阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

伊予の国 新居浜の割烹“丹羽”、 鰆(さわら)の刺身       

2009年06月20日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

普通は西京焼きなどで美味しく食べている「さわら」。鮮度がよくないと刺身には出来ないし、なおかつ身割れをしがちなので、

捌きにもウデが要るという「さわら」の刺身。とろっと口の中で融けました。5人いたのに気がつくと1人で三分の二を食べてしまっていました・・。

松岡・上出両先輩、長谷川・志風両同輩、スミマセンでした。

 こちらは新居浜での名称で「パッチンえび」。クセがなくこれまたいくらでも食べられました。

いずれも新居浜の割烹“丹羽”にて。

    翌日は新居浜駅からJRの特急で大洲市に向かい、大洲から車で、西予市宇和町へ行きました。

大洲にはまず特急で松山まで行き、松山で宇和島行きの別の特急に乗換です。


昭和40年代のはじめ、新入社員として 早朝はじめて降り立って以来、新居浜駅とは長い縁が出来ました。

  明治の鉄道導入時代に絹織物で栄華を誇っていた茨城県の龍ヶ崎市(かって住んでいた北相馬郡藤代町の隣の市)は、

線路敷設そのものを忌避したため、常磐線が通らない町になりました。新居浜には予讃線が通っていますが、

新居浜駅は町の中心を遠く離れた辺鄙な場所に作られています。機関車の大騒音と煤煙を嫌い、

当時の町の有力者が町の中心地に停車場を作らせなかったケースが全国で多数散見されます。

新居浜もその例に洩れません。時の支配層に、進取の気性は不要どころか邪魔物でしかないのかも・・・

その日の夕方には高松に着きました。黒田屋でザルうどんを食べ、(300円というのが嬉しい)待っている間に、

讃岐のどこのうどん屋にも1年中あるオデンを食べました。種類に関係なく串一本100円。さらっとしながらコクがあって旨いおでんでした。
 

翌日の夕方乗った高松と岡山を結ぶ快速・マリンライナーは53分間で両駅を結びます。

その昔、宇高連絡船を含めて3時間ほどかけて両所を往来した身にとっては、ただただ短縮されたこの時間に驚くばかりです。

同じホームの反対側に四国内の特急が発車を待っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回もイル・ベントに大満足でした。

2009年06月20日 | 食べる飲む
窯焼きピッツア、パスタ、ワイン、前菜の中のオリーブもハムも、結局トータルのレベルが
揃っているのでいつも満足して食べ終る。
 その店は神戸市灘区高羽交差点近くの、ピッツアの店イル・ベントです。
ピッツアは三種類のチーズとバジルの窯焼きピッツア、蜂蜜を少しかけて食べて下さいとのこと。
 一口食べたトタン、ヘヘーつと平伏しそうになりました。
ピッツアを食べ終わる頃には赤ワインのハーフボトルを殆ど空けていましたが、
〆のパスタは梅紫蘇リングイーネ。海苔を載せた和テイスト。
 
画像は最後になりましたが前菜のプレート。
真ん中のモッツアレラチーズは近くの牧場産。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臥龍山荘は数奇者が作った名邸  大洲その2

2009年06月19日 | 関西あちこち
明治時代の貿易商が、工期4年をかけて金に糸目をつけずに作ったという、肱川の臥龍淵を見下ろす崖に作られた山荘に行きました。
 一言でいえば、当時の日本人として河内寅次郎という人は、家作という贅沢の中でも最高の贅沢を享受したという感じを受けました。にしても欧州の石造りの豪華絢爛な大建築ではなく、このような自然のなかに紛れてしまうような(西洋の建築から見れば桂離宮と同じく、小屋にすぎないという概念のもの)建物が、日本の大金持ちが目指す最終の別荘のカタチというのも、極東の列島に住む人間らしくていいもんだと思いました。
 ただ、侘び?寂び?それが何か?とも、半分くらい思ったのも事実です。

建物の内部は撮影禁止でしたが、こちらのサイトには詳しい画像が多数ありますのでご参考まで。山荘からの見晴らしです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林芙美子の手紙のモニュメントー壬生川駅

2009年06月18日 | ゲストルーム
JR予讃線の壬生川駅にある林芙美子のモニュメントです。壬生川駅正面 左方向が新居浜。
林芙美子の手紙全文と、解説。

手紙の最後の部分の林芙美子の筆跡の石碑。

Iさん、出勤前に駅に寄っていただき恐縮です。
森光子さんが公演を続けている「放浪記」の原作者ー林芙美子!
彼女は周桑郡の血が体内を流れている半分東予の女なんよね。

若いときはカフェの女給さんやったり、作家になってからは1人でシベリヤ鉄道に乗ってパリまで行ったり、従軍記者やったり、明るくてタフな女性でしたが、若いときから頑張って生きた無理が祟ってか、50歳前に急死したのは惜しまれてならんです。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」は彼女の句らしいです。


websiteから:壬生川は愛媛県中東部、西条(さいじょう)市の一地区。旧壬生川町。燧灘(ひうちなだ)に面し、江戸初期からの港町。松山藩の新田開発に伴って新川を改修して港がつくられ、蔵米積出しでにぎわった。卸・小売業が多く商業の中心地区であるが、現在、JR予讃線壬生川駅前地区に商業の中心が移りつつある。図書館を併設した東予郷土館がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛県西予市宇和町は盆地の在郷町。

2009年06月18日 | 関西あちこち
予讃線の松山駅でディーゼルカーの特急に乗り換えて、伊予大洲駅で下車しました。そこからタクシーで宇和町の東多田に向かいました。予讃線の車窓から見る南四国は緑のグラーデーションがとても綺麗でした。(車窓風景の動画はこちら

この家は宇和島・伊達藩時代からの街道筋に面した大きなお屋敷(元々は商家?)です。歴史的な価値があると思いました。( 律令時代からの伊予国宇和郡の呼称といわれていた宇和町(地区)は、宇和島藩の純農村地帯にある在郷町(ざいごまち=近世の農村に成立した町で、農村にありながらも、城下町に似て一定の商業活動の許された村をいう。)として発展・・全文はこちらのサイト
裏口も頑丈な造りになっています。

友人はこの家の17代目として当地で生まれ、宇和高校を卒業するまでこの家で育ちました。上記サイトに記載されていますが、宇和町の中心地卯之町には明治15年に開校した「開明小学校」が保存されていて、松本の「開智学校」と姉妹館の提携があります。宇和の地も信州と同じで昔から教育を大切にした土地だと知りました。
 母屋から庭を隔てて立つ離れも大きな建物でした。

表の道から家の正面を斜めから見ました。

1996年の6月に亡くなった友人は、この家のま裏にある菩提寺・大梅寺の墓地の中の、
一族の大きな墓所の1画にご両親と共に眠っています。
彼の、時に含羞の色を浮かべる男らしい笑顔を忘れることはありません。

 友人の奥さんに勧められた宇和町の中心地、卯之町の山田屋の饅頭を買って帰りました。自然食材だけで作られた伝統の薄皮饅頭の上品な甘さを堪能しました。家族にも大好評でした。



愛媛県西予市宇和町東多田はここに位置します。
このあたりは昭和36年3月に神戸から高知経由で足摺岬へ一人旅をして、宇和島廻りで帰神した時以来ですから、48年ぶりの南四国でした。

ポインターは大梅寺の山門の位置を指します。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アガパンサスの花芽とクチナシの花

2009年06月17日 | 花・草・木・生き物
一週間のうちにアガパンサスの花芽が大きくなりました。甘い匂いを感じて見回すとクチナシの花が一輪開いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーヤチャンブルと明太子サラダ   居酒屋“e”

2009年06月17日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
この日の居酒屋イーの酒は大関の「辛丹波ー荒事」という濁り酒。冷やしてあるのでいくらでも・・あぶない、あぶない。明太子は大根の短冊とセロリの短冊によくなじみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジサイの花が満開

2009年06月16日 | 花・草・木・生き物
他の草花より数倍水を吸い上げるアジサイ。水不足になるとすぐくたっとなる。
梅雨の花だと実感します。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アガパンサスの花芽がふくらんだ

2009年06月16日 | 花・草・木・生き物
瑠璃茉莉の花も大きく咲き出しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな白い花が2種類。折鶴蘭とオオカナダモ(アナカリス)

2009年06月15日 | 花・草・木・生き物
オリズルランのガラス鉢。ジョウロの水にハイポネックスを数滴垂らして週に一回やっていたら、葉の色が濃くなって花が咲きました。



金魚を入れている火鉢のアナカリスにも白い花が咲きました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美容やなぎが花盛り

2009年06月13日 | 花・草・木・生き物
見れば見るほど派手な花だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝のムラサキ露草

2009年06月12日 | 花・草・木・生き物
一つの花は一日で咲き終わりますが、朝にはまた新しい花が咲くようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんかけオムレツ

2009年06月11日 | ある日の肴/夕食
いつものカンタン・フライパン蒸焼き調理法で、ベーコン・タマネギ・人参・キノコを炒め、隠し味にスープの素を少量使ってトマトケチャップで和えた「アンカケ」。オムレツにかけて食べました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱塩加納町の「ひめさゆり」

2009年06月10日 | ゲストルーム
福島県のあべさんから「ひめさゆり」の画像をメールで送って頂きました。あべさんは、熱塩加納という山形の県境にある村で生まれ、そしてこの地で育ったそうです。その村は最近、合併して、喜多方市熱塩加納町という名前になりました。この町には熱塩温泉があり、塩を含む熱い温水が湧いているそうです。

町では、毎年6月1日~15日に”熱塩加納ひめさゆり祭り”が開催されています。あべさんが小さい頃、画像のこの山は、きのこや山菜を採った思い出多い場所だそうです。33万本の「ひめさゆり」が保護されているそうです。

あべさんからの便りにこうありました。
「久しぶりに5日に行ってきました。遠くには、会津磐梯山が望まれるのですが、ちょっと曇っていてこの日は見えませんでした。懐かしさが込み上げてきました。」



webから引用
「はるか大昔、会津盆地は日本海と同面の海でしたが、地殻変動で盆地全体が隆起したため、海水は盆地に浸透しました。 この浸透した海水が地熱で暖められ、地表に塩辛い熱湯が沸き出しているこの地を「熱塩」と名付けたといいます。
当熱塩温泉は、県内でも古い歴史をもつ湯治場のひとゆで、永和元年(1373) 示現寺の開祖・源翁和尚が発見したと伝えられています。 その名の通り湯は熱く、体が浮き 上がるほど強い食塩泉なので、その塩分が皮膚の毛孔をふさぎ、体温を長く保つため冷え症はもちろん、 慢性婦人病、神経痛、リウマチ等によく効きます。」
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太ネギたっぷりの「辛ラーメン」

2009年06月10日 | ある日のランチ
家で作るラーメンは八割がた煮込みラーメン。中でも5分煮込む「辛ラーメン」は常備品。
太ネギを一本ザックリ切る。冷蔵庫から出した卵を常温に戻すために、お湯を入れたお椀につけておく。鍋の沸騰したお湯にブタコマを入れて、また沸騰するのを待ってから麺と小袋から出した真っ赤な粉のスープの素を鍋に入れる。ほぼ一分後にネギを入れ、2分半後に卵を割って上から落とす。5分後タイマーが鳴ったら火を止めてラーメン丼へ。冷蔵庫の「ラーメン胡椒」をかけて食べる。工業製品であるインスタント物も、野菜が持つ活性化成分が加わることで旨味が倍増する。
卵やネギやその他全部入れて原価130円ほどのこのラーメンを食べだして15年を越えるが、ここ5年ほどはラーメン屋に入るのが年に1~2回になってしまった。このマイレシピラーメン以上の味を出す店がないことがわかったからだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする