汐留メディアタワー三階のギャラリーウオークで開催中の、「第18回 しおどめ発 世相漫画展」を觀る。共同通信社から配信された世界の出来事のその瞬間を、七人の漫画家が一コマ漫画で斬った展覧會。漫画の基本精神と云ふ諷刺味を効かせた諸作品は、そのまま時代の活きた記録となるもので、特にあらい太朗氏の「ワーオ、カンバンムスメ!」(2024年4月19日付)に共感する。ニ . . . 本文を読む
ラジオ放送の喜多流「田村」を聴く。値千金な櫻の下で清水寺の縁起を語り花に舞ふ少年、千手觀音の加護をもって勢州鈴鹿の惡魔を鎮めた坂上田村丸の武勇を、喜多流らしいハズレのない雄大な謠ひでゆったり樂しむ。その場所へ行かずして行った氣分に浸れるのが謠ひの樂しみのひとつだが、清水寺について云へば、この謠ひに聞こえるやうな壮爛な風情はいまやもう望めず、あるのは多種雑多が掻き起す騒亂だけである。土地に縛られ容易 . . . 本文を読む
池上本門寺にて、先日の御會式ではお参り出来なかった日朝堂へ挨拶する。失明から回復した十一代法主の奇跡には、いろいろ學ぶべきものを感じるので、ふとなにかを想った時に、いろいろと話しを聞いてもらってゐる、“相談相手”のやうなものか。今日は衆院選の公示日云々、本門寺帰りにぶらぶら歩きした川沿ひの道に、さっそく立候補者たちの顔触れが貼り出されてゐた。 その後あちこちで“出陣式”の跡を通りかかり、私の棲む町 . . . 本文を読む
目黒區大橋の上目黒氷川神社で開催された「おかげマルシェ」に参加し、現代手猿樂をつとめる。この催しも十回を數へ、續けることの意味を知ってゐるつもりな者として、なにか祝儀物をと、「猩々」と「すゑひろかり」を選ぶ。「猩々」は現代手猿樂を興して初めて舞薹にのせた曲であり、令和になってからは初めて上演、「すゑひろかり」は原典の狂言のやうに手輕に樂しめるものをと、特に . . . 本文を読む
埼玉県坂戸市で開催された「第24回 坂戸よさこい」のなかの「さかカルフェス」に今年も参加し、現代手猿樂「河原左大臣」を舞ふ。會場は大ホールで舞薹寸法も余裕があり──一人参加だから當然だが──、のびのびとつとめられたものの、王朝装束を纏ったいはゆる“頸上(くびかみ)もの”をやるには、客席の空氣がチト違ったかナ、と反省材料を殘す。觀客(ひと)の求めに應じるのが玄人(プロ)、自分の求めに應じるのが素人( . . . 本文を読む
池上本門寺の御會式──日蓮さんの七四三遠忌に出掛ける。 池上驛前から参道を經て本門寺まで、纏と、萬灯と、コンコンチキと、ドンドンツクと、ピーヒャラヒャラの海、海、海。講中の規模によってその勢ひにも違ひのあるのが、見物してゐて面白い。私は自分自身のみを信仰する者だが、こんなに賑やかならばホトケの云ふ事も聞いてみやうか、と云った氣にならなくもない。帰り道、萬灯練供養に参加してゐたらしい纏半被を着た若い . . . 本文を読む
早稲田を抜けて文京區に入り、神田川に架かる駒塚橋を渡ると、肥後細川庭園と關口芭蕉庵との間に、細い急坂あり。その名もズバリ「胸突坂」となむ云ひける。坂の多い江戸らしい急斜路にて、傍らの案内板の云ふ通り、昔日は雨で泥濘(ぬかる)んだ時など、絶對に通りたくはない。肥後細川家ゆかりの永青文庫側より、幕末にはその下屋敷の跡と云ふ「肥後細川庭園」を通り抜けてゐると、結婚記念の事前冩真撮影が行なは . . . 本文を読む
忘日、散歩でたまに通る商店街で、毎度シャッターが下りてゐるリサイクルショップが珍しく開いてゐたので覗いてみたら、稽古に丁度よい舞の扇が、ほぼ未使用にもかかはらず、わずか數百圓で出てゐたので、入手した。見世の主(あるじ)は傳統藝能の知識が無いため値段の付け方も見當がつかなかった、と云ひ、かうした扇の賣れたことに驚いてゐた。「これほど状態の良い物がこの値段とは嬉しいですね」、と話すと、主は「また入荷し . . . 本文を読む
永田町では昼過ぎに衆議院が解散云々、町では早くも選挙ポスターの掲示板が設置されてゐた。【セイジカ】(名)大學出の目立ちたがり屋がなりたがる、主義主張の争ひと云ふ美名の陰に隠れておのれの利益のために國事を動かすヒト。よって、近ごろ橫行するタダの目立ちたがり屋だけは、事前に排除していただきたいもの。ああいふテのは、ツマラナイので浮世には要らない。ふだんはあまり立ち寄らない地元のスーパーを覗いてみると、 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20241008k0000m040173000c?fm=dヒトの“闘ひ”の極限を見た思ひがします。ヒトを裁くのはヒトでしかない以上、そこにヒトの様々な思惑が交錯し、そのために誰かが犠牲となることが起こり得る──そんな役目を負はされるのは誰であってもな . . . 本文を読む
夏に少しづつ買い溜めておいた即席ご飯が十月初旬で無くなるのを機に、我が町にもやっと出回った精米へと切り替へやう……、と思ってゐたが、結局ひと夏のうちに馴染んだ即席ご飯を、今日も再び買い足してゐる。精米の便乗値上げぶりが無性に氣に喰はないので手を出したくない、と云ふのもあるが、むしろ“レンチン”で手輕に済ませられることに慣れてしまった、との言ひ訳のはうが當ってゐるやうな。米を研ぐ手間も、炊飯器の釜を . . . 本文を読む
橫濱紅葉坂上の神奈川縣立青少年センターにて、人形浄瑠璃文樂公演の昼の部を觀る。觀る、と云ふより義太夫節に乗せて演じられる人形芝居の様子を眺めたかったのだが、常々感じてゐる文樂界の人材と力量の不足がそのまま表れた舞薹に、オイオイ、と一人呆れる。開口一番に現れた若手の太夫の解説からして臺本丸暗記な駄辯りで内容が無く、續く前座の「二人三番叟」は床も人形も本當に前座藝の域を出ず、「繪本太功記 . . . 本文を読む
ラジオ放送の金剛流「融」を聴く。いまは廢墟となった左大臣源融の邸宅“六條河原院”跡を舞薹に、旅僧が出逢った不思議な汐汲老人と遊舞する源融の靈が、秋の月下に過ぎし榮華へ想ひを寄せる世阿彌の優作。……と云っても、今回のやうなやけにサッパリした謠ひからはさうした興趣は浮ばず、その味が京雅に合ふと語る解説者センセイのお説も、私にはサッパリ傳はらぬ。かつて關西に住んでゐた時代から、京料理の味はひが舌に合はな . . . 本文を読む
代々木體育館の散策路に初夏いらい訪れ、ぼんやりと空を見上げる。次のことを考へるために、いまはぼんやりとする。四ケ月ほど前、なにも考へないためにここに佇み、あれから本當になにも考へずに時を過ごし、またここに佇む。見上げる先には、羽田への着地を目指して次々に飛行機が通り過ぎる。それらの影がいくつも舞ふさまは、まるでカラスの群れでも見るやうだ。ヒトが造ったこんな場所を彷徨ってゐても、しょせんヒトに踊らさ . . . 本文を読む
ラジオ放送の寶生流「紅葉狩」を聴く。劇的要素の濃い“風流能”であることから、「船辨慶」と並んで薪能などで飽きるほどによく上演される大衆向け扱ひな曲となってゐるが、謠の詞章には本朝唐國の故事古歌がふんだんにちりばめられてゐるところに、猿樂の“品格”が保たれた一曲。前シテの上臈がいよいよ妖しい正体を仄めかす、「堪えず紅葉青苔の地……」の謠ひは白樂天の古詩から採ったものだが、さういふことは關係なく私は流 . . . 本文を読む