映像:根城八戸市博物館に建つ南北朝時代の武者を思わせる銅像。
根城の城主南部師行公の銅像。本州果ての歴史もまた大河ドラマに
なる程雄大で縁深いものである。南部とは山梨県からの流れであり
南北朝時代まで遡り、浪岡の北畠氏との連携した壮大な歴史物語だ。
参照#南部師行が築城した根城城址
映像:史蹟根城の空間。大地と空、丘と木々は歴史の証人。
南部師行の居城だ。しかし、今の八戸の基礎を築いたのは
鎌倉時代に台頭した三戸南部氏。三戸、七戸、八戸、盛岡
南部藩は江戸時代を生き抜いていく。いにしえの歴史絵図。
城郭:連郭式平山城 城主:南部氏 家紋:南部鶴
石高:根城南部氏1万5500石 遺構:土塁、堀、井戸
指定:国史跡、日本百名城(指定5番)
山形湯巡り路も最終となった。愛車1126号の最後の遠出となった。
大蔵村肘折温泉を抜けて、学会仲間を山形新幹線新庄駅まで送り
新庄城城址に立寄り。小さな平城跡は晩秋の佇まいで誰も居ない。
城郭:輪郭式平城 城主:戸沢氏 石高:新庄藩8万3,200石
家紋:九曜の紋 遺構:堀、本丸門石垣、本丸櫓台石垣
参照:戸澤神社(山形県新圧市)
( 2014 山形湯巡り路 完 )
映像:根城城址入口にある城門。史跡根城城址の唯一の歴史的構造物。(2015.1.11)
板造りの質素ものだ。元は八戸城の東門で使用されたものを移設したとか。南部藩
(八戸藩)は質素であったことがこの東門を観ても理解できる。今は新産業都市と
して発展だが、土地は痩せて漁師町がこの地域をけん引していた時代が想像できる。
道の駅「だて歴史の杜」で一夜を明かした。早朝は周辺散歩だ。道の駅
の奥まったところに記念館『迎賓館』がある。明治の建物だ。この地の
お城的存在で、実際に伊達一門亘理伊達氏の当主が昭和初期に居住した。
城郭:亘理郡亘理城 家祖:仙台藩伊達分家(政宗九男) 石高:24,385石
記録:戊辰戦争後一族を引き連れ、お城の売却資金で北海道開拓移住
現在の北海道伊達市を築き上げた。その功績で明治に男爵受位。
参照:道の駅「だて歴史の杜」(北海道伊達市)
五稜郭の中央部に函館奉行所が近年復元された。木造の独特
の造形は当時としては近代的な建築物だった。正面の櫓がこ
の建物の特徴。見学の団体は、ほとんど台湾の観光客だった。
城郭:稜堡式 城主:江戸幕府 遺構:土塁石垣堀、兵糧庫
指定:特別史跡、日本百名城
参照#①函館タワー眺望五稜郭全景 ②四稜郭(函館市陣川町)
盛岡藩支藩。七戸南部氏は五代盛岡藩主南部行信の弟正信に五千石分知したことから
始まる。江戸定府の旗本大名だったが、七戸の地に名実ともに立藩したのは明治弐年
のことであった。七戸城址に往時の東門が復元され,たった弐年の夢を忍ばせていた。
城郭:平山城 城主:南部氏 家紋:向い鶴 時代:明治2年成立 石高:七戸藩一万石
指定:国史跡 遺構:本丸・二の丸・北館・下館・宝泉館・西館・角館・土塁・水堀・空堀
・大手虎口跡・復元東門
⇧ 最上部、本丸らしき地に『史跡七戸城祉』の石碑。
解説:七戸南部家(5千石)は江戸詰旗本であったが、6千石の加増で国元を持たない大名
格になったが幕末に参勤交代緩和で立藩の動勢になり戊辰戦争後に七戸藩一万石誕生。
映像:藩政時代の教習所(文武学校)が現存、松代藩10万石の質実剛健の魂が伝わる。
長野県長野市松代は長野新幹線を降りて、善光寺の反対方向南に
ある。史跡川中島の合戦場を横目に千曲川向こうの小さな城下町、
古城跡がいまもあり、真田藩の最後の地、その学問の府であった。
映像:角館名門、青柳家の門前にて
秋田佐竹藩:佐竹北家に仕えた上級武士の家柄。当時の武家屋敷の様子
が良くわかる。一般公開もされており、青柳家の代々の伝承品が見れる。
記録:佐竹北家(佐竹義隣)の家老格(200石)、敷地3000坪
指定:重要文化財(青柳家母屋)
吉田松陰は日本の未来を憂いて道の奥津軽半島まで足跡を残した。
黒船で密航しようとして横浜では逮捕、そんな時代の寵児がここ
まで来たことに驚く。津軽藩は陸奥湾を睨み外国船の防御をした。
解説:攘夷の雰囲気が漂う時代、津軽藩はロシアの侵攻を懸念して
陸奥湾岸平舘の地松前街道沿いに砲台を築いて守りを固めた
源頼朝が伊豆に幽閉後源氏を再興したのは有名な話だが、その若き日の頼朝
を支えた地元郷士の一人が伊豆土肥公とされる。ここ湯河原温泉一帯がその
勢力下であった。地元民にも慕われる土肥公夫婦像がJR湯河原駅前に建立。
≪メモワール:Histoire(イストワール)・松代城 映像は復元された二の丸太鼓門 2011.1.22 ≫
真田氏は真田昌幸の知略で、一家が秀吉側と家康側に別れ家を残した。結局、徳川家康側に
ついた長男信之が上田城からこの松代城(海津城)に封じ込められ此処が真田氏の最後の居城。
城郭:輪郭式平城 城主:真田氏 遺構:石垣、土塁、堀 石高:松代藩13万石 家紋:六連銭
指定:国指定史跡(松代城址)、日本百名城(指定26番)
観察:千曲川を望む城は、武田信玄が築城した歴史あるもの川中島の戦の最前線基地である。
参照#①松代文武学校(信濃国松代藩藩校) ②真田氏最初の居城 上田城
五稜郭タワーフロアーに展示されている土方歳三像。会津の旗と葵の紋。
土方歳三は晩年には会津藩にお抱えとなっている。しかし、箱館戦争で
は壮絶な戦死となった。シャープな生様は多くの土方ファンを惹寄せる。
参照#北海道蝦夷開拓の拠点、北海道新政府の政庁となった五稜郭
参照#土方が傷を療養した温泉地①福島県東山温泉 ②箱館湯の川温泉