奥州陸奥国の勇者。仙台藩主伊達政宗。天然痘で片目を失い隻眼となったもののその武勇
は戦国時代を豊臣、徳川と行き抜き、明治まで続く名家仙台藩の基礎を築く。独眼竜政宗
と恐れられた戦国時代は何かと奇抜であったとされる。「伊達者」というのもその結果だ。
参照#伊達政宗も着座したであろう瑞巌寺「仙台藩主の間」
御宝塔は徳川家康公の奥都城である。御宝塔下に徳川家康公が埋葬されている。
古代エジプトから近代まで封建時代の権力者が作るのがこのような死後の御陵。
最高権力者は最高の埋葬を望むのである。結果最高の技術が伝承する効果有り。
Power:男体山から男子エネルギー、女峰山からは女神エネルギーが交錯して
あらたな超絶エネルギーを生み出すのがこの日光東照宮御宝塔の地で、
御宝塔に日本最強の神が宿るこの地は日本最強のパワーゾーンと認定。
参照#① 徳川家康公 像(駿府城公園)
② 徳川家康遺訓(日光東照宮)
③ 日光東照宮(世界文化遺産)
日本で12しかない現存天守閣。その中で、大天守、小天守を備える松山城。
姫路城に次ぐ規模を誇る。しかも、城郭は迷路のような構造で実戦を感じ
させる城構え。ロープウェイで登城する文字通り瀬戸内海四国一のお城だ。
城郭:連郭式平山城 城主:加藤氏~松平氏 現存天守:連立式層塔型三重三階
地下一階 遺構:現存天守、門、櫓、石垣、堀、井戸、塀、土塁など
石高:伊予松山藩20万~15万石 家紋:下り藤~三葉 築城年:1602年
指定:重要文化財(大天守、野原櫓・乾櫓・隠門続櫓など櫓6棟、戸無門・隠門・
紫竹門・一ノ門など門7棟、筋鉄門東塀など塀7棟)、国史跡、日本百名城
参照:世界文化遺産 姫路城
松山城は関ケ原の合戦直後に普請したお城。そのせいか山城という防御全体像で
本丸に一番近い太鼓門は最後の難関ともいえる備えである。門の両側上から太鼓
櫓と巽櫓が下を睨む。この城は熊本城に次いで難攻不落・臨戦用の建物といえる。
高知県~徳島県~香川県と巡り、愛媛県にやって来た。目的は調査研究は勿論
他に前回訪問時に果たせなかった松山城の登城。そして、天下の名湯道後温泉。
先ずは松山城へと登城。その道の途中『加藤嘉明公』の銅像が勇ましく迎える。
加藤嘉明公:豊臣秀吉、徳川家康に仕え石田三成と対決した戦国の武将。松山
藩の初代藩主となる。その武勲、施政が今日の松山市の元となり、今で
も松山市民に慕われていることから松山城下に立派な銅像が建てられた。
当初石高は20万石、更に精進して所得倍増の会津若松藩42万石を拝領。
参照:加藤嘉明公が城主となった会津若松鶴ケ城
映像:艮櫓(丑寅櫓/旧太鼓櫓跡・重要文化財指定)2017.07.08
四国での2泊目は讃岐うどんの本場、香川県高松市。夜食
に讃岐うどんを賞味し、早朝、この街の繁華街隣接のお城
を探査。四国全般に言えることだが、城郭はこじんまりだ。
城郭:輪郭式平城 城主:松平氏 築城年1590年(天正18年)
遺構:櫓、門、渡櫓、石垣 石高:高松藩12万石
家紋:水戸藩支藩(水戸光圀の長兄が藩祖) 丸に三葉葵(高松葵)
指定:重要文化財(北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓、旧東の丸艮櫓、披雲閣)
国史跡、日本百名城(指定77番)
入湯:香川県の入湯体験は金毘羅様の麓のこんぴら温泉に入湯
当地には夜に着いたので、残念ながら施設の映像がない。
とうとう憧れの丸亀城に登城。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)
を利用して、石垣を積み上げた日本一石垣が高いお城。天守の最上階からは、
瀬戸内海、瀬戸大橋などを眺望する事ができる。瀬戸内海を代表する城郭だ。
城郭:渦郭式平山城 城主:京極氏 天守構造:御三階櫓(現存天守)
遺構:現存天守、門、長屋、番所、石垣、堀など 家紋:平四つ目結土佐柏
石高:丸亀藩5万1000石 築城年:室町時代
指定:重要文化財(天守閣、天守・大手一の門・大手二の門)、国史跡、日本百名城(指定78番)
参照:丸亀城大手門からの全貌景観
ほぼ四国を一周する形で、香川県丸亀城に立ち寄る。ここは筆者念願の城郭。
日本で12城しかない現存天守閣と、日本一の石垣の積み上げは遠めにも風格
がある。讃岐富士を背景に小さいながらビッグな城は、文字通りPowerSpot。
城郭:渦郭式平山城 城主:京極氏 天守構造:現存天守(御三階櫓)
遺構:現存天守、門、長屋、番所、石垣、堀等 石高:丸亀藩5万1000石
築年:室町時代 家紋:平四つ目結土佐柏 指定:重要文化財(天守閣、
天守・大手一の門・大手二の門)、国史跡、日本百名城(指定78番)
参照#①讃岐富士(飯野山 香川県丸亀市) ②丸亀城天守閣(讃岐国 丸亀藩)
高知県で取材後二日目は徳島県だ。暑い日差しを避けながら先ずは徳島市内の
徳島市役所を表敬訪問(ただの情報収集)。ついでに向かいの徳島城址に立ち寄る。
小さな城址だが、石垣は城址の面影が残る。もう少し、歴史を整備して欲しい。
城郭:梯郭式平山城 城主:蜂須賀氏 築城年:1585年(天正13年)
遺構:石垣、堀、庭園 石高:徳島藩25万7000石 家紋:蜂須賀万字
指定:国史跡、国名勝(表御殿庭園)、日本百名城(指定76番)
考察:徳島と言えば『阿波おどり』。日本三大盆踊。四百年の歴史を持つ奇舞。
四百年言えば藩祖:蜂須賀小六の嫡男が入城した年数と重なる。蜂須賀
は岐阜の出、岐阜と言えば念仏踊りの流れを組む『郡上おどり』がある。
阿波おどりも又念仏踊りの一種。ここで点と点が繋がる。歴史は彩なす。
参照#①徳島県Powerspot 小便小僧(祖谷渓) ②徳島県秘湯 秘湯祖谷温泉
山内一豊(やまのうちかずとよ)の妻。浪人から一国一城の主にまで出世させた逸話の
馬の手綱を引く千代像である。織田信長に引き立てられる要因となった馬揃えの
為にへそくりを渡し一豊に駿馬を購入させ出世を果たしたとの事。良妻賢母の鏡
文学:司馬遼太郎著『功名が辻』の主人公として描かれた。大河ドラマ化された。
参照#①千代の内助の功で手にした高知城追手門 ②馬上の夫山内一豊公 像
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。今回漸く
登城を果たした。山内一豊が築城(1601年)以来、416年目の訪問である。
この天守閣を仰ぎながら、坂本龍馬が走り回ったと思えば感慨もひとしおだ。
城郭:連郭式平山城 城主:山内氏 天守構造:連立式層塔型三重三階地下一階
遺構:現存天守、門、櫓、石垣、堀、井戸、塀、土塁など 石高:土佐藩20万2600石
家紋:土佐柏(三ツ柏後に三菱マークの起源となる)、山内一文字、土佐桐 築城年:南北朝時代
指定:重要文化財(天守閣、懐徳館、黒門など15点)、国史跡、日本百名城(指定8番目)
四国のお城は数こそ少ないが、名城が多い。その名城の一つが高知城。
その追手門。明治政府の廃城令の破壊を免れた。江戸時代からの歴史
の重みがズシリ。切石を積み桝形上に堅牢に建てられた両脇戸付櫓門。
参照:追手門前の山内一豊公像
土佐高知の藩祖。豊臣秀吉子飼いの武将でありながら徳川家康方となり
明治まで土佐藩が続く礎を作った。土佐藩は薩・長・土・肥を形成して
明治政府を起こし、今日の日本の礎を築く重要な勢力となったのである。
薩長土肥:明治維新の原動力となった雄藩(外様大名)。薩摩藩、肥前
鍋島藩、長州藩、土佐藩の連合。共に有事に備え藩内で鍛錬する。
考察:歴史は繰り返す。西の平家を滅ぼしたのが東の源氏。東の徳川を
滅ぼしたのが西の薩長土肥。その流れで現在西高東低の政治気圧。
伊勢神宮の内宮と外宮のほぼ中間に位置している。構内はかなり広く明治42年に
日本で最初の私立博物館として創設された伊勢神宮の「歴史と文化の総合博物館」
は佇まいも立派。国重要文化財11点を含む歴史・考古・美術工芸品等を収蔵する。
四国の名城松山城。それは正に坂の上の城。本丸天守が創建以来現存する貴重なお城。
お城の重要な護りとなる門は本丸の随所にある。まるで迷路。その最初の門が一ノ門。
木造の高麗門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割が大きく、豪放な構えである。