近鉄橿原線畝傍御陵前駅東出口から、天香久山に向かう道路を約500m歩くと、作家の黒岩重吾氏筆による万葉歌碑を道ばたにみることができます。その奥、道の南に面する一軒家の庭先に、大きく精巧な礎石が高さを揃えて15個並んでいます。また、その南の水田の中には小高い土壇が2つ並んでいます。これらは1300年前、奈良市西の京の薬師寺(平城京薬師寺)の前身としてこの地に建立された本薬師寺の名残りとして、多くの人々に親しまれたいます。
本薬師寺の創建は、「日本書紀」によると天武九年(680)十一月の条に「皇后、体不予(みやまい)したまふ。即ち皇后の為に誓願ひて、初めて薬師寺を興つ(たつ)。」とあり、時の天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気治癒のために発願したことに始まります。そして、天武天皇崩御の後、持統二年(688)にこの寺で仏事を行っています。この寺は藤原京復元条坊で右京八条三坊の全域(4町)を寺域としています。伽藍配置は、南北中軸線上に南から中門、金堂と塔の位置関係は平城京薬師寺と同じです。現在、金堂及び東西両塔を含む中心部分が国特別史跡に指定されています。
やがて平城京に都が移り、現在の西ノ京に再建されている藥師寺の前身として、栄華の移り変わりを、ここに幻のように描いてみるのみである。