(写真は“flickr”より By sujathafan)
ニュースの賞味期限が短い昨今ではいささか旧聞に属することになりますが、今月初旬にネパールのクマリがドキュメンタリー番組のプロモーション活動のため無断でアメリカに渡り、生き神様としての地位を解任されたというニュースが流れました。
写真は、そのクマリのアメリカでの様子です。
随分リッラクスして楽しそうなのが印象的です。
ネパールでは一定の資格(出身カーストや個人的資質など)にかなった初潮前の女児を“クマリ”と称する一種の“生き神様”として敬う風習があります。
特に首都カトマンズのクマリはロイヤルクマリとも呼ばれ、儀式のときは国王すらその前に膝まずく権威があり、家族と離れ、クマリの館と称される建物から儀式のとき以外は一歩も出ることなく生活しています。
当然学校も行けませんので家庭教師がつくようです。
観光客がかなりのお布施を出すと、館の窓からそのご尊顔をチラッと覗かせてくださるそうですが、私はロイヤルクマリには拝顔していません。
クマリはカトマンズだけでなく、他の主な都市にもいて、こちらはローカルクマリと呼ばれています。
ネパールに行ったときに聞いたところでは、ローカルクマリは普段は家族と一緒に生活していて、儀式のときだけクマリとして参加する(全員かどうかはわかりません。)ことが多いそうです。
下の写真はカトマンズ近郊の古都パタンのローカルクマリです。
6年前の旅行中偶然お祭りに出くわし、お会いする機会を得ました。
大人達に囲まれて、ちょっと退屈そうなお顔でした。
最初ニュースを聞いたとき、カトマンズのクマリの館に“幽閉・軟禁”されているロイヤルクマリを先ず想像しましたので、「無断で訪米・・・なんでそんなことができるの?」と思ったのですが、問題が起きたのは同じくカトマンズ郊外のバクタプルのローカルクマリだったようです。
2歳のときから8年間クマリとして生活しているそうです。
多くの方が思うところでしょうが、特にロイヤルクマリのように、幼くして家族と別れ少数のお供の者にかしずかれて、生き神様として外出もせずに館で暮らすことの精神的・身体的影響はいかばかりかと心配します。
“元クマリと結婚すると不幸になる”とも言われているそうで、退役後の彼女等の人生は険しいものがありそうです。
(よその国の伝統・文化について軽々に口を出すな!とのお叱りもありますが)
それを償うためでもないでしょうが、初潮や大量の出血があってクマリを退役した後は、相当(公務員の最低給与の2倍程度)の年金は支払われるそうですが・・・。
今回解任されたクマリにも年金は支払われる方向で検討されているとのことです。
今回のニュース・関連ブログを見ていて一番興味深かったのは、「ネパール最高裁判所はクマリの伝統が子供の人権侵害にならないか、報告書を出すように政府に命じている」ということです。
やはり、現地でも同様の不安を感じる向きも少なくないということでしょうか。
考えてみると、世の中のロイヤルファミリーなどはそのような制約を受けた暮らしをされているところですが、特に日本の皇族の方々は、自分の思い通りの言動が難しい立場にあるという意味ではネパールの生き神様クマリとかなり似たお立場にあるようにも思えます。
クマリは初潮を迎えると退役できますが、皇族は一生です。
なかなか大変なことだと思います。
自分の国の伝統・文化についても軽々に口にできないところがありますので、この件はこれで。
よその国、ネパールに話をもどすと、ネパールの王室は今存続の危機にあるそうです。
今月12日にネパール暫定政府は王室予算をゼロにする旨発表しました。
(企業株式を保有しているので、生活には困らないそうです。)
国民から深く慕われていた前国王が王宮乱射事件で王族10名以上とともに何者かに殺害されたのは2001年6月1日。
(ネパール旅行から帰国した直後で、ニュースに驚いた記憶があります。)
犯人については自殺したとも言われる皇太子の名前も上がりましたが、よくわりません。
国民の間では、後を襲った現国王親子が犯人では・・・との根深い疑念があるとか。
そのくらい不人気な現国王で、直接統治を強行しましたが昨年民主化要求デモに屈して政治的権限を剥奪されていました。
ながく反政府運動を展開して地方をおさえている共産党毛沢東主義派も加わった暫定政府が組織され、今年11月実施予定の制憲会議選挙で、王室・王制の存続が焦点になるそうです。