阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

阪神御影の居酒屋「なだ番」で4M会

2015年12月15日 | 食べる飲む
なだ番は9月の初め以来でした。9月にはなかった暖かい粕汁など季節のメニューが嬉しい。4人のうち3人が咳などでしばらく酒を控えていたという季節でもありました。
 そろそろ忘年会の集まりか、店は繁盛していました。流行っている店は出てくる品々にも力があります。いつものように全品を4人でシェアーしておいしく食べました。


 

 



 

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横尾忠則さん、寂聴さんらと軽妙トーク 神戸新聞動画報道から

2015年12月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事
2015/12/12 に公開 兵庫県西脇市出身の世界的美術家、横尾忠則さん(79)と作家瀬戸内寂聴さん(93)、批評家浅田彰さん(58)による鼎談が、神戸市灘区の横尾忠則現代美術館であった。
この日、同館で開幕した挿絵原画展「横尾忠則 幻花幻想幻画譚(神戸新聞社など主催)の作品がテーマで、ユーモアと機知あふれる3人のやりとりに観客280人が聞き入った。

横尾忠則・幻花幻想幻画譚

世界的な美術家横尾忠則さん(79)が作家瀬戸内寂聴さん(93)の小説「幻花」のために描いた挿絵の原画展「幻花幻想幻画譚」(神戸新聞社など主催)が12日、
神戸市灘区原田通3の横尾忠則現代美術館での開幕する。11日には関係者向けの内覧会があった。
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目が覚めたら窓の外は雀軍団で大賑わい

2015年12月14日 | 船橋社中
千葉県は船橋社中の社主さんからの便りです。⇒「窓の外は、スズメ達が手すりに並んでいました。ヒヨはリンゴにとりついています。
昨晩、新しいミカンをつけておいたのです。毎朝の珍しくない情景です。耳を澄ますとチュンくんたちはこんなことを言っていました。
(おじさん お早よう!! 7時半だよ!! 今朝は来るのがちょっと遅かったかな~~!いやまだ少しはあるな!ミカンは甘いし、明日は、早く来ような!)」





「すーちゃん一家は、大家族です。テラスに列をなす時があります。人の気配には、敏感です。
撮影は、部屋から、窓越しです。手持ちの500ミリです。ヒヨは、リンゴや、ミカン、ピラカンの赤い実を食べに来ます。今年は、メジロ君には、まだ、会わないです。
ガーコは、池の土手にいましたが、元気です。パン屋さんが来ないと近くには来ません。パン屋さんにも、1メーター以上は離れています。野生は、注意深いです。
白鷺、青鷺も時々みます。昔は白鷺が群れをなして、空を飛んでいました。40年以上前ね。当時は、ガーコの池は沼地でした。今は、10人くらいが畑をしています。
大根、キャベツ、白菜、レタス、エンドウ、シソなど、沢山頂きます。今年は気候のせいで大根が美味しいです。でも毎日大根では!!!!ネ
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月刊『神戸っ子12月号(2015年)』の特集は「洋画家・小磯良平と阪神間モダニズム」です。

2015年12月14日 | ゲストルーム

◎「神戸っ子12月号」の表紙から裏表紙までの全ページの記事と写真を、『神戸っ子』のHPで読むことができます。
vol.651 /<連載>神戸の粋な店「ギュール ルモンテ」推薦人山田純嗣さん / ぶらり私のKOBE散歩 高橋リエ(ジャズヴォーカリスト)/「洋画家・小磯良平と阪神間モダニズム」石阪春生 嘉納邦子 /<貞松・浜田バレエ団50周年記念インタビュー>「団員たちが一緒に成長し、一緒に舞台を創り上げてきた50年」貞松融 浜田蓉子 貞松正一郎 /<連載>企業経営をデザインする 行光博志(株式会社いかりスーパーマーケット 代表取締役会長)/「最高級のアンティーク家具に新たな息吹を吹き込む」下野昇 佐藤よし子 /<特集>神戸のお宮さん / 「雑然。混沌。そして自由。そんなパリの素顔をスナップに」浜和幸 /<連載>神戸西ロータリークラブ 心の「四季節」便り /<連載>第二のプレイボール 岡 力 /<連載>みんなの医療社会学 /<連載>催し物情報 /<連載>神戸のカクシボタン 岡 力 /<連載>「私の神戸物語」草葉達也 /<連載>「神戸鉄人伝」とみさわかよの /<連載>「兵庫ゆかりの伝説浮世絵」中右瑛 /<連載>「触媒のうた」出石アカル(題字 六車明峰)/ …















HPはこちらです。
目次を見てHPの興味のある記事にアクセスしてください。 表示された記事をクリックすると次のページに移ります。
本エントリ-作成にあたり「神戸っ子」顧問、かつM会会長の森岡一孝さんのご協力を頂きました 

コメント (1)
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パラシュートなしで飛び降りてもスカイダイビングと言うのだろうか??

2015年12月14日 | びっくり画像・映像

怖いもの知らずのアンティ・ペネディカイネンが、フィンランド上空4000mの熱気球から飛び降りるのを見てほしい。
スリルを求めるアンティ。雲の間を真っ逆さまに落ちるやいなや、完全装備の2人の男が空中で彼を追いかけてキャッチ。見ているこちらも心臓が飛び出しそうになる。
「ずっとパラシュートなしで飛んでみたかったんです。そしてついにやった」と彼はケイターズに語った。
目標を持つのは確かにすばらしいことだけど・・・、それがこれ?
ペンディカイネンは1年間トレーニングを積み、頭の中で何度もこの離れ業をシュミレーションした。
「怖いと思ったことはないよ。次はもっと楽しくてクレイジーなことをやりたい」と彼は話す。
でも、この離れ業を超えるのはかなり難しそうだ。引用元
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師走の湊川神社 初もうでの準備完了のようです。

2015年12月13日 | 神戸あちこち
12月某日、2か月ぶりに湊川神社の楠公会館の午餐会に参加しました。冬空の下、神域には清々しい気配が漂っていました。









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仏カレーのシリア人難民キャンプの壁にスティーブ・ジョブスの姿が描かれている。

2015年12月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事
シリア難民キャンプに『難民スティーブ・ジョブズ』出現。著名グラフィティ作家 Banksy が描く。こちら

スティーブ・ジョブスの父親はシリア人でアメリカに留学した。
Wikipedia から部分引用。
ジョブズは1955年2月24日、シリアからの留学生で政治学を専攻する大学院生アブドゥルファター・ジャンダリ[6]とアメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に生まれる。ジョアンの父が、ムスリムのシリア人であるアブドゥルファターとジョアンとの結婚を認めなかったため[7]、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。結果、ジョブズはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に引き取られることになった。ジョブズが2005年6月12日のスタンフォード大学の卒業講演で語ったところによると[8]、母であるジョアンはジョブズ夫妻が大学卒でないことを知り養子縁組を躊躇していたが、ジョブズ夫妻がジョブズを大学に進学させることを約束したために養子縁組が成立したという。

余談であるが、実の両親は後に正式に結婚して女の子をもうけ、それから離婚している。スティーブが生母と再会するのは、ジョブズが30歳を過ぎて、養母であるクララが亡くなった1986年である。ジョブズはその時に初めて自分に血を分けた妹モナ・シンプソン(en:Mona Simpson)がいることを知り、モナとも初対面を果たした。一方、なぜか実の父とは死ぬまで一度も会おうとはしなかった。父親のアブドゥルファターも、息子の成功に便乗していると思われるのを恐れ、親しい友人にも、ジョブズの事について語ることはほとんど無かったという[9]。ちなみに、養父母はジョブズの後に女の子の養子を迎えているため、ジョブズには一緒に育った血の繋がっていない妹パティ・ジョブズもいる。
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追悼 野坂昭如さん  「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。(2011年8月9日掲載)

2015年12月11日 | 関西あちこち
前からこの会があることは知っていましたが、今年初めて二日目のコースに参加しました。
毎年、8月の第一週の土曜日と次週の火曜日に歩いていて、来年も催す予定だそうです。

野坂昭如作・オンライン小説『いつもいろんな犬といっしょ』から部分引用。

ぼくの育った神戸市東の外れ、この地域は、今、感傷的に、美しく思い返す、黄金時代のありきたりを超えて、住みやすい地域だった。15分歩けば、六甲山山麓に至り、10分で、文字通り白砂青松、泳ぐ者の影が海底にうつる清らかな海。山際の至るところに自噴の泉があり、当時の、市の東を限る石屋川の水は豊か。

この川上に水車小屋5軒、川床の石をはぐと、小さなカニがあわてて横走りに逃げ出す、山道を辿れば池、外国人の飼う毛の長い犬がよく泳いでいた。木々の葉末は、陽光、またその池の面照り返しを浴びいつもキラキラ光っていた。水から上った犬の、身震いして飛び散る水も光っていた。

山際に私鉄として、いちばんスピードの早い阪急電車、犬を連れて乗れた。時に犬だけ、御影から芦屋まで、無賃を申し訳なく思うのか、常にドアのそば。創設者小林一三は、しゃれた車両ながら、ブレーキの際、飛び散る鉄粉の汚れを考えて、車体はチョコレート色。ひきかえ、神戸市市電は、スマートな薄緑。

阪急の南に、省線、さらに阪神国道を走る単両の電車、海岸近くに阪神電鉄。南北2,3キロの間に4本が走る。六甲道駅から、灘を経て三宮駅、駅の西、南北に一直線の筋が、山際にある塔を持つホテルにちなみ、トアロードと呼ばれ、俳人西東三鬼が、奇妙な連中と過ごし、途中のレストラン「ハイウェイ」は谷崎の御贔屓西洋料理屋。

扇型の防波堤を持つ、神戸港は、ヨーロッパ航路の拠点港、三宮駅を南へ降りると百貨店そごう、その先きまっすぐな道の果てに、時計台を持つ税関が見える。神戸の子供は、埠頭、保税倉庫、上屋、税関の役割をよく心得、たいてい5色のテープの端を持ち、汽笛と共に、いつ動いたとも判らぬ巨大な船の、いつしか防波堤近くで、船体を横に向け、さらに、せまい堤と堤の間を抜けて、彼方へ消える、埠頭近くに、5色のテープが波につれ上下、しみじみ人の別れを経験した覚えがある。

もっとも、この一抹のわびしさは、そごうの手前、市電の曲がり角にある「ユーハイム」から、左へ入って百貨店大丸、境内に映画館や安直な食いもの屋が並ぶ生田神社へ、親の足が向けば、たちまち失せる。まっすぐ阪急の終点、駅ビルでもいい、ここの2階はゲームセンター、大阪の本店同様、名物カレーライス、映画館もあった。

元町通りの手前が大丸、西の終りに三越デパート、この間、6丁が神戸の繁華街元町、万国旗と、セーラー服の外人の似合う商店街、鈴蘭燈が名物。書店、古本屋の多い街並み、もちろん、ヨーロッパ直伝の洋品、当時でいう唐物屋、日本でいちばん早くアチラのファッション、と当時はいわない。

ただ洋服をテーラーと子供も呼んだ。猫の目の如く、女物がどうだったか知らない。生地すべて英国製。三越から省線を越えて、戦時下、もてはやされた湊川神社。この西に、少年と縁のない吉原、島原と並ぶ三大遊廓福原。さらに西が、大興行街「新開地」。

六甲道駅を東へ辿れば、御影、住吉、芦屋、この山際から国道まで、まず高級住宅地、特に阪急より上の住吉、阪急から国道までの芦屋は、到底、田園調布の比じゃない。1軒敷地300坪。

東西に走る4本の電車と、湊川、生田川、大石川、石屋川、住吉川、夙川と南北を流れるほゞ直線の川で、神戸市と、今でいう衛星都市は画然と分たれ、東の大川、武庫川で、神戸は限られる、向こう側は、大阪圏。

武庫川と、六甲山地、東の外れに宝塚、武庫川の海へ注ぐ少し西に、甲子園球場、オリンピック用プール、そして数十面のテニスコート、後、予科練の訓練場、滑走路になったらしい。阪神パーク。

小林一三の開いた宝塚は、本来は温泉。温泉の湯槽のフタの上で始まっったタカラヅカは、昭和に入って「少女歌劇」全国に知られ、大劇場完成、付帯して動物園、遊園地、川向こうに以前からの三業地。少し歩けば清荒神、年寄りはここへ詣で、女たち少女歌劇、子供は動物園遊園地、それぞれ楽しんで、夕刻、料理屋で御飯。ぼくの場合、宝塚、西宮北口、阪急六甲で帰宅するのだが、1時間かゝらなかった。

飼犬と電話と「女中」の数が世帯に比しいちばん多いのが芦屋市といわれていたが、新興住宅地、六甲道駅近辺にも、他にくらべ、この贅沢三点セットは珍しくなかった。

永手町から、昭和11年暮、省線南側中郷町へ引越し、設備の整った成徳小学校へぼくを通わせるため、北向きのやはり2軒長屋だったが、後の隣組20数軒でいうと、3軒に1軒電話と犬、女中は3軒に2軒。中郷町の犬たちは住いを有し、つながれていた。

ベルは以前のまま。雑種じゃなく、由緒正しい犬もいたはずだが、犬種を覚えていない。セーターに、ホームスパンのスカートの美少女が悠然と歩を進めるシェパードをつれて、よく夕刻近くを歩いていた。ベルを伴い、これにぶつかると立止って見送るしかないが、純血種を求める気持はまったくない。ベルは海を嫌った。
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追悼 野坂昭如さん   「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その2(2011年8月9日掲載)

2015年12月11日 | 関西あちこち
9時15分ごろ集合場所の阪神御影駅に着くと、改札口付近にはかなりの数の60歳から70歳前後の男女がいました。
定刻の5分過ぎに歩き出すと、若い人たちも何人か参加しているのがわかりました。総勢は90人ほどでしょうか。
歩くエリアは大体は知った場所で、ブログにも何回も登場しています。
 しかし、案内者がいてその説明を聞いたり、案内ボードを教えてもらうと別の土地を歩いているような気になります。
〇トップの画像は御影公会堂を山側から撮影したもの。
〇阪神御影駅で集合。参加費は資料代に100円。









〇石屋川から六甲山を望む。ここが徳川道の拠点

〇石屋川公園のモニュメント

〇御影公会堂

〇神戸市と合併するまでは、このあたりは東灘区ではなく菟原郡(その後に武庫郡)御影町だった。











〇成徳小学校の玄関天井にあるシャンデリア。小学生の張満谷昭如少年も見上げたかもしれない。

◎このウォーキングに参加した目的は、野坂昭如が養家の両親や同じく養女の妹と暮らした“張満谷”家
が、中郷町のどこにあったのか特定して教えてもらいたかったのだが、残念ながら一帯は、米空軍による焼夷弾の
絨毯爆撃を受けて全くの焼野原となり、東西南北の街中の道路もわからなくなり、今は特定が難しいとのことだった。
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“本家 やまもと”の「寿司弁当」をおいしく食べた

2015年12月11日 | ある日のランチ
歯が欠けたので歯医者へ行った。根もとは大丈夫だったので、欠落した部分の型をとって来週、新しく作る本体を植えてもらう。
ふと、そう言えば“本家 やまもと”の弁当を長い間食べてないなあと思い、歯医者から歩いて5分ほどの店へ行ってみた。
11時前のせいでまだいろいろ並んでいた。今回は寿司弁当@850円を買った。いつものようにバラエテイに富んだコンテンツで感激。


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神戸中央市場・丸高食堂での二ゲツ会(第二月曜)は二か月ぶり

2015年12月10日 | 食べる飲む
4人集まりました。メンバー同士もひさしぶりが二組いました。阿智胡地亭と店の主人は同年兵なので何となく同じ雰囲気があります。店を出たところから東をのぞむ。目の前の以前の市場の跡地はイオンモールの建設予定地。建設のアドバルーンはまだ影も形もないが・・。


 



 



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冬の空にうろこ雲 環水平アークも 神戸 神戸新聞動画報道から

2015年12月10日 | SNS・既存メディアからの引用記事
 移動性高気圧の影響で好天に恵まれた12月9日、神戸の市街地上空には、うろこ雲が空を覆った。
神戸の最高気温は平年より1.4度高い14.2度で、平年よりも暖かい日が続く。澄み切った高い空は秋が戻ってきたかのよう。
雲のすきまに直線状の虹「環水平アーク」も現れた。

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ある日のランチは「野菜ソース焼きそば」

2015年12月10日 | ある日のランチ
いつもの通り野菜と麺が半々くらい。
 楽屋ネタ。砂漠から来たベイビー? しかしてその実体は風呂上がりの汗取り湯上りタオルモード。
   
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神戸中央市場からJR神戸駅まで「島上岸壁」を通って歩く

2015年12月09日 | 神戸あちこち
12月某日久しぶりに月曜会メンバーが4人、神戸中央市場の食堂街にある「丸高食堂」に集まった。
飲んで食べた後は酔いを醒ますためにもJR神戸駅まで歩くことに衆議一決。
私以外のメンバーの出身高校の校区を歩くことになったので、彼らの友人が経営しているドックを探して「島上岸壁」というところを歩いた。
私は兵庫港時代の古い岸壁を見ることができてありがたい体験になった。中央市場駅とJR神戸駅は地下鉄で一駅しか離れていないが、やはり
歩いてみるといろんな発見がある。自分ではとても思いつかない歩くという発想だったが、良き仲間のおかげで思いがけない旧神戸港を見ることができた。

中央市場。丸高食堂は管理棟の2階の食堂街にある。



ポートアイランドの大学の建物が見えた(望遠で撮影)

株式会社「石川」の本社。



賀川豊彦の生誕地の石碑があって驚いた。

このあたりから島上岸壁だ。



往時はモダンなビルだったのだろう。







岸壁には釣り人が10人ほどいた。水は透明で美しく、釣っているのはカタクチイワシとのこと。沢山釣っていた。

もう長く使われていないように見える小型のクレーン船が係留されていた。









川重神戸造船所

竹尾稲荷神社があった。高田屋嘉兵衛にゆかりの神社のようだ。


















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六甲山麓の秋

2015年12月08日 | 神戸あちこち

毎年見慣れていてもこのシーンを観るのはうれしい。

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