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『神の島のこどもたち』 単行本 – 2019/1/18
中脇 初枝 (著)
5つ星のうち 5.0
1 件のカスタマーレビュー
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amazon 登録情報
単行本: 186ページ
出版社: 講談社 (2019/1/18)
単行本: 186ページ
出版社: 講談社 (2019/1/18)
amazonn 内容紹介
1952年。高校2年生のカミは、神戸に行った幼なじみを想いながらも、家族や友人と沖永良部島で暮らしていた。しかし、いつまで経っても島は米政府の統治下に置かれたまま、復興が進み豊かになっていく日本本土から分離されている。カミたち島民は、悲願である本土への復帰を訴えるため、活動を始めるが――。
1952年。高校2年生のカミは、神戸に行った幼なじみを想いながらも、家族や友人と沖永良部島で暮らしていた。しかし、いつまで経っても島は米政府の統治下に置かれたまま、復興が進み豊かになっていく日本本土から分離されている。カミたち島民は、悲願である本土への復帰を訴えるため、活動を始めるが――。
奄美群島は
1945年(昭和20年)9月2日、米軍によって本土から分割され米国民政府の統治下に置かれた。
1945年(昭和20年)9月2日、米軍によって本土から分割され米国民政府の統治下に置かれた。
1952年(昭和27年)4月28日「日本国との平和条約」(サンフランシスコ条約)
が発効し(奄美では痛恨の日、沖縄では屈辱の日とよばれる)日本は主権が回復する。
しかし、アメリカは山がちで基地としての利用価値が少なく復帰運動の激しい奄美群島の統治を諦め、1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島、それにつづき、
が発効し(奄美では痛恨の日、沖縄では屈辱の日とよばれる)日本は主権が回復する。
しかし、アメリカは山がちで基地としての利用価値が少なく復帰運動の激しい奄美群島の統治を諦め、1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島、それにつづき、
1953年8月8日、アメリカのダレス新国務長官、吉田首相、岡崎外務大臣が会談し、
「少し早いクリスマスプレゼント」として、「平和条約第3条に基づいて奄美群島に関して有する権利を放棄する」とのダレス声名を発表、同年12月25日、沖永良部、与論を含む奄美群島は日本復帰した。
しかし、話は、それに先立つ1952年のことだ。同年9月、岡崎外務大臣とマーフィー駐日アメリカ大使の会談で奄美群島の復帰に光明が見えたあとになっても、与論島と沖永良部島は現状のまま(徳之島以北と南2島の分離)という情報も流れる。(検索するとくわしい記録が見つかりますが、この2島分離の情報はネット上でも思いのほか少ない)
小説は、このころ1952年の沖永良部が舞台。
歴史書でもつかめきれない詳しい興味深い
描写もあったが、それは舞台であって読みどころはほかにある。(わたしは歳のせいかついていけないところもあったが)
描写もあったが、それは舞台であって読みどころはほかにある。(わたしは歳のせいかついていけないところもあったが)
沖永良部島は、地理的に沖縄島と日本本土の間にあり、
奄美群島の中でもほぼ中間で
両地域の境界にあって、歴史的、政治的、文化的にも影響を受けてきた。
(沖永良部島の中にも見えない境界あるのかも知れない)
奄美群島の中でもほぼ中間で
両地域の境界にあって、歴史的、政治的、文化的にも影響を受けてきた。
(沖永良部島の中にも見えない境界あるのかも知れない)
奄美大島からみると、沖永良部島の音楽や踊り、それに風景もより沖縄に近く感じるが、小説のなかでも、そうしたことはつよく感じることができた。
「2島分離」返還の懸念の情報を受けて島の人々の複雑な心境、高校生たちのとった行動が詳しく描かれる。本土の誤解をさけるべく、復帰運動で髪型や服装などで沖縄風を避けるよう促す大人たち。親島であるはずの沖縄への裏切りに繋がらないか?人々が葛藤に終止符をうつためつぶやいたは「しかたない」だった。それは戦時中も、そして今も、世界のあちらこちらでつぶやかれている言葉なのかも知れない。
当時の人々の心情に、奄美と変わらいもの感じたのだが、やはり独特なものも感じることもできた。
物語は、わたしの生まれる前後の話だが、カタカナで表記される登場人物の名前や、アメリカ関係の単語、
L/C貿易、HTB、トラック、ヘリコプター、ブラスバンド、シェークスピアなどのカタカナが妙にモダンで、
L/C貿易、HTB、トラック、ヘリコプター、ブラスバンド、シェークスピアなどのカタカナが妙にモダンで、
それらにはさまれて、いくつも出てくるシマうたの歌詞の方言が新鮮に見える。
高校たちもみな希望をもって生きていて、どこか明るい。
P67 タビというのは、単なる旅行のことではなかった。
島に生まれた人が外に出ることをそう言った。神戸や鹿児島に出稼ぎに出ていって、向こうで結婚してこども
が生まれても、彼らが戻ってくるとタビ下りと言われた。P67
島に生まれた人が外に出ることをそう言った。神戸や鹿児島に出稼ぎに出ていって、向こうで結婚してこども
が生まれても、彼らが戻ってくるとタビ下りと言われた。P67
なにげに読み飛ばした箇所だったが、これは物語りの結末につながる重要なところかもしれない。
わたしは読解力不足で「マチジョー」の人物像をつかみきれないうちに読了となった。
わたしは読解力不足で「マチジョー」の人物像をつかみきれないうちに読了となった。
読む前、タイトルの「神」にすこしこだわりがあった。
高校2年生のカミの恋人らしき「ユキ」の性別がわかるまで、だいぶ気をもんだりもした。
なにかの暗号かな?と思ってしまったのだ。
なにかの暗号かな?と思ってしまったのだ。
前作の『神に守られた島』2018/7/12 を読んでいなせいなのか私は恋愛小説というより、
民俗学的な見方に傾きがちだった気がする。
民俗学的な見方に傾きがちだった気がする。
===
奄美の島が舞台の小説は、いくつか読んだが、そのうちでも
沖永良部島が舞台のものが多いのは、理由があるのかもしれない。
奄美の島が舞台の小説は、いくつか読んだが、そのうちでも
沖永良部島が舞台のものが多いのは、理由があるのかもしれない。
読書メーターなどのレビューでは、ほとんど肯定的、好意的な感想だった。
何かの大賞に選ばれるかも。
何かの大賞に選ばれるかも。
初出 「小説現代」2018年10月号に掲載したものを大幅に加筆修正し、書下ろしを加えたもの。