写真は「赤いモスク」事件で投降する女子学生 2007.7.4
(“flivkr”より By BHowdy)
私が住む奄美では台風4号通過のため本土との輸送が止まり、新聞も配達されていませんでした。
台風も去って、昨夜3日分の新聞に目をとおして、パキスタンの「赤いモスク」強行突入事件のその後が相当に大きく取り上げられているのに少々驚きました。
なるべく犠牲者の数を少なく見せたい、残っていた女子学生は強制的に「人間の盾」にされてたと主張する政府側に対し、かなりの数の犠牲者が出ているのではないかという観測がでてきたり、自分の意思で残っていたと述べる女子学生があらわれるなど、思惑とは違う様相も。
一方、先週末だけで3件の警察等にたいする自爆テロが発生して数十名の死者を出しており、強行突入に対する報復が激化しているようです。
また、ろう城していたガジ師との交渉にあたっていた宗教関係者からは「ガジ師は条件付きの投降を認めたが、政府側がこれを完全拒否し、突入はその直後に行われた。」というニュースも昨日伝わってきました。
パキスタンでは、ムシャラフ大統領が陸軍参謀長を兼務することを違法とするチョードリー最高裁長官の職務が差し止められたことを契機に、5月大規模な反政府デモが行われ、最大の都市カラチでは少なくとも33名が死亡したと言われています。
この抗議行動は司法関係者などインテリ層が主導し、その背景には民主化がなかなか進まない現状への不満があるそうです。
ムシャラフ政権は“今回の赤いモスク事件を少ない犠牲でうまく処理(過激派の掃討)することで、政権への求心力を高めようと画策した”とも伝えられます。
そうであれば、かなり危険な賭けに出たということで、事態は期待したようには進んでいないのではないかと思われます。
イスラム原理主義活動が更に高揚する危険も出てきたように危惧されます。
パキスタンとイスラムとの関係は他の国とは異なる面があります。
それは、単にムスリムが多く居住しているというのではなく、この国がまさにムスリムのために作られた国であるということです。
イギリスからの独立の際に、指導者ジンナーが主張する「少数派のムスリムはヒンドゥーのもとでは幸福にはなれない」とする「二民族論」こそが“ムスリムの国”パキスタン成立の基盤であり、その建国の混乱のなかで、パキスタンに向かうムスリムとインドへ出て行くヒンドゥー教徒の間で血で血を洗う惨状が起こり、100万人(!)近い犠牲者が出たとも言われています。
そのようにイスラムを存立の絶対的基盤としながらも、これまで原理主義的な宗教国家にはならない道を目指してきました。
政治と宗教の関係には微妙な難しいものがあります。
ただ、これまで政治の側がその時々の事情で宗教を利用してきたこと、また国際情勢に強く影響されてきたこともうかがわれます。
パキスタンでイスラム色を強めたのは77年の軍事クーデターで実権を握ったアジ・ウル・ハクであったと言われています。
自らの政権の正当性を主張するためイスラム重視を打ち出し、学校でのイスラム学義務化、イスラム教冒涜法の制定など多くのイスラム色の強い法律・制度をつくりました。
今回事件の舞台となったイスラム神学校マドラサも急増したようです。
「貧困がマドラサを養っている」とも言われるそうですが、無料の寄宿舎を提供するマドラサは貧困層にとって唯一の教育手段でした。
しかし、幼くして親元を離れて集団生活のなかで受けるイスラム偏重の教育は、西欧的価値観の否定、女性に対する偏見を増長させ、軍事訓練が行われる学校もありました。
79年のソ連のアフガン侵攻でパキスタンにおしよせた300万人のアフガニスタン難民およびその子弟はこの神学校マドラサで学び、ソ連と戦うアフガンゲリラに、そして後のタリバンとなりました。
イスラム色の強いアジ軍事政権にアメリカは支援を拒否していましたが、ソ連のアフガン侵攻で事態は一変しました。
東西冷戦の最前線となったパキスタンはアメリカの強いバックアップのもとでアフガニスタン難民をムジャヘディンとも呼ばれるゲリラ戦士に訓練し、大量の武器を供給しました。
しかし、ソ連がアフガニスタンから撤退する事態となると、また情勢は一変します。
もはやアメリカにとってパキスタンの利用価値はなくなりました。
イラン同様、イスラムに偏重した危険な国です。
アメリカはパキスタンから手をひき、開放政策を進める宿敵インドへ接近します。
88年アジ大統領は原因不明の飛行機事故で死亡します。
この事件について、用済みとなったアジ大統領をアメリカが“始末”したと言う説もあります。
孤立するパキスタンはその後も訓練したタリバンをアフガニスタンに送り込み、アスガニスタンを実効支配するタリバン政権を支えました。(陸軍参謀長が実質的トップである三軍統合情報部ISIが中心になっていたと言われています。)
パキスタンにとってタリバンは、国家最大の懸案事項であるインドとのカシミール問題に利用価値があったようです。
インド国境のカシミールはムスリムが多い土地ですので“ムスリムの国”パキスタンにとってその併合は国の存立に関わる問題です。
一方、インドにすれば「ムスリムが多いからパキスタンへ」というのであれば“多宗教国家”としてのインドの存在を否定することにもなり譲れないところです。
テロへの国際的風当たりが強まるなかで、パキスタンとしても公然とインド支配のカシミールへゲリラを送りこむことはできません。
しかし、すでに国際的に完全に孤立していたアフガニスタンがやるのであれば、パキスタンとしては批判をかわせます。
パキスタン内にある政府軍の軍事基地やアルカイダのキャンプで訓練されたゲリラが、アフガニスタンを経由してカシミールで戦うという図式があったようです。
政治的にはアジ大統領の死後、民政に移管したパキスタンですが、政治の腐敗・汚職がひどく、政府と軍の対立で、民族運動・反政府運動による治安の混乱に有効に対処できませんでした。
また、アフガニスタンの原理主義勢力タリバンやアルカイダとの関係は、一方でパキスタン国内のイスラム原理主義の拡大をうながし、また、大量の銃や麻薬がアフガニスタンから流入して更に治安は悪化したようです。
このような状況で、汚職追放や治安維持を掲げた99年のムシャラフのクーデターは、国民の間では強い抵抗はなかったそうです。
そして01年の9.11事件で再び国際環境が変わります。
テロとの戦いを掲げるアメリカはパキスタンに強く協力を要請します。
パキスタンにとってこれを拒否することは“テロ支援国家”の烙印をおされることですから、選択肢はひとつです。
ムシャラフ大統領はアメリカに全面協力して、アフガニスタン攻撃への軍事援助、イスラム原理主義勢力一掃に乗り出します。
イスラム組織指導者を軟禁したり、イスラム勢力と関係の強い軍の指導者を排除したり、更に原理主義組織の非合法化、神学校マドラサの登録制などを断行します。
今回の「赤いモスク」事件でガジ師は「我々は変わっていない。変わったのは政府の側だ。」と言ったそうですが、このような背景があるようです。
しかし、タリバン・イスラム原理主義勢力と軍・ISIとのつながりは強固で、どこまでムシャラフがこの関係を絶てるのか、絶つつもりがあるのか疑問視するむきもありました。
今回の事件を受けて、イスラム原理主義勢力の反政府活動が激化することが予想されます。
そのような活動は国民の多くを占める貧困層の政治・社会への不満と容易に結合するでしょう。
“ムスリムの国”にあって、イスラムを前面に押し出す活動に抗することは難しいことも想像されます。(この批判を許さない雰囲気が宗教原理主義の一番の問題です。)
今後のムシャラフ大統領の舵取りは厳しいものがありそうです。
たしかに、ムシャラフ政権は軍事政権であり、民主化も不十分ですが、民主化を掲げる政府批判勢力による民政で、今後のイスラム原理主義運動の高まりを乗り切れるのかには不安があります。
ガジ師は「悪い者も正直者も平等に投票できる『民主主義』を受け入れられないだけだ。近年の経済成長で恩恵を受けたのは特権階級のみ。アフガニスタン国境付近では(対テロ戦争で)多くの民間人が死傷している。国のシステムが間違っている」と語ったそうです。
問題は、誰が“悪いもの”と“正直者”を区別するのか?どんな基準で?というところです。
イスラムの信仰自体は何ら問題ありませんが、その価値観で社会の全てを律し、他の宗教・価値観を認めず、宗教警察的な取り締まりで国民の生活を監視・強制する原理主義的な国家にはどうしても馴染めません。
もし、パキスタンがイスラム原理主義勢力の支配下になれば、おそらく前後してアフガニスタンでもタリバン政権が復活するでしょう。
イラン・アフガニスタン・パキスタンという原理主義国家が連なる事態も想定されます。
宗教勢力が拡大しているトルコにも影響するでしょう。
各地のイスラム反政府勢力も更に過激化するでしょう。
ドミノ倒しのような事態さえ危惧されます。
そのような事態を防ぐためにも、民主化の推進で民心を把握し、公教育の充実によってマドラサに委ねていた貧困層の教育を政府の手で行うように変革していく今後の努力、国際協力が望まれます。
(今回、広瀬崇子氏の「パキスタンの現状と展望」を参考にさせていただきました。文責はazianokazeにあります。
http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou030f.pdf )