写真はイランを代表する遺跡、ペルセポリス。
(“flickr”より By youngrobv)
先日TVでイランの古式体操“ズールハーネ”を紹介していました。
ズールハーネはペルシャ語で「力の家」の意味だそうで、道場に集まってこん棒や鉄製の弓などを使い体を鍛え、精神修養もするものです。
イスラム化前から行われているイランの伝統的な運動だそうです。
“こん棒”はマンガチックぐらいに大きなもの(1mぐらいありそうな、かつ、とても太いもの)で、重いものでは1本が15kgもありますが、このこん棒を太鼓のリズムにあわせ両手に持ってグルグル振り回したりします。
すごい力技です。
力だけでなく、日本の武道のように精神修養を重視する点が特徴だそう
例えば、道場の床は一段低くなっており、これは「力あるものは身を慎み、他人に対し優しく、人を助けるような者でなければならない」というような教えを反映したものとか。
紹介といってもほんの数分のミニコーナーで簡単なものです。
しかし、この紹介が非常に印象的でした。
印象的だったのはズールハーネそのものではなく、それに対するイランの人の反応です。
伝統的なズールハーネはイランでも次第にやる人が少なくなって、道場はもっと儲かる近代的なアスレチックジムに変わりつつあるとかで、そのような日本と変わらないエクササイズマシンを並べたジムで運動している比較的若い人に“ズールハーネ”について訊いていました。
「ズールハーネ?あんなのじいさんの時代のものでしょう。」
「ズールハーネって決まりごとが多くて。運動はマイペースでやれるものでないと。」
たったこれだけのインタヴューでしたが、「なんだ、イランって日本やアメリカと全く同じような社会じゃない。」と非常に新鮮に感じました。
多分、日本でサッカーを楽しむ若者に「相撲についてどう思いますか?」と訊けば同様の反応があるでしょう。
イランというとどうしても各国のパワーゲームやイスラム原理主義・テロ・原子力問題といったコンテクストで語られることが多く、国内についてもアメリカへの抗議デモの様子みたいな映像が多く目につきます。
特に、一定に自由化を容認したラフサンジャーニーから原理主義的なアフマディーネジャード大統領に代わってからは、また革命当時の保守的・伝統的な社会に回帰したのではないかという印象を漠然と持っていました。
もちろんそのような傾向も実際あるのでしょうが、一方で上記インタヴューにうかがわれるような“ごく普通の市民の価値観、日本などと特に変わらない市民生活”そういった面もあるのかも・・・と思った次第です。
このような“印象”は非常に重要です。
しばしばアメリカとの軍事的衝突の危機などが噂されたりしますが、そのような決定的対立は「よくわからない社会、理解できない価値観、異質な国家」という印象の上に成り立つものかと思います。
「基本的には同じような価値観の社会、ごく普通の市民生活」という認識にたてば、少々の政治的対立があっても軍事的衝突にまでは至らないのではないでしょうか。
やはり、お互いがもっと知り合うことが重要です。
わずか数分のイラン古式体操“ズールハーネ”の紹介TVを観て、そんなことを思ったりしました。
今年9月にイランを旅行しようかとも考えていたのですが、スケジュール的に難しそう。
また、別の機会に是非訪れたい国です。
アメリカとの紛争などが起きないうちに。