『日本史を精神分析する』―自分を知るための史的唯幻論 単行本 – 2016/12/24
岸田 秀 (著), 柳澤 健 (その他)
若い時に読んだ同著者の
『ものぐさ精神分析』
『続 ものぐさ精神分析』 。
あれからどのくらい経ったのだろう。
もう40年少しほど前ということだが、
計算してみて、私はもっと若いころに読んだような勘違いをしていた。
それほど懐かしい。
著者は、今年85(6?)歳になるという。
『歴史を精神分析する』 (中公文庫) 2007/6/1
岸田 秀 (著)
『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』 2007/2
岸田 秀 (著)
↑ これは読んでみたい
唯幻論始末記 (わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか) 単行本 ? 2019/1/19
岸田 秀 (著)
↑これは、著者「最後の本になるだろう」とのことでぜひ読んでみたい。
などなど。
これらをネットで検索してみた。
いずれも肯定的レビューと否定的レビューが相半ばする傾向にあるようだ。
さて、本論
『日本史を精神分析する』―自分を知るための史的唯幻論 単行本 ? 2016/12/24
岸田 秀 (著), 柳澤 健 (その他)
5つ星のうち 3.3
4件のカスタマーレビュー
この本もカスタマーレビュー では肯定、否定にわかれる。
歴史書として読めば、否定的レビューの「物足りない」「実証的でない」「歴史記述が雑だ」など
、そうなるのだろう。政治的見解からも賛否もあるのだろう。
しかし著者は、心理学者であり、日本史を「精神分析」しているのであり、副題には「自分を知るための史的唯幻論 」とあるのだ。やはりこれは心理学の本だろう。
あとがきには、「幼いころから変な子であった」自身と母との葛藤などが赤裸々に述べられている(84歳で書いた『唯幻論始末記』 (わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか)により詳しく述べられている)ように単なる歴史書ではない。
個人に対してだけではない、心理学的分析は、現在のあらゆる組織ににも及ぶ。
p275日本軍を必然的に敗北へと導いた構造的欠陥は現代日本の省庁、政党、企業、大学など、あらゆる組織にそのまま温存されていて、日々、想像を絶する多大の被害をもたらしている。現在の自分の身の回りの組織がもたらしているそうした被害を見過ごしておいて戦争絶対反対を叫ぶのは開戦し敗北したかつての軍部に優るとも劣らず無知・無謀・無責任である。p275
と手厳しい。
けっこう深く印象に残る指摘もいくつかあったが、盛沢山すぎてまとめるのはたいへんだから
以下、パラパラめくって思いつき摘記する。
諸悪の根源、一神教p92 神を殺さなかった一神教p122
自制する未開社会p127(日本の江戸時代も)←これは、今の日本にとってするどい戒めだ。島の暮らしも自制する余裕がまだあるだろうか。
日本国民は夢想家が好きで、現実的な政治家は嫌いP151 ←うーむ、これは、現実的な政治家のほうが選挙には強いのでは、とういう文脈で読むべきではない。
憲法が改正されないのは(神棚に祀って拝んでいればいい)空文だからp154
独立を目指した田中角栄は、アメリカの属国であることを望む官僚、評論家に弾劾されたp225
『ものぐさ精神分析』 の「人間は本能の壊れた動物である」は、あれから40年あまりの本書でも、
まったくブレないでいる。
「歴史も物語り、国家も民族も個人も物語り」「本能が壊れているから物語りを作る」との主張も本書を貫いている。
日本列島に住んでいる人々の先祖は、島伝いや、韓半島その他、どこか他のところから流れついたのではないか、という仮説には、その理由として「生まれ故郷で喰うや食わずで生活が苦しかったか、あるいは嫌われたか、差別されたか、虐待されたか、とにかく何らかの理由で住にかったからではないか、そのため基本的に劣等感・被差別感情・被害者意識が強く、同時にがまん強い民族になって続いてきたのではなかろうかp287
←実証は困難ではあろうが、おおいに納得させられざるをえない所。島は日本社会の縮図ではないか、と思うことがある。(半面、違いがうきぼりになる面もあるが)
さて、物語はつづく
それは、白村江の敗戦後、国家としての自覚に目覚め、外国(唐)の脅威に備えて国家統一し精神的支柱として天皇を中心とする民族の物語を創る。天孫降臨神話
内的自己と外的自己との間を揺れ動き、分裂に苦悩する日本の国は昔からかわらない。開国と鎖国、外国との友好と敵対の交代として考察すれば興味深い。元寇、ぺりー、マッカーサー。その他。
「日韓関係の歪みは日米関係の歪みとつながっている」P310
日本人のアメリカにたいするコンプレックスを正しく認識すれば韓国の理不尽な要求を理解するための一助になるだろう。ギブミーチュウインガムの無節操と押し付け憲法を有難く思っている?屈辱は、似ているのかも。それは日本と韓国との関係にも通じるというのだろう。重要だと思うので詳しくは本文にあたってほしい。
p310「ヨーロッパ人の作った歴史も、アメリカ人が作った歴史も日本人の作った歴史も、そこに何が描かれているかということより、何が隠されているかを探求することが重要である。」
その深刻なトラウマとどう対処するかが、民族が民族として、国家が国家として成立する機縁となると説く。まあ、人間にもあてはまりそうだ。
そのトラウマとは、
ヨーロッパ=ローマ帝国に蛮族とし蔑視され植民地化された屈辱
アメリカ=親切にしてくれた先住民を大量虐殺して罪科
日本人=白村江において唐・新羅連合軍に敗北して屈辱
そのトラウマの隠蔽・否認・歪曲・正当化の策として
ヨーロッパ=ヨーロッパ文明至上主義
アメリカ=自由民主主義
日本人=天孫降臨神話
デッチあげを自覚し克服しないかぎりは永遠にその民族・国家のあり方を規定し続けると、手厳しい。
もちろんトラウマは韓国や中国にもある。とくに韓国の複雑なトラウマに対する日本人の理解容易ではない。
自他のトラウマを自覚し、克服する努力の方法については、書いてなかったとおもう。読み落としたかもしれない。
個人の人生もそうだが、国家の歴史の理解に劣等感、コンプレックスを軽視してはならない。
ま、逆に自己愛や虚栄心も歴史解析ツールとして使えるということもある
全体に分かりやすく一気に読めるが、それほど単純ではないような気持も残る。それは40年あまり前、『ものぐさ精神分析』の読後感に似ているのかも。