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親鸞(下) (講談社文庫)  五木 寛之 (著)

2011年12月27日 | 本と雑誌

111227_book_shinran_1 親鸞(下) (講談社文庫)

五木 寛之 (著)

今年は、法然(1133年 - 1212年))没後800年、親鸞(1173年 - 1262年)没後750年ということと、文庫本になって日が浅いということもあって、この本は今でもよく読まれているようで、ツイッターで時々検索しながらな読んだ。

架空の人物たちのエンタメ的な描写がおもしろかった分、もの足りなさも感じた。しかし「完」とあるもののこれで終わるはずがない。

111227_book_shinran_2

下巻は親鸞の越後へ配流になる場面で終わるが、これまでの要点はいくつかある。

親鸞は9歳の時、京都青蓮院において得度(とくど)=仏教における僧侶となるための出家の儀式)し、天台座主・慈円のもとで、範宴(はんねん)と称することになる。

下巻の後半部分にその慈円(じえん1155年- 1225年)のつぶやき?が、これまでの要点になっているような気がするので以下引用してみよう。

======つづきは後で書きます。

P269からの「遠雷の夏」
連蓮院の奥まった部屋での、慈円と、良禅(りょうぜん)との会話がそうなのだが、長いので最後の部分だけ。
P285
<法然はまだいい>
本当に許せないのは、自分があたえた範宴(はんねん)という名前を捨てて、法然のもとに走ったおの男だ。
法然は念仏をおこしても、僧としての戒はきちんとたもっている。
天台に対しても、内心はともあれ、礼はつくしている。

ところがいま善信と称しているあの男はどうだ。公然と妻をめとり、阿弥陀仏の本願の前には、戒もいらぬ、善行も不要、朝家も貴族も、みな人は同じ悪人よと説いているという。

慈円の誇りは、名門に生まれことではない、歌人としての名声でもない。
彼の仏法の中心は、祈りにあると考えていた。いまの世は末法の世であるとともに、かつてない乱世であると思う。死者の怨霊が空をおおい、罪は地にみちている。
疫病や火災も、そこに発している。それを救うものこそ、僧の祈りであると彼は信じていた。
世間の秩序を正し、道理をとりもどすことが仏法のつとめだと考える。朝廷を守り、世の人びとを守る、このための真摯な祈りこそが仏法だ、と。そして数々の法会を催し、命がけの祈祷をおこなった。祈祷の力こそ慈円の自負するところだった。
 その.祈りを、あの男は完全に否定している。どんなことがあっても、絶対に許してはならない、と彼は思った。P286

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amazon 内容(「BOOK」データベースより)
親鸞は比叡山での命がけの修行にも悟りを得られず、六角堂へ百日参篭を決意する。そこで待っていたのは美しい謎の女人、紫野との出会いだった。彼が全てを捨て山をおりる決意をした頃、都には陰謀と弾圧の嵐が吹き荒れていた。そして親鸞の命を狙う黒面法師。法然とともに流罪となった彼は越後へ旅立つ。
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登録情報
文庫: 384ページ
出版社: 講談社 (2011/10/14)
言語 日本語

発売日: 2011/10/14

おすすめ度: 5つ星のうち 3.7   (15件のカスタマーレビュー)
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親鸞(下) (講談社文庫) 親鸞(下) (講談社文庫)
価格:¥ 590(税込)
発売日:2011-10-14