2012年7月19日 田中秀征 コラム『政権ウオッチ』から
16日に開かれた「さようなら原発10万人集会」は、広い代々木公園を埋め尽くした。毎週金曜日に行われている首相官邸への抗議行動は回を重ねるたびに参加者が増え続けているという。
今回のデモや集会は、政党や団体が開催しているものではない。ネットを通じて自発的に集まった人たちだ。自発的に参集した人たちの熱意とエネルギーは、動員された人たちのそれと比べて、優に10倍の強さがあるだろう。
16日の集会は、作家の大江健三郎氏や音楽家の坂本龍一氏が呼びかけたという。呼びかけた人が信頼できる人だと安心して出掛ける人も多くなるはずだ。老婆心ながら、参加者数の「主催者発表」は必要ない。参加者数ばかり気にしているような誤解を与える。メディアにでも推定させればよいだろう。
脱原発運動が水量を増しているのは、その中核に、今まで原発に無関心だった人、黙認、容認してきた人などがいるからだ。そんな人たちの反省、後悔が一段と大きな広がりをもたらしている。
拡大化する「脱原発デモ」にも “事なかれ主義”な野田首相
さて、野田佳彦首相は、官邸を囲む大きな抗議の声を耳にして「大きな音ですね」とつぶやいたと伝えられた。いくらなんでもこれは何らかの誤解か聞き間違いであると思いたい。
これに懲りたか、その後首相は「しっかりと受け止めたい」と発言した。いかにも事なかれ主義の空虚な言葉で、心に響くものがない。
首相は、ごくふつうの人がデモや集会に立ち上がっている深刻な事態の本質を全く理解していない。
「若い人の考えが反映されない世の中になっている気がする。変えるにはこれしかない」
これは16日の集会に参加した人の言葉である(17日毎日新聞)
この言葉は事態の本質を語っている。
要するに、政治に任せておけば、間違った方向に誘導されるという強い不信感が根底にある。歴史が示すように、
直接民主主義が発動されるのは、間接民主主義が機能不全に陥ったとき。国会を通じて意向を反映することができなくなったとき、人々はたまりかねて街頭に出たり、広場に集まる。
その意味ではアラブのデモと本質的には違わない。
“声なき声”に耳が傾けられない今、 間接民主主義がかつてない危機に
私は60年安保当時、大学2年生。20歳そこそこの学生たちが、ときの政権と真っ向から対峙した。だが運動の背景には、日本の社会主義革命を志向する極左勢力があった。
だから岸信介首相は「私は“声なき声”に耳を傾ける」と言って、安保改定を強行したが、岸発言にも一理はあった。
しかし、今回は疑いなくその“声なき声”が声を出して立ち上がっているのだ。もっと端的に言えば、自民党に失望して民主党に期待した人たちの声だと考えてよい。
民主党の支持者たちが、米国にも官僚にも財界にも自分の意見を言うことができず、平気で公約違反をする首相に強く抗議して立ち上がっている。
私も官邸中枢の政策決定に少なからず関与した経験があるが、首相が米国、官僚、財界の言いなりになっていれば、日々是好日である。
本丸の中さえ平穏であれば、外堀の向こうをむしろ旗が取り囲んでいても眺めていればよいからだ。
最近、首相は「増税の前にやるべきことがある」という党内外の抗議に対して、そういう姿勢が逆に問題解決を遅らせてきたと発言した。
これこそ語るに落ちた話ではないか。ガソリン漏れを直さないで給油しようとするから反対されるのだ。
首相は「消費税増税はシロアリ退治をした後の仕事」という自分の最優先の公約に戻るべきだ。そうでなければ、自らシロアリと化していることになる。
政権交代当時の民主党代表であり首相であった鳩山由紀夫氏は、マニフェストの最終責任者であり最高判定者。その彼が「野田首相は公約と真逆のことをしている」と怒っている。
それでは何のための選挙なのか。何のための公約なのか。議会政治(間接民主主義)の正当性がかつてない危機に直面しているのである。
【追補】
18日に民主党参議院議員3名が離党し国民新党を離党した亀井亜希子氏と「みどりの風」を結成した。
曇天に待望の晴れ間が見えた印象だ。おそらく国民的支持を受けて大きく広がるだろう。
かねてから私は亀井氏は次世代の有力な指導者になると注目していたがその第一歩と期待している。
ただ、脱原発、反増税、反TPPを強調すると「何でも反対」に見られる恐れがある。
自然エネルギー、簡素な生活、行政改革、食料自給率の確保などもっと前向きな言葉を前面に出したほうがよいだろう。
小沢一郎氏からみると魅力的な援軍だろうが、この際は一線を画して遠くから見守ってほしい。
無理に連携しようとすればせっかくの晴れ間がたちまち雲で覆われてしまう。
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