間は、日米の政府間交渉に持ち込まれずに済むと、野田さんを大切にかつぎ上げている。

 一方、アメリカの内部は歴史的にも必ずしも一枚板ではない。

 彼らの中には、このオスプレイ持ち込みを使って日米間にあえて大きな摩擦を起こし、米軍の日本駐留体制の規模の見直しをかけようとする一派もいる。

 なにしろアメリカの国家予算に占める海外駐留軍事費用に歯止めをかけなければ、老朽化しているアメリカ国内の高速道路や橋梁などの修理費など、インフラ維持もおぼつかない財政状況にアメリカはある。

この状況を奇貨として、敗戦後67年 もう自国の防衛は自国の軍備と人でやるという方向に転ずべきだと思う。それがあってはじめて一国を「独立国」と言う。

   「 臥薪嘗胆 捲土重来 次は勝つ 」の気概は、独立国のくにたみは持つべきだ。そうでなければ太平洋戦争で日本の国家維持の為に亡くなった310万人の民間人、軍属、兵下士官は浮かばれない。
 
 
 
映画「キリマンジャロの雪」を観ました。
 
フランス映画と言うことを途中から忘れて、いま地球上で生きている普通の一般人の共通の物語として楽しみました。

ヤクのためには荒っぽい窃盗に手を染める仕事のない若い世代。
自分が所属する階層の、代々の分を守った誠実な生き方、暮らし方をする世代。

それが不況のために起こった会社の人減らしの故に、思いがけない交錯をする。

寡婦と息子3人は生きていかねばならない。

首きりにあえて応じた組合の委員長と介護婦の妻、彼らの息子娘孫たち。彼の弟とその妻。マルセイユで生きている普通のひとたち。

貧しい息子たちと老年の夫婦の思いがけない交流。
決して予定調和の安易な展開ではないが、人っていいもんだなぁと、心が暖かくなる映画だった。

なにげないユーモア。現代フランスの地方警察の生の描写。
それらも手練れのシナリオと監督の技の冴え。

どの俳優も美男美女ではない。それだけになんかドキュメンタリ映画のようでもある。

開始15分前にチケットを買ったら通し番号は48番だった。
こんな地味な映画なのに口コミで良さが伝わっているようだ。

ひさしぶりに鼻の奥がツンとしてズボンのポケットからハンカチを出したが、両隣の男女も同じような感じだった。

 韓流ならぬ仏流映画。さすがの底力だと心強く思いました。

公式HPはこちら
 
「キリマンジャロの雪」予告編
 
 
世界の原発発電量 減少
 
朝日新聞デジタル 2012年7月8日2時15
世界の原発、発電量前年比4.3%減 原発事故影響で

 世界の原発の発電量は2011年に2兆5180億キロワット時となり、前年より4.3%減ったことが分かった。英仏のコンサルタントらが6日、報告書をまとめた。東京電力福島第一原発の事故が主な落ち込みの原因と分析している。

 国際原子力機関(IAEA)のデータなどをもとに、仏民間研究機関の元代表、マイケル・シュナイダー氏らが集計した。報告書によると、日本で1240億キロワット時、ドイツで310億キロワット時、減った影響が大きい。世界の総発電量に占める原発の割合も11%で、1993年の17%から減ったという。

 事故を受け、福島第一、第二の計10基のほか、ドイツ8基、英国1基の計19基が2011年の1年間に廃炉や将来的に再稼働が困難になった。原発事故以降、ドイツ、ベルギー、スイス、台湾なども脱原発の方針を決めている。報告書は「福島の原発事故が世界の原発開発に影響を及ぼし続けている」と指摘している。
 
 
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