カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

ホワイトクリスマス

2011年12月25日 | ★ 日々の呟き

冬将軍の到来は日本列島を包んでしまっているようだ。
家にいると、ここだけが寒いような気がして、何もやる気がなくて、外に出たのは洗濯物を干しに、それも軒下だから、外じゃない。
窓越しに外を見ると灰色の世界が広がっているだけ。
空から落ちてくる雪が、点々と画面に入ってきている。



終日こんな状態で過ごした。
そうそう、高校駅伝の選手が、京の都大路を走るのだけは、しっかり観ていた。
その間だけ元気を私も貰っているような気持ち、というよりは「若い」っていいなぁと・・・。


今日はクリスマス せめてこんな画像を載せて、冬将軍が早く立ち去ってくれるように、私はサンタさんのお願いしてみよう。
        



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60年ぶりのご縁 「瀬戸内寂聴遊行」を拝聴して

2011年12月24日 | ちょっとおでかけ

4日間ブログをお休みしておたら、もう今日はクリスマスイブだ。
寒いイブで、ホワイトクリスマスになりそうだ。

そのお休みの間に、和歌山県の根来寺にお参りした時のことも書き残したく思っている。
家事の多忙に追われ少し後に回ってしまいそうである。


22,23日と1泊で名古屋市中区金山の、中京大学文化市民会館へ、瀬戸内寂聴さんの遊行を聴きに行った。
講演の日は22日だったので、無理をすれば日帰りができなくもなかったが、時間的に慌てるのが苦手になってきているので、会場近くのホテルに泊まった。
「ほほえみだより」210号がパソコンを開けなかった間に届いていた。
テレビでの寂聴さんの放映のあるときは番組表を見てチェックしながら、必ず観る事にしているが、実際にお目にかかってお話を聴くのは、約60年ぶりである。(記憶に誤りがあるかもしれないが、寂聴さんがまだ有髪で、瀬戸内晴美さんの頃だった。)
京都で行われた全国国語研究大会の時、講演の講師だった。
長い髪を後ろで束ねて、着物姿の美しい講師先生だった。
そんなときだったが不思議にも私の本棚には、「晴美」さんの書物はなく「寂聴」さんの書物のみである。
京都に来るまでのお話をありのままに話されたのが、妙に私の興味を惹いた。
得度されてからの書物は、かなり読んでいる。中でも訳 源氏物語は10巻を今も座右の書として読み返し読みかえししているのと、「釈迦」はいつもバックに入っている。
いわば寂聴フアンとして半世紀、ご縁を持ち続けていると思う。


左・お土産の微笑み日記。 中・1ページ目の寂聴さんとメッセージ 右・私が毎年使っている元気手帳11年版
    

ステージには椅子が用意されていた。
高齢の上、東日本大震災の前には、圧迫骨折で50日間ベットでの生活だと聞いていたので、回復された今も2時間に近くステージに立ちっぱなしは、大変なことだと思っていたが、開幕と同時ににこやかにステージ中央に歩んでこられた、その矍鑠とした動きと、椅子は向こうに避けて、ずっと立ってお話をされるという、お元気さに心から拍手でお迎えした。

遊行のテーマは「生きることはありがたい」
人は縁ができて絆が結ばれることを、講演前に楽屋を訪ねて来た方との、得度されて間もない頃、愛宕参りをしたときの出来事でのご縁の嬉しかったお話から、大切なことは縁であることを説得力のある話をされた。
また、人は生まれながらにして与えられた命はきまっていること、それを仏教では「定命」ということ。
今生かされていることは、定命があるゆえに、「今をせいいっぱい生きる」ことの大切さをいろんな面から熱く語られた。
絶えず肯きながら聴き、拍手と笑いが会場に満ち溢れた講演だった。


      

遠くから来た甲斐があったと、ほのぼのとした気持ちを温めながら、金山駅辺りの夕闇の中を歩いている時、キャンドルナイトの場面の灯りにふと足を留めた。
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シロヤマブキとコウテイダリア

2011年12月19日 | ☆季節


ヤマブキといえば、深みのある濃い黄色のヤマブキの花をイメージする。
そして、ヤマブキと共に頭に浮かぶのは、大田道灌のヤマブキ伝説である。
この伝説の和歌
「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき」から、山吹の花には実がつかないものだとばかり思い込んでいたが、八重ヤマブキには実がつかないが、一重のヤマブキや、シロヤマブキには、実がつくことを、この機会に恥ずかしながら認識した。

民俗公園でもみじの茜に堪能して公園内を出口に向かっていた時に、ずいぶん丈の長い木立ちダリア(コウテイダリア)の群れを見た。
車を走らせていると、民家の塀越しによく見かけるが、こんなに背丈のあるのは珍しい。
広い敷地だから、上に向かってもどんどん伸びていったように思う。
普通のダリアには、いろんな色があるが、コウテイダリアはみんな同じ色である。
淡い紫がかったピンクの大きな花が下を見下ろして、公園を後にするのを見送ってくれているようだ。

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大和民俗公園 紅葉に燃えた日 

2011年12月18日 | ☆ ふるさと・大和

大和の集落の古民家を移築保存公開をしている、公園である。
自然の広い地形をうまく利用して、幾棟かの古民家が点在するこの公園は四季折々の、木々にさく花、野に咲く花が、古民家の佇まいに風情を添えていついっても、楽しく気持ちを豊かにしてくれる。



春によく行ったせいか、紅葉の民俗公園の画像を今までに撮ったことがなかった。
これは12月初めの頃にここを訪れた時の紅葉である。
温暖のため今年は紅葉が遅れたのが幸して、師走に入ってからこんなに燃えるようなもみじの林の中を散策することができた。



「燃えるような」という表現が決して大げさではなかったこの日の、民族公園のもみじ林を、構図なんか考えず、撮りまくったのを、今年の紅葉の最後としてみんなアップした。

自己満足と笑われそうだが・・・

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シリーズの終わりに 石光寺4

2011年12月17日 | ☆季節

ちょっとピンボケになってしまったが、山門の右に咲いている山茶花。
これは帰るときのほうが、目に付く木である。
とても優しい色をしている。

つぼみのときの外側の花びらは濃いピンクで、開くにつれて淡いピンクが見えてくる。



牡丹園から塀越しに見える二上山をバックに、ここにも山茶花が咲いているが、山門の山茶花とは違って、みんな同じピンクで開くにつれてグラデーションの濃淡ではない。
足元に咲いていた一塊の水仙と、万両の赤い実が艶やかに冬の庭を彩っている。



この赤い山茶花は、落花盛んで、木の下には花びらが敷き詰めたように落ちても美しさを保っている。
落ち花びらを覗くように、カンアヤメも可愛い。



青空に向かって伸びた細い枝に、ちらほら桜が咲いている。
木の幹に「10月桜」と札がかかっている。
春の桜の華やかさもいいが、10月桜の小ぶりな花がしっかりと枝にしがみ付いたように咲くのを見るのもよい。



カンアヤメ・庭のあちこちに咲いていたのを4枚ほど集めて、コラージュして遊んでみた。

石光寺・おしまい

 13682歩


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