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写真は聖地Vanarasiで沐浴する女性
(“flickr”より By valeriopandolfo)
インドで今月19日に大統領選挙が実施され、与党連合の推すプラティバ・パティル氏(72)がインド史上初の女性大統領に選出されると予想されています。
インド大統領職は、儀礼的な要素が強い職務ですが、それでも大統領は同国軍部最高指令官であり、政治的な危機に陥った際に緊急宣言を発する権限を有しています。
インドには以前女性首相のインデラ・ガンジーがいました。
また、このエリアで見るとこれまで、スリランカのバンダラナイケ大統領、パキスタンのブット首相、更に先日18日に取り上げたバングラデシュのアジ前首相、ハシナ元首相と、他の地域に比べて女性政治家が目立ちます。
ただ、これらは“女性の高い社会的地位の反映”とは言いがたいものがあります。
インデラ・ガンジーはネールの娘、バングラデシュの二人はそれぞれ元大統領の配偶者であったり娘であったりという具合にその家系が重要なケースが多く、更にそのときの政治情勢の結果でもあります。
この地域、インドの女性の地位はむしろ相当に問題があるというのが実情のようです。
“インド”“女性の地位”という二つのキーワードで検索すると、たちどころに2千件を超える情報がヒットし、その最初の2、3件を見ただけでもその現状が推察されます。
インドの貧しい家庭では、女性はその誕生のときから“借金のようなもの”と考えられることが多く、“呪い”というふうにみなす家庭もあるとか。
これは女性が結婚する際に莫大な持参金「ダウリー」が必要とされることによるものです。
両親は女児が生まれたときから、どうやってそのダウリーを工面するかという問題に直面します。
60年代後期にいたるまでは、女児出産時の赤子殺しが一般的で慣習的に行われていたとも言われています。
多少なりと貯蓄できる家庭であれば、将来の娘の結婚のために自分達の生活を犠牲にして貯蓄することになります。
(単に娘の幸せのためというだけでなく、どれだけのダウリーを払えたかが、その実家の世間的評価に直結しているので、自分のプライドのためにという面も強くあるようです。)
娘の父親が花婿候補の家を訪ねると、先ずはその花婿の社会的地位に応じたダウリーの物品リストが渡され、それが払えるか否かから話からスタートするとか。
電化製品、家財道具、あるいは車まで。
大学卒業資格をもつ男性(医学、工学部卒を除く)の初任給が6000円あまりであるインドで、ダウリーは25万円から500万円ないしそれ以上の額にのぼるそうです。
日本の貨幣価値に換算すると、数百万から数千万円、場合によっては億・・・というような額でしょうか。
“結婚は本人同士の愛情が一番重要”という考えが建前にせよ一般的になってきた日本社会から見ると、なんとも即物的な印象です。
ただ、問題はここから先の話です。
「多くの場合、ダウリーの追加要求は結婚後も長い間続く。毎年、6千人から7千人の女性が、要求を満たされなかった夫や義理の両親によって殺されている。多くの被害者は、「台所での事故」として偽装するために火にかけられる。その他は、毒殺されたり、バルコニーから突き落とされたり、走行中の乗り物から押し出されたりなどして殺害されている。」
(「インドの女性とダウリー制」 ICUアジア文化研究所 : カマヤニ・シン
http://subsite.icu.ac.jp/cgs/article/0408008j.html)
その数字の真偽を確認するすべはありませんが、このような現象が社会に蔓延していることは他の多くの方が指摘しているところです。
法律上はダウリー廃止法によって、ダウリーの授受は禁止されています。
しかし、カースト制だって法律上は廃止されている訳で、現実は全く別物のようです。
インドには古くからのヒンドゥーの習慣として“サティー”もあります。
夫が死んだとき、荼毘の火にその妻が身を投じる「寡婦殉死」の風習です。
自爆テロや特攻隊のように、本人が死ぬことに何ら崇高なものを見ているケースもあるでしょうが、伝統社会で陰に陽に周囲から圧力をかけられることも容易に想像できます。
(燃え盛る火に飛び込むのは、自爆テロや特攻攻撃よりも難しそうに私には思えますが・・・)
法的には、すでに1892年の段階でイギリスが禁止していますが、これも現実はなかなかのようです。
なお、いったん男子の母となれば家庭内での女性の地位は一気に上昇するそうです。
特に、インド男性は家庭内で甘やかされたマザコンが多いそうで、母親の力は相当に強いとか。
しかし、強いのは“母”であって“女性”ではありません。
寡婦や子供のいない女性は不吉な存在とみなされたり、また未婚の女性は都会以外では居場所を見出すことすら難しいとも言われます。
今回の女性大統領誕生を伝えるニュースに次のような一文が添えられていました。
「インドの庶民女性は一般に教育がおろそかにされ、病気になっても十分な治療を家族が与えないなどの低い社会的評価を受けていることで国際社会に知られてきた。このような中、今回与党連合が女性大統領候補を選出したことで、インドの国際社会への政治的な進展を示すことにもつながることなどが期待されている。」
本当に“わずかでも”そのような方向に進むとよいのですが。