阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

水村美苗という人が書いた「日本語が亡びるとき/英語の世紀の中で」は まこと に憂国の書だった

2022年07月07日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年01月02日(金)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

水村美苗という人が書いた「日本語が亡びるとき/英語の世紀の中で」を読みました。

 誰もがどこかの「国民国家」の一員として生きる現代人が用いるその国、その民族の言語。その言語を「普遍語」「現地語」「国語」の三つの概念で整理する。

その概念の中で日本語の今とこれからを捉える。

読んでいくうちに、いま日本語をこれほどいとおしく思っている物書きがいるのかと思った。

彼女が持つ杞憂、つまりインターネット上、特にグーグルワールドの中の英語と日本語の関係が理解できていく。

 親の都合で12歳からアメリカで暮らすしかなかった一人の少女は英語についになじめないまま、しかし生きる上で英語と離れることも出来ないまま大きくなっていく。

アメリカの大学では、仏文学を専攻するが、彼女のベースは中学高校時代アメリカのアパートの自室で読み続けた漱石を始めとする日本近代文学だった。


アメリカの大学で日本文学を教えたり、パリでフランス語を使ってフランス語の地位の低下はもう止まらないという講演をしたりしながら、彼女は外からも日本人と日本語を見てきた。

その彼女が、ドイツ語がフランス語がロシア語がそして日本語がこれから間もなく辿るであろう状況を想像する。

誰もがもう止めようがない世界の普遍語のポジションをとった英語の位置。しかし国語(その国民が使用する言葉)が生きて使われてこそ、国は国としてある。

小学生の頃、10歳の子が率直に書いた「にあんちゃん-安本末子著」も愛読した彼女は真に思う。

日本語にはこんな芳醇な果実を生み出す力があると。

そして彼女はいま憂いざるを得ない、非西洋国家で唯一近代文学を持つ日本の将来を、日本語の将来を。

  なんとわかりやすく納得性をもって彼女は書き進めることか!

使ったことがない「一読、巻を置くことあたわず」という日本語を思い出すイキオイで読んで行った。

  この本を入手したお陰で年末で飲みすぎがちな「菊水」「賀茂泉」「真澄」の量を多少なりともセーブする事が出来た(笑)。

とりあえずこの本の存在を紹介したく一読のみで早々に感想を掲載しました。

「日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で」水村美苗 筑摩書房
1800円+税   


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