阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

ロンドンとスコットランドのグラスゴーで感じたこと       昭和50年代の海外あちこち記  その11  

2024年08月17日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1977年1月入国。

1)ある国際入札の準備のためグラスゴーのコンサルタント会社を訪ねてグラスゴーに行った時、日曜日に有名な大聖堂に行きました。

大きな聖堂でその長い回廊のところどころに、プレートが掲示されており、読むと「千六百年代の何月何日、

当地の伯爵家の長男デイビッド・マッカラム・ジュニア(例えばですが)がエジプト戦争に出征し、

勲功を挙げたが惜しくもカイロ近くのエジプト軍との激戦で戦死し、遺体はここに眠る」というような事が書かれてありました。

 こういう風にほかにも多くのプレートが掲示されていました。墓地でなく人が踏んで歩く協会の廊下の下に埋葬?と言う事と、

イギリス人(彼はスコットランド人の支配階層の一員ですが)はそんな時から、他国へ戦争に行って領土拡張に励んでいたんだとの二つのことを思いました。 

 後でキリスト教の死後の世界の認識を読んで、キリストが再生する時に、共に再生するため教会の中の祭壇に近いところに埋葬されることが、

信者の願いということを知ってそういう事かと思いました。

 にしても洋の東西を問わず、人間の考えたり、することは、そうは違いません。地獄の沙汰も金次第。死んで埋められる場所も身分と金で違ってくる。

ヨーロッパ各国の教会の地下墓地にミイラ化した遺体が沢山置かれているのも、その時々に上流にいた人達が死後の世界でなく永遠の命を願った証であるようです。 

 

  2)ロンドンの町は何度行ってもどんよりした曇り空、石炭の煤で薄汚れた家々が並んでいたという記憶しかありません。

煉瓦の舗道で街路樹も少なく殆ど街中には緑がなく、同じような造りの集合住宅が続きキレイな町並みだなあと思ったこともありません。


 こんなとこで暮らしたイギリス人は一度太陽のふりそそぐ外地(植民地)へ出たら、二度と帰って来ようとは思わないだろうなと思いました。

「小公女」だったかの小説で主人公のセーラが、両親がインドに駐留する軍人家族のため幼い時から学校の寄宿舎暮らしをしていたのを、

また寄宿舎の学生が殆どそういう境遇だったことを思い出しました。

 当時から沢山のイギリス人が軍人や官吏で植民地に出ていたのです。アフリカ、インド、アラビア半島、東南アジア、と相当古い時代から

ユーラシア大陸の日本の反対側の島国の住人達は寒くて貧しい土地を出て、陽光燦燦たる他人の土地へ渡って行ったけど、この環境ならそうだろうなと思いました。

 

3) 学生時代の1961年頃に見た映画「土曜の夜と日曜の朝」というイギリス映画は、機械工場に勤める工員が主人公でした。

それまであまりイギリス映画に取り上げられなかった労働者階級の日常を題材にしたシャープな映画でした。出演者に美男美女は一人も出てきませんでした。

 彼の家は煉瓦造りの長屋で、居間の場面が写ると、いつも退職した父親が、カメラに背中を向けてテレビのサッカーの試合を見ていました。

居間の場面が出ると必ずいつも父親はサッカーの試合を見ていました。

いまサッカーが日本でもポピュラーになり、こんなスピーデイで面白いものだったのかと知りましたがメディアの解説の中に、

ボール一個あれば誰でも出来るサッカーは、イギリスでは中流以下の階層が熱狂的に愛好するスポーツになったとありました。フーリガンの出身階層とも。

 通りがかりでは表面の勝手な印象と先入観でしか、その町と住人を見る事は出来ませんが、都心を外れて下町を車で通ったり、

汽車の車窓から場末を見たりするロンドンは生まれた階層によってえらく差のきついところみたいだなあと思いました。

(2002年記)  [画像は出張当時のものではありません。全てネットから借用しました]

 
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【山本七平は日本の“アウトサイダー”】「道外れ者」だけがまともな知識人たりうる近代日本とは何か? 浜崎洋介×與那覇潤

2024年08月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

【山本七平は日本の“アウトサイダー”】「道外れ者」だけがまともな知識人たりうる近代日本とは何か? 浜崎洋介×與那覇潤

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08月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年08月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東京新聞から

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年07月17日(火)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年08月17日 | 東日本大震災ブログ
2012年07月17日(火)
 
お墓にこれからお参りにいけなくなる人たち 飯館村
 

飯舘・長泥地区「帰還困難」に 荒れる故郷、墓前に別れ
2012年07月17日火曜 河北新報

バリケードの前でやるせない表情を見せる佐藤さん(右)=16日午前11時ごろ、福島県飯舘村長泥


区域再編前日に墓参りに来て花を手向ける志賀さん=16日午後4時ごろ

福島第1原発事故の避難区域の見直しで、福島県飯舘村が17日、新たな3区域に再編された。

放射線量が高い長泥地区は村で唯一、5年以上帰還不能で立ち入りも制限される「帰還困難区域」に指定された。

自由に立ち入りできる最後の日の16日、住民は荷物出しや墓参りで一時帰宅し、自宅に別れを告げた。(福島総局・浦響子)

 長泥地区は村の南端で山林に囲まれたのどかな地域だ。74世帯276人が住んでいたが、原発事故で避難した。

車道脇に雑草が伸び、田んぼには白い夏草の花が揺れていた。あるじを失った住宅は所々壁が傷んでいる。

 「植木も田んぼも避難後は手入れしていない」

 荒れた庭の草木を見ながら、農業佐藤明康さん(70)がつぶやく。福島市の仮設住宅に避難している。再編前に家を見に行こうと妻(62)、長女(42)と訪れた。

 翌日からバリケードで封鎖される。住民は暗証番号を使って鍵を開けて立ち入りできるが、「関」の印象が強く、帰還困難という言葉の響きと共に心にのし掛かる。

 「飼っていた牛の柵を思い出す」。佐藤さんの言葉に妻がうなずく。「隔離されている気持ち。今まで通りにスーッとは入れない」


 地区内を回ると、一時帰宅する住民がぽつりぽつりと現れた。道端で会い、「しばらく」「最後だから来たよ」と声を掛け合う。

 海産物卸業志賀隆光さん(64)は親戚と4人で自宅そばの墓にお参りに来た。福島市の借り上げ住宅で暮らす。新しいお花を供え、墓前で手を合わせた。

 「追い出されたようなもの。残念というほかない」
 区域再編で帰還が遠のく。「もう帰れないかもしれない」。村外に定住する選択肢が現実味を帯びているという。

 バリケードは長泥地区と外部を結ぶ道路6カ所に設置され、17日午前0時、国の原子力災害現地対策本部職員らの手によって閉鎖された。

[飯舘村の避難区域見直し] 2011年4月、全域が計画的避難区域に指定され、全村民が避難している。

今回の見直しで、村内20地区は放射線量に応じて「帰還困難区域」(年間50ミリシーベルト超)、

立ち入りは自由にできる「居住制限区域」(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)、早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト以下)に再編された。

帰還困難区域は長泥地区のみで制限区域は飯樋など15地区(1662世帯5262人)、準備区域は大倉など4地区(208世帯795人)。

帰還困難区域は午前8時~午後5時に限り立ち入りできるが、宿泊はできない。

 
 
自民党の佐藤正久議員が政府に質問主意書で問いただす
 

米国の実測データ 原発事故住民避難に活用せず
【政治ニュース】 2012/07/16(月) 18:45 サーチナ

 東京電力福島第一原発事故発生後の昨年3月17日から20日の間、米国エネルギー省が同原発周辺地域の放射性物質を実測した空中モニタリングデータを外務省に提供していたが

その情報を公表せず、住民避難にも活用しなかったとして、参議院の佐藤正久議員(自民)から質問主意書で理由を質された政府は

「現時点(7月10日現在)で定かでない」と住民避難に活用しなかった理由が未だに解明されていないとする回答をした。

  佐藤議員は、政府はSPEEDIのデータを避難に使用しなかったのは推測値であり、無用な混乱を引き起こさないためと答弁していた。

米国モニタリングデータは実測値で、住民避難判断に活用すれば、より適確、迅速な判断に結びついたのではないかとして政府を質した。(編集担当:森高龍二)

 
 
「内田 樹」が民主党機関紙のインタビューを受けた
 
プレス民主でのインタビュー

半月ほど前に、東京で「プレス民主」(民主党の機関誌)のインタビューを受けた。「窓」というコーナーで、党外の人に広報委員長の有田芳生さんがインタビューするという趣向のもの。

たぶんあまり一般読者の目にとまるチャンスのない媒体だと思うし、長すぎたので一部削除されていたので、ここにオリジナルヴァージョンを再録しておく。


「民主党への建設的提言 各界識者に聞く」 最終回 今求められているのは国の統治機構について率直に言えるリーダー
(聞き手 有田芳生 参院議員)

――民主党への建設的提言ということですが、今朝ツイッターで「今や、民主党に言いたいことはない」と書かれていました。まずはその理由からお聞かせください。

内田 2009年の政権交代後の鳩山さんの最初のスピーチを聞いたときは非常に期待しました。「これまでとまったく違う政治になる」「時代は変わる」と。

しかし、沖縄の普天間基地問題をめぐり、メディアは総理の「迷走」を激しく非難して、結局鳩山さんは政権から引きずり下ろされました。

僕はどうして基地問題で「できれば国外」という要求をしたことがこれほど同国人から批判されなければならないのか最後まで理由がわかりませんでした。そのあたりから民主党という政党が何をしたいのかが分からなくなってきた。

以下全文はこちら
 
 
7月16日の報道ステーション
 
0120716 飯舘村あす再編 「線引き...
20120716 意見聴取会またも紛糾... 
 
 
反原発集会 16日過去最大の参加者
 

さよなら原発 「17万人」集う 
2012年7月17日 07時00分 東京新聞

炎天下で開かれた「さようなら原発10万人集会」=16日午後、東京都渋谷区の代々木公園で(河口貞史撮影)

東京電力福島第一原発事故を受け、作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発10万人集会」が十六日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた。

三連休の最終日で全国から参加者が集まり、関西電力大飯(おおい)原発3号機に続き、4号機でも再稼働を決めた政府への抗議の声に包まれた。

 参加者数は主催者発表で約十七万人で、警視庁関係者によると約七万五千人。主催者によると、反原発を訴える集会としては

、昨年九月に東京都新宿区の明治公園で行われた集会を上回り、過去最大規模という。

 公園内のサッカー場に設けられたステージには呼び掛け人の著名人らが登壇。音楽家の坂本龍一さんは

「電気のために美しい日本、国の未来である子どもの命を危険にさらすべきではない」と訴えた。参加者はサッカー場を埋め尽くしたほか

、野外音楽堂前の広場や公園内の道路などにも広がった。「福島につながろう」「再稼働おことわり」などと書かれたパネルなどを掲げた。

 労組や市民団体など組織による呼び掛けに応じた人だけでなく、インターネットなどで集会を知った市民らも加わった。

会場内や最寄り駅を結ぶ歩道などでは一時身動きが取れないほど混雑し、警察官がマイクを使って誘導や警戒に当たった。

 会場から新宿や恵比寿方面など三コースに分かれてパレードが繰り広げられ、会場内でトークや音楽のライブも行われた。

 この日は、東京都心の最高気温が平年より四度近く高い三三度の暑さ。会場の自動販売機の清涼飲料水は午前中でほぼ売り切れ、

売店前に水を求めて長い列ができた。大江さんらが「原発ゼロ」を訴えて一千万人を目標に取り組んできた署名は、

七月八日現在で約七百八十五万人分に達しているという。

 
 
名古屋でも聴取会は中電の課長さんが社内でこれから出世する場になった
 

また電力社員が発言 名古屋聴取会
2012年7月17日 東京新聞朝刊

 政府が発電量に占める将来の原発比率について国民の意見を直接聞く三回目の意見聴取会が十六日、名古屋市で開かれた。

九人の発言者の中に中部電力の課長が含まれ、原発推進を主張した。会場の一部から「やらせだ」などと批判の声が上がり、一時騒然となった。 

 意見聴取会をめぐっては、十五日に開かれた仙台市の会場でも、東北電力や原発推進団体の幹部二人が発言者に選ばれており、公平性の確保や運営方法が問題視されそうだ。

 発言したのは、中電原子力部に勤務する課長の岡本道明さん(46)。「個人的な意見として、原発をなくせば経済や消費が落ち込み、日本が衰退する」と述べ、

原発の新増設を前提とする20~25%案に賛成の立場を表明。「35%案、45%案があれば選択していた」とも述べた。

東京電力福島第一原発事故では「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と言い切った。

 岡本さんは聴取会後、報道陣に「会社には事前に個人として参加することを伝えた」と説明。事務局からも「個人なら聴取会の趣旨に反しない」と言われたという。

 中電広報部の担当者は「会社の指示で出席や発言をさせたわけではない」と述べた。

 0%案を支持する意見として「福島第一原発事故の原因がまだ究明されていない」「使用済み核燃料の処分法が確立されていない」があったほか、

15%案の支持者は「国民生活への影響も考慮すべきだ」と訴えた。

対象業界の企業に勤める人間の意見を聴取するとは?

ルール以前の常識の範囲で考えてもおかしい。

これは官僚と電力業界が作った確信犯的な聴取会であって、何がなんでも押し渡るぞという彼らの意思表示だ。

日本という国の五臓六腑に喰いこんでいる原子力ムラ細胞がそう簡単に参ったと万歳するわけはない。それにつけても博報堂と電通という

聴取会請負企業のガードと進行の腕の冴えも凄い。

一般人が個として意見を言える場をつぶすノウハウの集積だ。

 
 
郷原信郎 『検察は正義を失った』
 

「正義」を失った検察の今後
投稿日: 2012年7月15日

大阪地検の郵便不正事件をめぐる不祥事以降、相次いで表面化する検察不祥事、事件で失墜していた検察に対する社会の信頼は、

6月27日に出された陸山会事件の捜査をめぐる問題についての処分の公表、最高検の調査報告書によって、完全に地に落ちた。

東京地検特捜部という、「検察の正義」の中核となってきた捜査機関で起きた「身内の犯罪」に対して、あらゆる「こじつけ」「詭弁」を弄して守り抜こうとする姿勢には、

これまで、手掛けてきた組織犯罪事件で、検察が断罪に使ってきた「反省していない」「社会的責任を果たしていない」「酌量の余地はない」など

言葉がすべて当てはまると言わざるを得ない。

最高検報告書の内容に対する批判は、既に、7月2日に出した本ブログの記事【「社会的孤立」を深める検察~最高検報告書は完全に破綻している】で詳細に述べたが、

検察も、報告書の内容が到底批判に堪え得るものではないことを自覚しているからか、報告書の一般人への提供を拒絶しているようだ。

最高検報告書は、記者会見に出席した記者達に配っただけで、「一般公表」はしていない、ということだ(ネット上では、法務省から説明を受けた国会議員の

ブログ等で最高検報告書が私的に「公開」されているが⇒http://bit.ly/Ork199、それは、検察が正式に「公表」したものではない)。

今どき、組織の不祥事に関する調査結果の出し方として、「記者会見で配布しました。内容については新聞記事を見てください」ということで、

済ますことなどできないのは、あまりに明白な常識であろう。ましてや、社会からの信頼が命と言える検察が、

身内の不祥事に関する社会に対する説明として出した報告書に対する取扱いとしては、全くあり得ないものである。

私のブログのタイトルで使った「社会的孤立」という言葉が、残念ながら、検察にとって、早くも現実のものになっていると言えよう。

以下続きはこちら

 
 
オスプレイの不都合な真実
 

オスプレイ配備を葬り去った朝日の大スクープ
天木直人のブログからBLOGOSへ転載。
1642012年07月16日 07:38

きょう7月16日の朝日新聞が一面トップでスクープを掲載した。

2010年4月のアフガニスタンで起きたオスプレイの墜落事故で、米空軍の事故調査委員会が、「機体不良が原因」と報告書に書いたところ、上層部がこれを潰したというのだ。

朝日のスクープは、このオスプレイが米海兵隊の存続をかけて開発した輸送機なので配備を見直すことが出来ない、という米軍内部の不都合な事情まで明かしている。

米国議会でも議論は続いているという。もはやオスプレイの日本配備の強行は不可能だ。それどころか、この問題を日本が提起すれば、米国内でも議論が巻き起こるだろう。もはや米国兵士の命にもかかわる問題なのである。おまけに大統領選挙の真っ最中だ。

これでオスプレイ問題は決着がついた。朝日のスクープがオスプレイ配備を葬り去ったことになる。いまからでも遅くない。小沢新党は国会でオスプレイ配備を強行しようとする野田首相に対し、撤回を求めよ。対米従属しか頭にない玄葉外相、森本防衛相の更迭を求めよ。小沢新党はいまこそ「国民の生活が第一」を実践せよ。

☆そんなうまいこといくのか天木さん?

しかしこの人のストレートな物言いは新聞テレビメディアでは決して見られないものだ。

7月16日の朝日新聞当該記事の一部

オスプレイ事故調に米軍圧力 機体不調の報告、変更迫る

 米空軍の新型輸送機オスプレイがアフガニスタンで不時着して4人が死亡した一昨年の事故で、事故調査委員長を務めた空軍幹部がエンジンの不調が事故に

つながったという報告書をまとめたところ、内容を変更するよう上官から圧力をかけられたことが分かった。

 2010年9月まで、空軍仕様のオスプレイCV22を運用する空軍特殊作戦司令部に勤めたドナルド・ハーベル退役准将が、朝日新聞に証言した。

ハーベル氏は、同年4月にアフガン南部で起きた事故後に調査委員長に任命され、8人のスタッフと原因を調べた。

 事故では20人の乗員のうち、操縦士ら4人が死亡。アフガンに配備されたCV22の初の死亡事故だった。 以下略

 
 
小説家〝赤川次郎〟の「三毛猫ホームズの遠眼鏡1」から
 
菅さんを引きずり下ろしたのは官僚と大手メディアを使った経済界だ、と言うのが赤川さんのヨミだ
 

引用元は『図書2012.7』岩波書店24頁「ベートーベンを聴く夜」
 
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