カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

なら 燈花会  燈の花を咲かせる人

2006年08月09日 | ☆ ふるさと・大和

 



8月7日「なら燈花会」を見に行った。

「公会堂の前が一番綺麗だよ。」
車を置かせてもらった弟の家から、近鉄奈良駅前まで送ってくれた弟がそう言ってくれた。
昨年、1昨年と2度燈花会を見に来ているが、公会堂前にはまだ行っていなかったので、今回はそこから出発することにした。

早めの夕食をとって、運動もかねて公会堂に向かった頃はまだ首筋に夕日が痛いような頃だった。
公園の散策道には、燈の入っていない筒が並んでいた。
スニーカーにジーンズ、ナップザックと身軽である。



「浮雲園地」と名づけられたエリアである。
日は西に落ちた薄暮の中、きちんと並べたはずの蝋燭の筒を、鹿は何の遠慮もなく倒していく。
筒を倒すと蝋燭を浮かせる水がこぼれてしまうが、そんなことにはお構いなく鹿の遊びだ続く。
「この子達の遊びの場を燈花会の間使わせてもらうので、仕方ないのかなぁ」



鹿を追いやりながら、スタッフの方が、倒れた筒を元に戻し、水を入れる。
別の人は、水が入っているか確かめながら、着火した蝋燭を浮かべていく。
多くのボランティアの人がこの広い公会堂前の芝生にある筒に点灯していくのは、並大抵の仕事ではない。



小学校3~4年くらいだろうか。この子も、点灯の仕事を担当している。
「ご苦労様」と、声をかけたくなる。




薄暮から次第に闇が濃くなっていく芝生に、燈の花が咲いていく。

もっと闇が深くなると、古都奈良が幽玄の世界に包まれていくのだ。

華やかさというよりも、鎮もりという言葉の方がふさわしいような美しさだ。

「なら燈花会」を支える人達のほんの一部であるが、点灯前から見守ることが出来たことが、一層燈の美しさに触れる思いである。





コメント (20)
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