お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

石川啄木(哀惜の歌人)探訪紀行

2019年07月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

   ≪ 平成調査結果:研究&調査&執筆 石川啄木(哀しみの歌人)2006.4~2018.12 ≫ 

 石川啄木は岩手県渋民村の極貧の寺に生まれた歌人・作家。北日本(主に東北)、北海道に
 足跡が残る。最後は失意のまま希望を捨てず、上京してその短い生涯を終えた。その足跡
 を辿り我が人生を振り返った日々が懐かしい。 文学は歓びと哀しみの混沌から生まれる
                  (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可

 ①北海道・・・子を負いて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし 妻の眉かな          (JR小樽駅)
 ②北海道・・・忘れ来し  煙草思ふ  ゆけどゆけど  山なほ遠き  雪の野の汽車        (十勝平野)
 ③北海道・・・遠くより  笛ながながと ひびかせて 汽車今とある  森林に入る       (十勝平野)
 ④北海道・・・神のごと 遠く姿あらわせる 阿寒の山の雪のあけぼの      (雄阿寒岳)
 ⑤北海道・・・朝の湯の 湯槽のふちに うなじ載せ  ゆるく息する  物思ひかな       (川湯温泉)
 ⑥北海道・・・しらしらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな          (釧路港)
 ⑦青森県・・・東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる            (大間埼)
 ⑧青森県・・・大といふ 字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり           (大間埼)
 ⑨青森県・・・大海に むかひて一人 七八日 泣きなむとすと 家を出でにき         (大間埼)
 ⑩青森県・・・船に酔いて やさしくなれる いもうとの 見ゆ津軽の 海を思えば       (むつ湾)
 ⑪青森県・・・夕雲に 丹摺(にず)はあせぬ 湖ちかき 草舎くさわら人 しづかなり     (十和田湖)
 ⑫岩手県・・・この船は 海に似る 瞳の君乗せて 白帆に紅の 帆章したり         (石川節子)
 ⑬岩手県・・・やわらかに 柳あおめる 北上の 岸辺に見ゆ なけとごとくに        (渋民公園)
 ⑭岩手県‥・その昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠 いかにかなりけむ  (旧渋民尋常小学)
 ⑮岩手県・・・かにかく 渋民村は 恋しかり ふるさとの山 ふるさとの川  (啄木仮住まい家)
 ⑯手県・・・はたらけど はたらけど 猶わがくらし 楽にならざり  ぢっと手をみる (啄木記念館)
 ⑰岩手県・・・ふるさとの 山に向いて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな  (岩手山)
 ⑱
岩手県・・・潮かをる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けや         (三陸海岸)
 ⑲岩手県・・・不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心         (盛岡城址)
 ⑳岩手県・・・ふるさとの 寺の畔の ひばの木の いただきに来て 啼きし閑古      (啄木生家)
 ㉑茨木県・・・何事も 思うことなく いそがしく 暮らせし一日を 忘れじと思う     (古房地公園)
 ㉒東京都・・・ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く     (上野駅)

 記録:石川啄木の碑文は北海道から沖縄まで現在約160位確認されている。しかし、啄木が
    辿った路は北海道、青森、岩手・・・東京どまりで、その旅路は貧困との闘いであった。

 参照石川啄木夫妻  #石川啄木愛用の机 #代用教員時代(渋民村尋常小学校)

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高村光太郎 ( 無垢の愛 ) 探訪紀行

2019年06月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

 画像:志に燃え、父高村光雲を越えんがためパリに留学した頃の高村光太郎
平成調査結果:研究&調査&執筆 高村光太郎(無垢の愛)    2006.4~2018.12

高村光太郎は彫刻家で著名なのだが、筆者は若かりし頃彼の詩集に深く感銘した。パリに
留学時の創作詩、そして運命の出会い智恵子との純真な愛の結末には感動が涙に変わった。
一人の女の心躰を愛した芸術家の魂を追っては観たがとてもその孤高な魂に追いつけない
                 (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可) 
  ① 犬吠埼:房総半島・・・いやなんです あなたのいつてしまふのが (千葉県 犬吠埼)
  ② 樹下の二人  「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川・・・・・・・・ (福島県詩歌の丘)
  ③ 智恵子展望台  (高村山荘で自給自足生活の時の智恵子を偲んだ丘)(岩手県 花巻市)
  ④ 安達太良山智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たい(福島県二本松市)
  ⑤ 道程僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ・・・ (東京都 豊島区)
  ⑥ 湯治治療時間湯のラッパが午前六時を吹くよ。朝霧ははれて・・・ (群馬県草津温泉)
  ⑦ 高村山荘  「雪白く積めり 雪林間の路をうづめて平らかなり・・・ (岩手県 花巻市)
  ⑧ 大沢温泉 「この温泉は本当の温泉の味がする」と光太郎は評した・ (岩手県 花巻市)
  ⑨ 魂のアトリエ・・・光太郎は失意の内に花巻の山村で隠遁生活した庵 (岩手県 花巻市)
  ⑩ フロンティアの湯‥・高村光太郎の詩に共感した温泉施設の源泉名 (岩手県八幡平市)
  ⑪ 乙女の像・・・の圧力に堪えて立つなら幾千年でも黙ってたって(青森県十和田湖)
       ※上記、詩のフレーズを声を出して朗読すると青春の日々が甦る

参照#①日時計(高村山荘) ②高村山荘(岩手県花巻市) 乙女の像原型(智恵子像)
   ④芸術&文学&温泉探訪紀行

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斎藤茂吉(歌人・精神科医) 探訪紀行

2019年05月31日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

  平成調査結果:研究&調査&執筆 斎藤茂吉(歌人・精神科医 2006.4~2018.12)
                                           映像:斎藤茂吉の代表的な歌集初版本の装丁一部

  アララギ派歌集赤光でその素朴な作風に魅せられた東北の歌人。東北地域の温泉地等
  に足跡を確認できるが長崎医学専門学校教授時に九州の温泉地にも足跡を残している。
  医師と歌人の二足の草鞋も違和感はない。それは、彫刻家と詩人の高村光太郎に似る。
                 (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可) 

 ① われもまた  現身なれば  悲しかり  山にたたふる  この湖に来て・・・秋田県田沢湖畔
 ② ここにして 波の上なる みちのくの 鳥海山は さやけき山ぞ」   ・・・秋田県 鳥海山
 ③ 千年の 慶をほこる 川渡の いでゆの夕なる 杜の湯 」   ・・・・・・・・宮城県川渡温泉
 ➃ みづうみの 岸のせまりて硫黄ふく けむりのたつは 一ところならず・宮城県鳴子温泉
 ⑤ 元禄の  芭蕉おきなも ここ越えて 旅のおもひを  とことはにせり」  ‥宮城県鳴子温泉
 ⑥ 陸奥を  ふたわけざまに  聳えたまう  蔵王の山の  雲の中に立つ」 ‥‥山形県  蔵王山
 みちのくの  出羽のくにに  三山は  ふるさとの山  恋しくもあるか」 ‥山形県  月 山
 ⑧ うつせみの 病やしなふ 寂しさは   川上川の みなもとどころ・・佐賀県古湯温泉 
 ⑨ 日当山 妙見 安楽 塩浸   湯は沸き出でて くすき国ぞ」  ・・・・・鹿児島県妙見温泉

 所感:茂吉と言えばやはり、永井ふさ子と師弟の禁断情愛。茂吉54歳、ふさ子25歳という
    年齢差。相思相愛で心も体も結ばれたが、互いの事情はそれ以上の発展を許さない。
    婿という立場、青山脳病院長、当時では老境の年齢。かたや25歳のお嬢様美人歌人

 記録:斎藤茂吉が院長の青山脳病院の患者には著名人(文人)も多い。永井荷風、芥川龍之介、
    宇野浩二等である。又、斉藤茂吉自身も若干の癇癪症、潔癖症とも伝えられている。
    患者である芥川龍之介の自殺には相当にショックを受けていたとも伝えられている。

 参照有島武郎(白樺派)探訪紀行
    こちらは相思相愛を「死」でもって貫いた。男と女は、なんと不可思議な生き物だ。

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野口雨情(郷愁と童心詩人)探査紀行

2019年05月15日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

平成調査結果:研究&調査&執筆 野口雨情(童心抒情の歌人)2005.6~2018.10 ≫

野口雨情は現在の北茨木市の出身であるが隣接いわき湯本温泉とも関りがある。それは郷里
の温泉地という地の由縁であろう。比較的裕福な生まれの雨情は一時函館で困窮の歌人石川
啄木と新聞社で同僚でもあり交流もあったが、その作風は明るく純心なモチーフが多かった。
                   (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可)
野口雨情資料館・・・もし石川にかうした心の焔がなかつたならば (福島県いわき湯本温泉)
赤い靴・・・赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて (福島県いわき湯本温泉)
米沢城址・・・あづま山から 兎がはねて ぴょんとここまで こえばよい (山形県米沢市)
とうりゃんせ像・・・あの町この町 日が暮れる  日が暮れる 今きたこの道(茨木県北茨木市)
三朝音頭・・・ないてわかれりや  空までくもる くもりや  三朝が雨となる (鳥取県三朝温泉)
徳島城祉・・・むかし忍んで  徳島城の 松に松風  絶えやせぬ(徳島県徳島市徳島城址公園)
鉄輪むし湯・・・豊後鉄輪 蒸し湯のかえり 肌に石菖の香が残る (大分県別府市鉄輪温泉)

作品:赤い靴、青い目の人形、十五夜お月さん、俵はごろごろ、七つの子、よいよい横町
   兎のダンス、証城寺の狸囃子、雨降りお月さん、あの町この町、黄金虫、波浮の港、
   シャボン玉 ・・・など多数。
KEY:北茨木市(出生)、
早稲田大学中退、坪内逍遥師事、詩人、童謡作家、62歳没(脳出血)

所感:野口雨情は心に残る数多くの童謡歌詞を残したが素行は他の著名な作家達同様沢山
   の浮名を流す破天荒なものだ。芸術は多様な経験の凝縮の産物である事も否めない。
   彼の足跡も筆者どうよう温泉地に数多く残るのは「温泉」は心安らぐ場所なのだろう。

参照函館で同僚だった石川啄木(哀しみの歌人)探訪紀行 

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種田山頭火(放浪の俳人)探査紀行

2019年05月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

平成調査結果:研究&調査 &執筆 種田山頭火(放浪の俳人) 探訪紀行2005.6~2018.10 

放浪の歌人
種田山頭火・・・大学時代に彼の作品に触れる。いらい不思議な存在だった。
しかし、山頭火の軌跡を辿りようやくこの俳人の一端を垣間見る事ができたと実感した。
種田山頭火は山口県の出身、妻の実家九州を中心に不遇の身となり温泉地を主に行脚し
俳句を残す。作風は自由律であり五・七・五の定型におさまらず直情的なものであった。
                               (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可

 ① 熊本県  日奈久温泉・・・「温泉はよいほんたうによい・・・一生動きたくないのだが
 ② 熊本県  日奈久温泉・・・「あるけば あるけば 木の葉散る」(商店街軒先)
   ③ 熊本県  日奈久温泉・・・「月澄むほどに われとわが影 踏みしめる」(橋の欄干)
 ➃ 熊本県  日奈久温泉・・・「お月様が お地蔵様に お寒くなりました」(橋の欄干)
 ⑤ 熊本県  日奈久温泉・・・「これから旅も 春風の 行けるところまで」(橋の欄干)
 ⑥ 大分県  湯平温泉・・・・「しぐるるや 人の情けに 涙ぐむ
 ⑦ 熊本県  植木温泉・・・・「分け入っても 分け入っても 青い山
 ⑧ 長崎県  島原温泉・・・・「さびしくなれば 湯が湧いている
 ⑨ 山口県  湯田温泉・・・・「ほろほろと 酔うて 木の葉ちる
 ⑩ 山口県  湯田温泉・・・・「まったく 雲がない 笠をぬぎ
 ⑪ 長野県  山田温泉・・・・「つかれも なやみも 熱い湯にずんぶり
 ⑫ 長野県  山田温泉・・・・「霧の底にて 啼くは 筒鳥
 ⑬ 長野県  蕨温泉・・・・・「若葉 かぶさる 折からの 蛙なく」(墓所)
  長野県  蕨温泉・・・・・「ぐるりと まわってきて こぼれ菜の花(土蔵)
 
 宮城県  鳴子温泉郷・・・「湯あがりの あてもない雑草・・・ こんなにたまり
 ⑯ 山形県  湯田川温泉・・・「みちのくは ガザ咲いて 兎死うたう
  山形県  湯田川温泉・・・「朝蝉夕蝉 なぜ あなたは来ない
 
 福井県  永平寺・・・・・「てふてふ ひらひら いらかをこえた 
 ⑲ 石川県  中宮温泉・・・・「千人風呂 ちんぽこも おそそも 湧いてあふれる湯」
 ⑳ 青森県  下北半島・・・・「こぼれ菜の花も をさない おもいで」(居酒屋)

考察:種田山頭火の句碑等はまだ各地に有るかもしれないが温泉地をテーマに辿った。
   西の種田山頭火、東の松尾芭蕉・・・時代も背負った苦業も違うけど「旅」・「俳句」
   という共通のカテゴリーの旅情・心情の作句は、とかく対比したい二人である。
記録:二流大学と卑下して通った白山キャンパスで最初に目にしたのが『種田山頭火』
   のサークルだった。気にもせず通り過ぎたのだが、後になり種田山頭火の悲哀
   を温泉探査で味わうことに。一流も、二流も無い種田山頭火は一人しかいない。

参照松尾芭蕉(漂泊の俳人)奥の細道紀行 

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与謝野晶子 (浪漫の歌人) 探訪紀行

2019年03月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

 映像:文化学院女学部長時代の撮影と思われるハイカラな与謝野晶子photo(文化学院所蔵)
    元文部大臣与謝野馨氏は与謝野晶子の孫で、文化学院(29年閉校)の院長であった。
 ≪ 平成調査結果:研究&調査&執筆 与謝野晶子(官能と情熱の歌人)2006.4~2018.12 ≫ 

 「 やは肌のあつき血汐・・・」 などの情熱短歌作家、12人の子沢山、源氏物語の現代語訳者。
 この作家も筆者の心をときめかせた一人に違いない。そして後に温泉地の先々で彼女の
 歌碑と出逢うことになる。温泉地探訪の女性先駆者。その理由は温泉地で開催する歌会。
 豊かでなかった晶子は夫鉄幹と歌会を主宰することで趣味(温泉旅行)と実益を兼ねていた。
                  (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可) 
 ①「山畑に しら雲ほどの かげろふの 立ちて洞爺の 梅さくら吹く」・・北海道洞爺湖温泉
 ②「啄木の 草稿岡田 先生の 顔も忘れじ はこだてのこと」・・・・・北海道湯の川温泉
 ③「深山なる   かじかに通う   声もして  岩にひろがる  釜ふちの滝」・・岩手県花巻温泉
 ④「さみだれの 出羽の谷間の朝市に 傘して売るは おほむね女・・・山形県温海温泉
 ⑤「温泉は いみじき瀧の いきほいを 天に示して  逆しまに飛ぶ」・・新潟県瀬波温泉
 ⑥「草まくら 手枕に似じ 借らざらん 山のいでゆの 丸太のまくら」・・栃木県法師温泉
 ⑦「榛名山(はるなさん)の一角に 段また段を成して羅馬時代の野外」・・群馬県伊香保温泉
 ⑧「山代の 泉に遊ぶ たのしさを たとへて云えば  古九谷の青(鉄幹)
・・石川県山代温泉
 ⑨「松たてる 安宅の砂丘 その中に 清きは 文治三年の関」・・・・・石川県片山津温泉
 ⑩「川浪が 雨の裾をば 白くする 三朝の橋を 越えてこしかな」・・・鳥取県三朝温泉
 ⑪「かじか鳴き  夕月映り  いくたりが  岩湯にあるも みな高田川」・・・岡山県湯原温泉

 ⑫「かまくらや  みほとけなれど  釈迦牟尼は  美男におわす  夏木立かな」・・・・ 鎌倉大仏
 ⑬ 霧島の  つばさとすれど   地を捨てぬかな」・・・宮崎県霧島連峰韓国岳登山口白鳥温泉
 ⑭ 明礬の湯の きよらなり 帝王の翡翠の床と くらべて想う」・・・・・・鹿児島県硫黄谷温泉

 与謝野晶子の足跡は北海道から九州まで主要温泉地に見られる。先に述べた様に地方富裕
 層を対象に「歌会」を開催し、その場所が各地の著名温泉地であることが与謝野夫妻の温泉
 地での歌碑が多数存在する理由と推察。明治から昭和初期まで温泉地は富裕層の社交場所

 所感:短歌「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(乱れ髪)にも
    ある通り当時(明治時代)としては驚く官能的な表現や、戦地の弟に寄せた詩文「
    死にたまふことなかれ」は専制国家時代では自由的表現であり、その表現は奔放だ。
    五万首とも云われる中、探査した歌碑は少ないが温泉観光地の短歌をしみじみ鑑賞。

 余談:与謝野鉄幹は教え子二人と関係するなど明治にあって好色的。晶子は鉄幹に妻子が
    ありながら、一時不倫の誹りを受けつつ謂わば略奪婚同様の行動で時代を生き抜く。
    その強烈なパワーが全国の温泉地に歌碑が残る原動力となったのだろう。女は強し

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有島武郎 (白樺派作家) 探訪紀行

2019年02月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

≪  平成調査結果:BLOGデーターベース 有島武郎探訪紀行 2006.4~2019.5≫
  映像:北海道ニセコ町にある有島武郎記念館前庭の有島武郎ブロンズ像

北海道ニセコを訪問した時に感動した集落があった。有島武郎が目指した相互扶助の
「狩太共生農団」理想の村を確認。秀峰羊蹄山裾野に広がる有島農場を小作人に解放
した「有島武郎」という理想を求めた作家の軌跡をこの地で再確認することとなった。
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 ① 有島武郎記念館(有島農場(後の狩太共生農場)の農場主宿泊施設が記念館の元)
 ② 弥照神社(有島武郎が理想の村を目指し、小作人達に農地解放を宣言した神社)
 ③ 自由の大地(羊蹄山を望む有島農場全景。凡そ70戸の小作農が就農していた)
 ④ 一房の葡萄(有島武郎記念館庭園片隅に佳作を思い起す小さな葡萄棚があった)
 ⑤ ミニチャペル(敬虔な基督教信者で洗礼を受けている事を窺わせる前庭の教会)
 ⑥ カインの末裔(記念館前庭にある文学碑。農場小作人の過酷な生活を垣間見る)
 ⑦ 思索の空間(有島武郎記念館庭園のテラス空間で、有島武郎の自由思想を巡る)
 ⑧ 羊蹄山(理想の村のシンボリックな山、小作人は朝な夕なに見上げて労働した)
 ⑨ 昆布温泉(理想の村に隣接する温泉、小作人も重労働の躰を癒したのだろうか) 
 ⑩ ニセコ駅(有島農場の玄関口。当時ここにニセコ駅が出来ることを知って開場)
 ⑪ 惜しみなく愛は奪う(有島武郎は終には愛するが故に己と愛する人の命を奪う)

記録:明治期薩長閥の特権階級に生まれた有島武郎は自らの富裕を疑問視する一方、
   北海道の農地に働く小作人に対して博愛的精神で農地を解放(共生)したが、
   作家の立場ながら美人編集者波多野秋子との道ならぬ恋で軽井沢で心中した。
   有島武郎45歳、波多野秋子29歳、有島は「惜しみなく愛は奪う」を実践した。

参照同じく不倫心中事件を起こした作家「太宰治(含羞と失意の作家)探訪紀行

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高浜虚子 (花鳥諷詠歌人) 探訪紀行

2019年01月04日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

平成調査結果:研究&調査&執筆 高浜虚子(花鳥諷詠の歌人)2006.4~2018.12≫

愛媛県出身の高浜虚子は正岡子規に兄事し、子規の薫香を受ける。京都~仙台~東京
と渡り、正岡子規の居宅「子規庵」に転がり込み、子規の帰郷と共に郷里松山に帰り
俳誌「ホトトギス」を後継して、鎌倉を拠点に活動。俳風は客観写生、花鳥諷詠である。
                (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可)

   ①燈台は 低く霧笛は 峙(そばだ) てり ・・・北海道 釧路市 米町公園
   ②囀りや 絶えず二三羽 こぼれとび・・・・北海道 登別温泉 地獄谷
   ③手古奈母 お萩に新茶 添えたばす・・・・・・・・・・ 青森県 大鰐温泉
   ④春山も こめていでゆの 國造り・・・・・・・・・・・・ 岩手県 花巻温泉
   ⑤天童の でゆや蟇(がま))なく 夜もすがら・・・・・ 山形県 天童温泉
   ⑥稲むしろあり 飯の山あり 今昔・・・・・・・・・・・・ 香川県 丸亀城址

所感:さすがに正岡子規の弟子だけあって自然・情緒の切り取りは無駄がなくビシッと
   決まっている。高浜虚子の句碑を最初に見つけたのが当地青森県大鰐温泉茶臼山
   公園。門下生の大鰐町の医師:増田手古奈の招聘来県。句碑が仲良く並んでいた。

KEY:愛媛県温泉郡(現松山市)出身、三高(京大)進学、二高(東北大)転校‣中退
   ホトトギス派(花鳥諷詠、客観写生)主宰、正岡子規後継、85歳没(脳溢血)

参照増田手古奈句碑「山の温泉(ゆ)や夕鶯のいつまでも」(大鰐温泉茶臼山公園)

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大町桂月 ( 酔仙人 ) 探訪紀行

2018年12月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

平成調査結果:本BLOGデータベース 大町桂月(酔仙人歌人)2006.4~2019.8

青森県の温泉観光を考察する時、江戸期では菅江真澄、近代では大町桂月を思い起す。
特に、大町桂月は(桂月とは四国高知にある名所桂浜の名月)当時の中央の薩長土肥勢力に太い
パイプがあり、その縁で雑誌「太陽」で十和田・奥入瀬を世に紹介した事は周知の事実。
                    (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの探査記録参照可) 

 ① 桂月の湯 ・・・ 北海道 屈斜路湖和琴半島にある大町桂月が入浴、名称の野天風呂
 ② 一沼に  馬群れ十里 尾花かな(俳句だが景観を鮮明表現) ・・・下北半島むつ湾岸
 ③ 恐山  心と見ゆる 湖を   囲める峰も 蓮華なり・・・・‥‥下北半島恐山極楽浜
 ➃ 神のわざ 鬼の手づくり 佛宇陀  人の世ならぬ   処なりけり・・・下北半島仏ケ浦
 ⑤ たてがみを 海吹く風に 靡かせて 馬ひとつ立つ 岩菊かな‥・夏泊半島大島
 ⑥ 大瀑 (おおばく)の 底まで見えぬ 紅葉 (もみじ)かな・・・・白神山地暗門の滝
 ⑦ 山の中  三十三湖  紅葉かな  (大町桂月の珍しい俳句型表現)・・・白神山地十二湖
 ⑧ 四方八方の  千万の山を見下ろして 心にかかる 雲もなき哉‥‥‥‥岩木山山頂
 ⑨ 下りて山を 湯船に仰ぐ 紅葉かな (アソベの森 いわき荘) ‥‥‥百沢温泉郷
  湯船より 見上げる山の 紅葉かな (アソベの森 いわき荘) ‥‥‥百沢温泉郷
 ⑪ ひとしほの 木の葉は散りて散り残る 楓の山の 美しきかな・・・黒石温泉郷紅葉山
 ⑫ 一椀の 芋を分かちて  君と吾 うき世の外の  月を見るかな・・・板留温泉共同浴場
 ⑬ 沼に舟うけ 姫鱒釣って 風呂で 月見る 山の中  ・・・・・・・・・・八甲田山蔦温泉
 ⑭ ここちよさ 何にたとえん 湯の滝に肩をうたせて 冬の月見る  ・・八甲田山蔦温泉
 ⑮ 極楽へ こゆる峠の ひとやすみ 蔦のいで湯に 身をばきよめて ・・八甲田山蔦温泉
 ⑯ 世の中の 命からむ 蔦の山 湯のわく處 水清きところ  ・・・・八甲田山蔦温泉
 ⑰ 立田姫   錦をさらす    大巌に   みだれて  9・3  白糸の滝・・・十和田奥入瀬渓流
 ⑱ 住まば日本(ひのもと)遊ばば十和田 歩きや奥入瀬  三里半・・十和田奥入瀬渓流
 ⑲ 薄着して 山に入れば 残雪ふきの薹・・・宮城県鳴子温泉郷神滝温泉(現在廃業)

所感:大町桂月は風流歌人という趣もある。交通が不便な往時にあって下北半島から
   津軽半島、白神山地そして津軽、八甲田、十和田湖と青森県の温泉・景勝地を
   巡り、紀行記録と歌を残している。菅江真澄と並ぶ温泉観光の大家として尊敬。

KEY:高知市出身、東京帝大卒。中学教師(島根県)、明治大学講師、酒と旅を愛する
   美文家、十和田湖奥入瀬渓流を愛し世に紹介(雑誌太陽)、蔦温泉で没57歳(胃潰瘍)

参照#①四国土佐の生まれながら、終焉地は長期逗留先の八甲田山中蔦温泉であった
   酒と放浪そして紀行(俳句・短歌・随筆)で似て非なるのが俳人種田山頭火
   大町桂月と並ぶ青森県の温泉観光の大家菅江真澄(紀行家・歌人)探査紀行」

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夏目漱石 (則天去私) 探訪紀行

2018年11月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

温泉探査の徒然に夏目漱石の足跡を辿った探訪紀行(2006.4.1 ~ 2019.11.15)

夏目漱石は英文学者(英語教授)から文学者へ転身していった作家だが、彼の作品
には温泉地が大きな役割を果たしている。道後温泉の「坊ちゃん」、小天温泉の「
草枕」、内牧温泉の「二百十日」、姥子温泉の「吾輩は猫である」。そして、修善
寺温泉の「則天去私」、湯河原温泉の「明暗」等と数々の佳作が温泉地で生まれた。
                  (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可)

「・・・ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が・・・」・・・・熊本県小天温泉
「かんてらや 師走の宿に 寝つかれず」・・・・・熊本県小天温泉(旧前田別邸句碑)
「すぐ懸崖と見えて、眼の下に朧夜の海がたちまちに開ける]・・・草枕温泉てんすい
・・・湯槽の縁へ肘をかけて漫然と、硝子越に外を眺め・・・阿蘇内牧温泉共同浴場
・・・一週間に一度しか水をかえない(小説:吾輩は猫である)‥・愛媛県道後温泉
「・・・親譲りの無鉄砲で小供の時分から損ばかりして居る。」・・・・・愛媛県道後温泉
霞む日や巡礼親子二人なり」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・愛媛県道後温泉
「・・・大変うまいと云う評判だから、温泉に行った帰り」・・・道後温泉坊ちゃん団子
「・・・湯壺は花崗石を畳み上げて、十五畳敷ぐらいの広さ」・・・道後温泉本館霊の湯 
「春の川を 隔てゝ 男女(おとこおみな)哉(かな)」 ・・・京都木屋町(嵐山温泉)
「僕が昔し姥子の温泉に行って、一人のじじいと相宿になった」・・・箱根姥子温泉
「則天去私とは、私心を捨てて自然に身を任せて生きる境地也」・・・伊豆修善寺温泉
「・・・お午(ひる)から滝の方へ散歩においでになりませんか」 ・・・・神奈川湯河原温泉

所感:夏目漱石という天才も又、家庭的には決して恵まれていたとは言えない。作家
   というものは孤高なるがゆえに創作へと拍車がかかる側面もある。太宰、芥川、
   有島など心中、自殺した作家は類なく身辺の非業‣悲運があった事は否めない。

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小林一茶 (牧歌田園俳人) 探査紀行

2018年10月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

平成調査結果:研究&調査&執筆 小林一茶(牧歌田園俳人)2005.6~2018.10 ≫

温泉地で最初に遭遇意識したのが草津温泉での句碑であった。以来、温泉地などで
観察したのが平成の時代で以下の通りである。一茶の句は一貫して自然(動植物)に
対する深い慈愛表現であった。信州・上州の温泉地遭遇の句碑に一茶の句風を体感。
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湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貌(かお)・・・・・ (群馬県草津町草津温泉)
春風に 猿もおや子の 湯治哉・・・・・・・・・・・・・・・・・(長野県高山村山田温泉)
梅が香よ 湯の香よさては 三日の月・・・・・・・・・・・・・(長野県高山村奥山田)
今年米 親という字越 おがみ家リ・・・・・・・・・・・・・・・(長野県高山村蕨温泉)
九輪草(くりんそう) 四五りん草で 仕廻(しまい)けり・(長野県信濃町一茶記念館)
(これ)がまあ ついの栖(すみか) 雪五尺 ・・・・・・ (長野県信濃町俳諧寺)
初夢に 故郷を見て 涙か な ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(長野県信濃町俳諧寺)
おらが世や そこらの草も   餅になる・・・・・・・・・・・・・(長野県信濃町俳諧寺)
やせ蛙 まけるな一茶 是にあり  ・・・・・・・・・・・・・・(長野県信濃町土蔵寓居)

所感:寒村の出身でありながら江戸で丁稚奉公後、俳諧師として大成した一茶。
   しかし、苦労人小林一茶の作風は奢ることのない人間味あふれるものだ。
   生物(小動植物)や童、世相(境遇・生活・社会)等を詠んだ珠玉の作品を多数作句。

温泉:筆者のテーマである「温泉観光」関連では下記のような俳句を捻っている。

     ゆけむりに ふすぼりもせぬ 月の貌』
                 『夕立の   裸湯うめて   通りけり』
     『梅が香よ 湯の香よ さては三日の月』
                 『春風に  猿もおや子の 湯治かな』
     『坐敷から にとび入るや はつ時雨』
                 『雪ちるや わき捨てある 湯のけぶり
     『子ども等が 雪喰ひながら 湯治かな
                  『山吹や 出湯のけぶり に馴れて咲』
     『雪ちるや わき捨てある 湯のけぶり
                  『湯けぶりや 草のはづれの 春の雨』
     『寝ころんで 蝶泊らせる 外湯かな』  ・・・

   五・七・五の世界は温泉の湯気をも芸術に昇華する。温泉天国信州ならでは。
  KEY:信濃国柏原出身、俳諧師(行脚生計)、54初婚、64再再婚、65歳没(中風)

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菅江真澄( 紀行家・歌人 )探訪紀行

2018年09月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

平成調査結果:研究&調査&執筆 菅江真澄(紀行家・歌人)2005.6~2018.10 ≫

温泉紀行を語る時江戸時代に活躍した菅江真澄を抜くことは出来ない。青森県、秋田県
を拠点に北日本をくまなく歩いて仕上げたのが「菅江真澄遊覧記(平凡社版全五巻)。筆者の
書斎の一角に格納されている。江戸時代の温泉地を中心の観察・記録は貴重な民俗資料
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下風呂温泉・・・・・・・・・・・「大湯、新湯といって二つの温泉がある下風呂という里」
恐山温泉・・「ふる滝の湯、ひえの湯、めの湯、花染の湯、しんたきの湯といって
大湊ネブタ・・・「横型の燈籠を灯して・・・囃を唱えながら、太鼓、笛を鳴らして賑」
夏泊半島 椿山・・・・・・・・「影おつる 磯山椿 紅に染めて 汐瀬の 波の色こ (濃)き
夏泊半島 大島・はま風の ふへくのりも つみぬらん ひるやしほでの 水もあさみ
浅虫温泉・・・・・・・「滝の湯、目の湯(椿館)、柳の湯、おお湯、はだか湯などが
夜越山・・・「錦木の その名も朽ず 今の世に いひこそ立ち 古き例(たとへ)を
奥津軽滞在地・・・・・・・菅江真澄滞在の碑(北畠家屋敷跡:青森県北津軽郡板柳町)
大鰐温泉・・・・・・・「小川をわたり、大鰐の湯の川原といういう出湯のもとにきた
白神山地 ・・・・・・ 「いそ山に 春は咲てふ たま椿 かかるやなみの 光なるらん
銚子の滝・・・「巌かつら くり返し見る  いわがねに  かかるも高き 滝のしらいと
湯の沢温泉 ・・・ふる雪か  花かあらぬか 山風にさそわれてちる   滝のしら泡
入道崎・・・・・・・・・・・・・・・菅江真澄の道 男鹿の鈴風(男鹿温泉:秋田県男鹿半島)
白糸の滝・・・・・・・「風あらき 磯のしら糸滝かたみ 波のよるひる やけてみたれん
椿・・・・・・菅江真澄の道(男鹿温泉:秋田県男鹿半島 天然記念物椿自生北限地帯)
鹿落とし・・・・・・・・・・・・・・菅江真澄の道 男鹿の鈴風(戸賀温泉:秋田県男鹿半島)
男鹿温泉‥‥‥‥・・‥「湯本についた。この温泉の味はからくて緑礬の気がある
夜籠り・・・・・・・・・・・・・・・・菅江真澄の道 男鹿の寒風(真山神社:秋田県男鹿半島)
名水の里 諏訪神社・・・・「六郷は 栄養丸に 百清水 多い寺々 絶えぬ金持ち
すすきの出湯・・「けふに明て見し面影のこまかへり老いもわかゆのわきて長閑き
三途の川・・・・菅江真澄の道 彼岸の真白なる静寂(川原毛地獄:秋田県泥湯温泉)
毛馬内の市・・・・・・・・・・・・菅江真澄の道 錦木「三日の市たち 人豊かに 住めり
                     参照#昔懐かしい伝統の毛馬内(けまない)盆踊り」
森吉山 ・・・・・・「連瀬沢 滝音ききつ 登りぬれば もろびの匂いす 前岳近く

菅江真澄
:江戸後期、紀行家歌人識者(国学、本草学、民俗学、地誌学)等多面性を持
 ち、当初は津軽藩のお抱え学者となり、津軽の民俗、薬草、地理などを調査を
 し後半は佐竹藩のお抱えとなった。特に温泉観光の分野では優れた紀行文を残
 す。筆者の尊敬する温泉観光の祖。ひょっとしたら白神を詠んだ最初の歌人だ。
 学術的な記録としての評価も高い「菅江真澄遊覧記」(平凡社版全五巻)を記し
 た。とくに青森県、秋田県の温泉地関係記述は温泉研究家必携の書と思われる。

記録:本草学(漢方)、地誌学(地理・温泉)、民俗学、歌人等、当時の最先端学識者

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松尾芭蕉( 奥の細道 )探訪紀行

2018年08月01日 | 📀芸術・文学・絵画DB.

 平成調査結果:研究&調査&執筆 松尾芭蕉(漂白の歌人) 2006.4~2018.11 

 松尾芭蕉が奥の細道の徒然に景勝地で詠んだ名句碑を筆者も温泉地を中心に辿り松島
 で完結した。東の松尾芭蕉、西の種田山頭火・・・時代も背負った業も違うけれど「旅」・
 「俳句」という共通のカテゴリーの景観・心情の作品はとかく対比される二人である。

            (下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可

  ① 信州路 ・・・ 「吹き飛ばす  石は浅間の  野分かな」   (長野県     浅間山)
  ② 上州路 ・・・ 「初時雨 猿毛小蓑越 不し気何梨(群馬県   伊香保)
  ③ 那須路 ・・・ 石の香や 夏草赤し 露あつし    (栃木県  那須湯本)
  
 那須路 ・・・ 湯をむすぶ 誓いも同じ 石清水   (栃木県  那須温泉)
  ⑤ 那須路 ・・・ 『野を横に  馬引き向けよ  ほととぎす (栃木県    那須岳)
  ⑥ 飯坂路 ・・・ (おい)太刀も 五月に飾れ 紙(福島県  飯坂温泉)
  ⑦
 松島路 ・・・ 島々や 千々に砕きて 夏の海  (宮城県  松島温泉)
  ⑧
 登米路 ・・・ 戸伊根麻と云所に一宿して(奥の細道 (宮城県   登米町)
  ⑨
 平泉路 ・・・ 五月雨を 降り残して 光堂   (岩手県   中尊寺)
  ⑩
 平泉路 ・・・ 夏草や 兵どもの 夢の後    (岩手県   毛越寺)
  ⑪
 鳴子路 ・・・ 蚤虱 馬の尿する 枕元     (宮城県  鳴子温泉)
  ⑫
 上路 ・・・ 五月雨を 集めて早し 最上川  (山形県  赤倉温泉)
  ⑬
 山寺路 ・・・ 閑けさや 岩にしみいる 蝉の聲 (山形県   立石寺)
  ⑭ 山寺路 ・・・  夏空に木陰で憩う芭蕉と曽良の像  (山形県   立石寺)
  ⑮ 出羽路 ・・・ 涼しさや ほの三日月の 羽黒山   (山形県     羽黒山)
  ⑯ 出羽路 ・・・ 「雲の峰 いくつ崩れて 月の山   (山形県   月 山)
  ⑰
 象潟路 ・・・ 象潟や 雨に西施が ねぶの花  (秋田県  象潟温泉)
  ⑱
 山中路 ・・・ 山中や 菊は手折し 湯の匂い  (石川県  山中温泉)
  ⑲
 山中路 ・・・ 漁火や かじかや波の 下むせび   (石川県   鶴仙渓)
  ⑳
 白山路 ・・・ 石山の 石より白し 秋の風   (石川県   那谷寺)

 参照#①種田山頭火(放浪の俳人)探訪紀行   ②奥の細道鳴子峡関谷間道

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