≪ 緊急速報:新年号「令和」制定 日本政府首相官邸発表 2019.4.1 ≫
恐らく日本国の全国民がこの瞬間に何らかの形で関わった事と思う。自分が生きる時代を
誰かに委ねなければならないもどかしさで傍観した人もいただろう。その結果万葉集から
出典の「令和」が新元号と告知された。本ブログで万葉集に触れたのは本蘭記述のみだった。
「大化 (645年)」以来、248番目の元号改定は掲題の吉野川の流れの様に悠々な歴史を辿
ってきた事を改めて思う。そして、日本最古の万葉集「梅花の歌32首序文」に記述された
「初春の令月にして気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫らす」はやがて咲
く吉野桜に引き継がれる。きっと、吉野山の様な全山春爛漫の時代になって欲しいと願う。
参照#新元号『令和』ゆかりの地 大宰府天満宮(大伴旅人ら梅花の宴の地)
(過去の記録:2017.7.29)
奈良県、紀伊山地の経ヶ峰付近を水源とする川。吉野山山系を流れ
和歌山県に入り紀ノ川となって紀淡海峡にそそぐ。長さ 81kmの川。
吉野山を訪れてこの川を詠った歌人柿本人麻呂の歌が万葉集に残る。
長歌:柿本人麻呂(持統天皇吉野山行幸随行時の作・万葉集巻1-36)
やすみしし わが大君の 聞し食す 天の下に 国はしも 多に
あれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ
秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば 百磯城の 大宮人は 船並
めて 朝川渡り 船競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく
この山の いや高知らす 激つ瀧の都は みれど飽かぬかみ
反歌:柿本人麻呂(万葉集巻1-37)
見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の絶ゆることなく また還り見む
考察:平安の吉野山は貴族にはレジャー(リゾート)ランドであった。
吉野川に船を浮かべ宮人が涼みわたる姿は宮廷の威光を放って
華やかさは勿論宮廷遊びの最高の姿でもあった事が推察される
追記:万葉集にはこんな歌もある(万葉集 巻7-1131詠み人知らず)
原文・・・皆人之 戀三芳野 今日見者 諾母戀来 山川清見
皆人の 恋ふるみ芳野 今日見れば うべも恋ひけり 山川清み
(皆が行きたいという吉野山に今日来てみて納得しました。山も
川もすべてまことに風雅で、なんと魅力的なことなのでしょう)
参照#①奈良県吉野町「吉野山」 ②吉野山麓の名湯吉野温泉元湯