阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

国際赤十字の広島長崎原爆被災者救援電報は連合国軍総司令部(GHQ)によって阻止された    2012年4月25日 長崎新聞 コラム「水と空」

2024年06月01日 | SNS・既存メディアからの引用記事
2012年4月25日 長崎新聞 コラム「水と空」

モルモット扱い


 被爆1カ月後、広島、長崎で、大勢の人々が手当ても受けられずに、けがや放射線障害で苦しんでいるとき、一度だけ、国際的な被爆者救援が実現しかけたことがある。

国際赤十字のマルセル・ジュノー博士がスイスの本部に医療支援を要請する電報を打とうとしたときだ

▲1945年9月、広島入りして治療に当たった博士は、被害の甚大さに衝撃を受け、国際支援が不可欠と痛感した。

だが、多くの命を救えたはずのスイスへの打電は、連合国軍総司令部(GHQ)によって阻止された

▲同月、ファーレル准将が「広島、長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、原爆放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」とする虚偽の声明を発表した。

打電阻止も准将声明も、原爆被害の恐ろしさを世界の目に触れさせまいとする米国の意図に基づいていた

▲その陰で米国は、将来の核戦争に備えて、克明な被爆者調査を続けていた。医療機関に診療情報や臓器標本を提出させ、次々と米国に送った

▲臓器標本やカルテが米国に送られ放射線影響研究に利用された死亡新生児の人数が1200人以上に上ることが、広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師の調査で判明した。

「新生児がモルモット扱いされた」と同講師は憤る

▲米国は被爆者の死産に強い関心を示し、その通報には報償金を払ったという。核の時代は、かくも、おぞましきエピソードを伴って幕開けした。(信)


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