孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

原発事情 イタリア・ドイツそして日本

2007-07-27 16:01:10 | 世相

(写真は86年のチェルノブイリ事故当時の避難する人々。
“flickr”より By seahorsetamer)

多くのブログやスレで取り上げられている話題ですが、8月1日静岡県磐田市で予定されていたイタリアからのサッカーチーム“カターニャ”(セリエA)を招いての親善試合が中止になりました。
理由は“今月16日に新潟中越沖で起こった地震に起因する柏崎刈羽原子力発電所からの放射能漏れが、イタリア国内でも繰り返し報道され、クラブ側が重く受け止め来日を中止した事によるもの”だそうです。

このニュースに対する日本国内の反応は、ひとつは「大げさな・・・」「チェルノブイリと同じような事故と誤解しているのでは・・・」「新潟と磐田は遠く離れているのに・・・」という反応。
もうひとつは「いやいや、重大な危機を認識していない日本人のほうがおかしいのでは・・・」という反応のようです。

これらの反応のポイントとして2点見て取れます。
1点目は、情報が正確に伝わるか、海外の情報を正確に評価できるか、という“情報”の問題です。
確かに、イタリア人にとっては静岡も磐田も同じようなものにも思えるでしょうし、事故の規模・内容も正確に伝わっていない恐れもあります。
そのあたりは、海外で事故・事件が起きたときの我々日本人の反応も同様でしょう。
ロンドンでテロが起きれば、イギリス全土が危険地帯であると考える日本人も多数いるかと思います。(その判断の妥当性については別にして。)
各地で話題になる風評被害などもこのような情報の伝達、評価の問題でしょう。

もう1点は原子力発電に関する安全性の認識そのものの問題です。
柏崎刈羽原子力発電所の事故は全国に報道はされていますが、“社会問題となっている”“切実な危機性を感じている”というほどの扱いではありません。選挙の争点になる訳でもありません。
このような認識が本当に妥当なのか?やっぱり原発って危ないのでは・・・?(もちろん、“そんなことないよ!”という考えを含めて)という問題です。

私の故郷には原発があります。
決して他人事ではありません。
実際に原発と隣り合わせて住んでいても、普段その存在を意識することは殆どありません。
「安全性を信じているの?」聞かれると、決してそういう訳でもないのですが・・・。

自分の普段の仕事の経験から考えてもヒューマンエラーは必ずおきます。
“間違えると人命にもかかわることになるから・・・”と言い聞かせていても、やはりおきます。
後で振り返ると、間違いがおきやすい要因が運悪くかさなったケース、別の小さなミスのフォローに気をとられて新たな大きなミスを犯してしまったケース、ルーチンワークに慢心して何も考えずにおこした思い込みのミス等々。

恐らく原発でも同じでしょう。
いくら原子炉を安全・頑丈に作ってあっても、思わぬところで思わぬ事故が起き得ます。
それが思わぬ影響を及ぼすこと、思わぬミスを引き起こすこともあるでしょう。
今回のような地震のような想定外の事態になれば、パニック状態からどんなミスがおきても不思議ではありません。
なのに何故こんなにのんびり構えていられるのか・・・。

自分自身の心のうちを覗くと、「危険性をギリギリ問い詰めれば、世の中すべてのことについてリスク・危険だらけで、外を歩くことだって、食べ物を食べることだってできないじゃない。生きるということはそんなリスクの中で生活するということじゃないの?」「まあ、運が悪ければ死ぬかもね・・・、そのときはみんな一緒だ。それに、多分自分が生きている間に自分にふりかかることはないんじゃないの」といった開き直り、希望的思い込みなどもあるようで・・・。

今回キャンセルしたイタリアは、はじめて知ったのですが、チェルノブイリ事故を契機に1987年、原子力発電所の建設・運転に関する法律の廃止を求めた国民投票により原子力政策は見直しがなされ、稼動中の原発を停止して“脱原発”を実行したそうです。
そのため今は原発は稼動していません。
女性を追いかけることとサッカーしか興味ない、かなり“アバウト”な国民性かと思っていたのですが、結構事態をシビアに考えているようです。

一方、代替開発が進まなかったこともあって、電力需要の14%ほどを海外からの輸入に頼っているそうです。
主な輸入先は隣国フランス。
03年にはそのフランスが電力供給を削減したことから、停電を引き起こす電力不足にみまわれたこともあったようです。(検索しても03年の大停電以外はあまり出てこないところを見ると、その後は大きなトラブルは起きていないということでしょう。)
輸入先のフランスは原発依存の国ですが、「よその国なら原発でもいいのか・・・」「結局、原発に頼っているじゃないの・・・」という問いは少々酷ですかね。

もちろん、電力業界・保守勢力には原子力回帰のノスタルジーがあるようですが、「原発の是非を蒸し返すことは、あたかもわが国の憲法9条をめぐる与野党の対立のように、聖域を前にして足踏みしているようにも見える。」(「原発なき先進国イタリアの悩み」長手 喜典氏)とのことです。
(よくニュアンスが伝わる表現です。)
まあ、日本では9条も変わるようですから、イタリアの原子力政策も今後変更がないとは言えません。

もうひとつ“脱原発”を進める先進国がドイツです。
ドイツは原子力エネルギー利用を廃止することを決めた改正原子力法を2002年4月に施行しました。この法律により新規の原子力発電所建設・操業の許可が禁止され、既存の原子炉については順次停止されることになっており、21年には全ての原発の稼動を停止して“脱原発”を達成する予定だそうです。

ドイツでも社会民主党と現在の首相メルケルを擁するキリスト教民主同盟では温度差があって、“見直し論”などもあるようですが、先日の原発事故の影響でむしろ脱原発への動きを加速させる方向に世論は動いているとか。
先日の事故というのは、6月28日に2基の原発が起こしたトラブル。
事故自体は変電施設の火災や電気設備のショートなどで、大事に至るものではなかったのですが、地元州政府への報告が遅れたばかりか、当局の聞き取りにも応じずに社内調査を優先させるなど、情報開示を後回しにした事後対応の不手際が州政府・世論の批判を浴び、社長が辞任する事態となっています。
この手の事故・対応は日本ではよく見られることです。

また、ドイツは代替エネルギー開発にも積極的に取り組んでいます。
ドイツ環境省は、風力や太陽光など再生可能なエネルギーを利用した電力消費量の割合を、「20年に20%」としていたこれまでの目標を上方修正して、30年に全消費量の少なくとも45%とする新目標を発表しました。再生可能エネルギーの利用が予想以上に進んでいるためだそうです。
さすがに、国民性でしょうか、着実に進めているようです。

個人的には先ほど述べたように普段ピンときていないところがあるのですが、こうした国々の取組みを見ると、“日本も漫然と今のまま進むだけでいいのかしら?”という疑問は感じます。

コメント
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