史跡津軽氏居城・・・北の都悠久の時を感じさせる城門である。この門は津軽為信が滅ぼした
大光寺城の城門を移築したもので弘前城の建築物ではもっとも古いと推測。建築当時正門
であったが、その後現在の大手門が正門となり裏門扱いである。またの名を亀甲門と称す。
参照#弘前城(津軽藩)探訪紀行
弘前城内で唯一の石橋。他の橋は木造なので往時のままではないが、この橋は1848年の
掛け替えからこのままある貴重なものだ。多くの観光客はこの石橋の存在に気付かない。
二の丸から東内門を抜け、左手に東屋、右手に弘前城植物園を確認できる歴史的な橋だ。
大谷海岸駅(JR・道の駅・海水浴場)の国道向いは小高い丘になっており立派な
民家が津波を逃れ残っていたが丘の中腹には道の駅で休憩していた車だろう、無
残にも津波に叩き付けられ、津波は丘を駆け上がり、民家の一階も襲撃している。